審判
何もない。
「うーん。どうしようないくらい狙われる理由がわからないな」
沙羅は伸びをしてイスの背もたれに寄りかかった。
「事業で儲かったお金は税金対策とはいえ犬の保護団体に寄付したり世間体は完璧。裏のことなんて知ってる人は数少ない。私も見当もつかないっす」
舞も首を傾げる。
警察の聴取のあと、二人は自分たちが今までしてきたことを隅から隅まで振り返った。
しかし答えは見つからない。
「やっぱり勘違いなんじゃないすか?」
紅茶を淹れながら舞は言う。舞の言葉を疑わずに受け取りたい。
しかしどうにも引っかかる。
沙羅はうーん、と腕を組んで椅子をクルクルと回転させながら考えた。
「そう思いたいんだけどねー。ポストに入れるわけでもなく、部屋に直接置いたわけでしょ?間違えるかなーって」
まあ確かに、舞は紅茶を手渡す。
温かい紅茶を飲み沙羅の心の温度が上がる。
なんでお茶?、と沙羅が聞くと舞は嬉しそうに答えた。
「「I be flower」って言うブランドっす。私の好きなブランドなんすよ。美味しいっすよね。お花の匂いついてるのも好きなんすよねー!」
ニコニコしながら話す舞に沙羅もつられて笑ってしまう。
何笑ってんすか、と若干不機嫌になってしまったが
「別にー」
とだけ言ってはぐらかす。
◇◇◇
手紙が届いてから三日目の朝。
昨日同様に目を覚ませたことに沙羅は嬉しさを覚えた。
もしあの手紙が勘違いでなければ今日が沙羅の命日だ。
二日目の時点で沙羅達は振り返れることは全て振り返った。
もうできることはない。
沙羅は遺書を書いていた。内容は形式的なもので、家族のいない沙羅にとっては大した意味を持たない紙切れに過ぎない。
「めんどくさい....」
沙羅は独り言を呟く。舞は気を遣って外で仕事の引き継ぎをしている。
そのため部屋には一人、手伝ってくれるものはいない。
そもそも遺書を手伝ってもらうなんてことないと沙羅も頭ではわかっていた。
「こういうの、本来は家族に感謝とかを伝えるんだろうなー。アタシには彼氏もいないよ」
処女で死ぬのか、うすら涙を目に浮かべる。
誰にも悲しまれずに死ぬのか、震える手元に一粒二粒と涙が溢れた。
「やだな....」
部屋に沙羅の啜り泣く声が響く。外音が遮断され一人世界に取り残されたような気分だ。
涙を拭い紅茶を一口飲む。
「あ、忘れちゃいけない人がいたね」
折りたたんでいた遺書をまた開き直す。
余白だらけの遺書の最後に二、三文を追加する。
半分に折り、白い封筒にしまう。
赤い封蝋をしっかりと押し、封をする。
予告状とは似ても似つかない慎ましい見た目だ。
『舞ー!書き終わったよ。アタシの部屋まで来て!』
電話で舞を呼び出す。1分も経たないうちに舞は沙羅の部屋に着いた。
沙羅が遺書を手渡す。舞の手は震えていた。
「舞ちゃん?」
顔を見上げると、舞は涙を目に溜めている。
数分前までいつもの笑顔だった顔が涙で濡れていた。
舞の涙につられ、沙羅も抑えていた感情が決壊する。
「死にたくないよ...舞ちゃん...」
舞は何も答えずただ沙羅を抱擁する。
時刻は六時半。夕飯を用意するっす、そう言うと涙も拭わずドアを開け放って舞は行ってしまった。
舞がいなくなるのを見計らったようなタイミングで電話が鳴る。
「沙羅さんで間違いないですね?春日井です。捜査に進展があったので連絡させていただきました」
今更?と沙羅は表情を曇らせる。しかし良い報告の可能性もあると電話に耳を傾ける。
「近隣の監視カメラに怪しい人物が写っていました。顔は隠されていたので断定はできませんがおそらく女性かと。身近な女性で犯人になり得る心当たりはありますか」
ないです、一言答えて沙羅は電話を切った。
心当たりはない、沙羅は残り少ない時間を考え事には使わなかった。
「夕飯持ってきたっす!今日は沙羅さんの好きなものオーダーしてきたっす!」
さっきの涙を隠すように舞はより一層明るく振る舞っている。
その態度は気遣いなのか沙羅には知る由もない。
トレーの上に乗っていたものはハンバーガーとステーキ。
チグハグなメニューだが最後の食事くらい好きなものを食べてもバチは当たらないだろうと沙羅は遠慮なくハンバーガーにかじりついた。
◇◇◇
時刻は午後七時四十六分。予告の時間まで十五分を切った。
夕食の片付けを済ませて舞と沙羅は二人きりで部屋にこもった。時計の秒針が動く音が部屋に響く。
二人は一言の会話も交わさない。ただ時間を待つのみだった。
話さないのではない話せないのだ。
「‥‥紅茶用意するっす」
小説の同じページを眺め続ける、沙羅の肩を舞はポンと叩いた。
舞は背を向けて紅茶を入れる。
「最後の一杯、私の一推し。マルベリーティーっす。沙羅さん」
淡い赤色をした紅茶を差し出す舞の声は柔らかく、優しかった。
時刻は七時五十七分。
まもなく迫る審判のときに沙羅の心臓は拍動を加速させる。
一分が果てしない時間のように沙羅は感じた。
「舞ちゃん……最後に一つだけお願いしてもいい?」
何なりと、舞は沙羅の直ぐ側に依る。刻々と時計は針を進めた。
「力いっぱい抱きしめて、舞ちゃん」
椅子から立ち上がり、沙羅は両の手を広げた。
舞は何も言わずにただ沙羅を抱きしめる。その腕は沙羅を包み込むためにあるかのように沙羅に合わさった。
長い抱擁を終える。
時刻は、午後八時二分。
沙羅は目を疑った。腕時計をもう一度確認し、スマホの時計も確認する。
間違いない。時刻は八時を過ぎていた。
沙羅の視界がぼやける。涙で前が見えない。
「舞ちゃん!あたし、生きてるよ!」
沙羅は舞に抱きつく。本当に間違いだった、沙羅は緊張がほぐれ床にへたり込む。
明日からは外に出られる。缶詰め生活も今日で終わり。沙羅は嬉しさのあまり言葉が出てこなかった。
喜ぶ沙羅をよそに舞は黙っている。
「舞ちゃん!何とか言ってよ!あたし生きの‥‥」
沙羅は途端に嗚咽した。猛烈な目眩と吐き気が沙羅を襲う。ふらふらと机に寄りかかった。
「え‥‥?」
目から血を流し、ゴボゴボと音を立てて絶えかけに息をする。
机に手をつき無理やり体を立たせた。口から絶えず流れる血が飛び散り飲みかけの紅茶に血が混じる。
舞は濁った紅茶を口に運ぶ。
紅茶を飲み干すと、血の混じった吐瀉物を吐く沙羅を起こして抱きしめた。
「待っててね沙羅ちゃん。私もすぐ行くよ」




