第二話 黒角の咆哮
黒い巨腕が振り下ろされる。
カイルの視界が、闇に覆われた。
(死ぬ)
そう思った瞬間。
衝撃は来なかった。
代わりに、重い金属音が森に響く。
盾。
グランだった。
両膝を地面にめり込ませながら、黒い斧を受け止めている。
「……ぼさっとすんな、坊主!!」
声が震えている。
だが、折れていない。
カイルは息を飲む。
自分のせいだ。
足が止まった。
恐怖に呑まれた。
その一瞬で、グランが前に出た。
黒角――黒いミノタウルスが低く唸る。
圧倒的な質量。
押し潰される。
盾に亀裂が入る。
「カイル、退きなさい!」
鋭い声。
リーネだ。
彼女はすでに立ち上がっていた。
額から血を流しながら、剣を構えている。
「第二列、右脚を狙え! 動きを削ぐ!」
団員たちが一斉に動く。
迷いがない。
恐怖の中でも、命令は通る。
これが第三騎士団だった。
カイルだけが動けない。
耳鳴り。
呼吸が浅い。
(俺のせいだ)
グランの盾が軋む。
「ぐ……っ」
斧が押し込む。
あと少しで崩れる。
「カイル!!」
リーネの怒声。
はっとする。
視線が合う。
その目に怒りはない。
焦りもない。
ただ、信頼。
「あなたは第三でしょう!」
その一言。
胸が熱くなる。
震える手で槍を握る。
足が動く。
「う、ああああ!」
叫びながら走る。
黒角の側面へ。
団員の斬撃が脚に集まる。
だが硬い。
浅い。
黒角が足を払う。
二人が吹き飛ぶ。
「散開!」
リーネが飛び込む。
剣が閃く。
今度は深い。
脚の腱を裂く。
黒角が咆哮する。
その隙。
カイルが跳んだ。
槍を、目へ。
赤い瞳がこちらを捉える。
(怖い)
だが止まらない。
突き。
届く。
だが、寸前で黒角が頭を振る。
槍は角に弾かれた。
衝撃でカイルの体が空中で崩れる。
地面に叩きつけられる。
肺の空気が抜ける。
視界が白む。
黒角の影が覆う。
今度こそ終わりだ。
(団長……)
情けない。
呼んでしまった。
その瞬間。
森の空気が、わずかに震えた。
遠く。
王都の屋根の上。
アルドは立っている。
風が外套を揺らす。
視線は森へ。
胸の奥が熱い。
――もう壊れるよ?
楽しげな声。
アルドは目を細める。
「……まだだ」
森。
黒角が斧を振り上げる。
カイルは動けない。
だが。
横から赤い閃光。
リーネが割り込む。
斧と剣が激突。
火花。
腕が痺れる。
だが彼女は退かない。
「グラン!」
「任せろ!」
白ひげの大男が体当たりする。
巨体同士がぶつかる。
黒角がよろめく。
「カイル、立て!」
怒鳴る。
カイルは歯を食いしばる。
体が痛い。
怖い。
逃げたい。
だが。
(俺は……)
第三だ。
立ち上がる。
足が震えても。
槍を拾う。
黒角が三人をまとめて薙ぎ払う。
グランが吹き飛ぶ。
木が折れる。
リーネの肩が裂ける。
血が飛ぶ。
戦線が崩れかける。
だが誰も逃げない。
「右翼、拘束!」
「左、牽制!」
指示が飛ぶ。
連携は崩れない。
少数精鋭。
一人では敵わない。
だが、束になれば違う。
カイルが深呼吸する。
黒角の動きを見る。
速い。
重い。
だが。
「……脚、右が遅い」
腱は裂けている。
そこだ。
「グランさん!」
「おう!」
盾を投げつける。
一瞬の目くらまし。
リーネが正面から斬り込む。
黒角が迎撃。
その刹那。
カイルが滑り込む。
右脚の付け根へ。
全力。
槍を、突き込む。
肉を裂く感触。
血が噴く。
黒角が絶叫する。
片膝をつく。
森が揺れる。
カイルは息を切らす。
だが。
まだ倒れない。
赤い目が憎悪に燃える。
魔力が膨れ上がる。
空気が重くなる。
「まずい……!」
リーネが歯を食いしばる。
黒角の周囲に黒い霧が集まる。
次で、何かが来る。
王都の屋根の上。
アルドの足元の瓦が砕ける。
――ねえ。
声が甘く囁く。
――楽しいでしょ?
沈黙。
森の空気が悲鳴を上げる。
団員たちが圧に膝をつく。
カイルも、崩れそうになる。
それでも槍を握る。
(まだ……終わらない)
アルドは、遠くからそれを見ている。
目を細める。
口元が、わずかに歪む。
「……踏ん張れ」
その声は、誰にも届かない。
黒角が咆哮する。
森が、爆ぜる。
第三騎士団は、崩れる寸前で立っていた。




