10
「次の試合、来週の水曜日なんだよね?その日は応援行けるよ。絶対行く。」
胸の前で拳を握って、あたしは力を込めて宣言した。新田くんは淡々と、「ああ」と頷いた。
「そういえば、新田くんのポジションってどこだっけ?」
「ライト。打順は7番。――朝子って、野球のルール知ってるのか?」
本気で疑わしそうに新田くんが首を傾けるので、あたしは胸を張った。
「失礼な、ちゃんとわかってるよ!ばんばんホームラン打って、勝ってね、新田くん。」
「……わかった、あんまり野球見たことないんだな。」
新田くんは苦笑した。えへへと、あたしは首をすくめる。
新田くんの言うとおり、あたしはテレビでもあまり野球は見ない。どうしてバレたんだろう。やっぱり詳しい人にはそういうこと、わかるのだろうか。
「でも、ホームラン打ってよ、ゆーくん。予告ホームラン!みたいなさ。」
調子に乗ってあたしが腕を振ると、新田くんは顔をしかめた。面倒臭そうに、「ハイハイ」と投げやりな相づちを打つ。これだから素人は、と呆れているのだろうか。
ちぇー、とあたしは唇をとがらせて、笑った。
予告ホームランは相手にされなかったけれど、何にせよ、新田くんには頑張ってほしい。あたしも、全力で応援しようと決めた。
「……なんでそんなに、ホームラン打ってほしいわけ。」
新田くんが、首をかしげて尋ねた。どうして、と言われても。あたしが野球と聞いて真っ先に思い浮かぶのが、ホームランなのだ。
「だって、野球と言えばホームランなんじゃないの?それが1番なんでしょう?」
「それだけが野球じゃねぇと思うけど。」
新田くんはふーんと、関心が薄そうに呟いた。顎に手を当てて、少し考え込むような顔をする。
「……じゃあ、条件がある。」
「条件?」
新田くんは頷いて、校章の入った帽子を被り直した。鍔の角度が変わって、目が隠れる。
「次の試合、ホームラン狙う。だから、俺が打ったら朝子に聞いてほしいことがある。」
「え――。」
なぜだか、鼓動が跳ねた。新田くんの出した条件に、覚えがあるような気がした。
「もし俺が、ホームラン打ったら――」
新田くんの言いかけた言葉に、あたしは息をのんだ。
とっさに笑うことも、何?と問いかけることもできない。眩暈のような既視感が襲う。
――つい最近、あたしもこんなことを言わなかった?
「……やっぱ、やめた。」
たっぷり間をとってから、新田くんはふーっと大きく息をはいた。
「試合でこういう賭けみたいなことするの、好きじゃない。……ごめん、調子に乗った。」
なんでもないから。新田くんはゆっくり首を振って、ちょっと笑った。
「うん……。」
なんでもないなら、いいのだけれど。
一度上がってしまった心拍数は、すぐには戻らない。胸のあたりをぎゅっと握って、あたしは心の中で落ち着け、と繰り返した。
新田くんが、この前のあたしと同じことを言おうとしたはずがない。あたしと新田くんが同じようなことを考えたなんて、そんなはずは。
「じゃ、もう行くから。これ、ありがとな。」
新田くんが、半分近く減ったペットボトルを持ち上げて、軽く振った。「うん」とあたしは頷いて、目を伏せる。なんだか、新田くんの顔をまともに見ることができなかった。
――ゆーくん、何て言おうとしたの?
飲み込まれた言葉は、何だったのだろう。わからない。聞く機会は既に、失われてしまった。
「次の試合、絶対来いよ。」
真剣な顔で、新田くんは念を押した。じっと見つめられて、あたしは気圧される。
「う、うん、行くよ。頑張ってね。」
それは約束できる。あたしが請け合うと、新田くんはふっと笑った。
そのまま、あたしたちは別れた。
――その後どうやって家に帰って来たか、覚えていない。ぼんやりして、何度か何もないところでつまづいた。頭の中はゆーくんのことで一杯だった。
もし俺がホームラン打ったら、と言いかけた彼の言葉が耳によみがえる。
その続きは、何だったのだろう。もしその続きを聞いていたら、どうだったのだろう。全くわからないけれど、あたしの胸は暗雲のような予感でいっぱいだった。――聞いてしまったら戻れない、というような。
この不安は、どこから来るのだろうか。
自分の部屋に戻ったあたしは、カバンを机の上に放りだした。ベッドの上に座って、膝を抱える。電気をつけない部屋の中は、夕闇で薄暗かった。
言いかけて止めたのは、ついこの前のあたしも同じなのに。それでも新田くんを、ずるい、と責めたくなるのはなぜだろう。こんなふうに混乱させるなら、全部言うか、あるいは何も言わないでほしかった。
でも、続きを聞きたかったのか、聞きたくなかったのか。本当はどちらを望んでいたのか、あたし自身にも全然わからないのが、一番の問題だ。
……たぶん、あたしの考えすぎだ。自意識過剰。きっとそう。
ゆーくんは大切な幼馴染で、仲の良い友達で。小さい頃、一緒にごっこ遊びをしたような仲だ。あたしは彼に、飛び蹴りまでして……。
額に手を当てて、ぐるぐる混乱する自分に言い聞かせる。
けれど、なぜか昔のゆーくんをしっかり思い出せない自分に、あたしは気付いたのだった。