エピローグ:その日々に、名前をつけるなら
春の光が、校舎の窓をやさしく照らしていた。
私は、教室の窓際の席で、ノートをめくっていた。
ふと目をやると、隣の席の彼が、こっちを見ていた。
「また夢のネタ、書いてるの?」
湊くんは、少しだけからかうように笑う。
でもその目は、前よりもずっと柔らかくて、ちゃんと『今』を生きている光を宿していた。
「夢じゃないよ。これは、現実の続き。……私たちの、物語のこと」
「……ああ。そうだな」
彼は頷いて、視線を外の校庭へ向ける。
桜の花が風に舞っていた。もう、春だ。
中学の文化祭のあと、いろんなことが変わった。
夢を見なくなった代わりに、『現実』の中にあたたかい時間が増えた。
笑い合う日が増えて。
ぶつかることも、黙ることもあったけど、いつもどこかでつながっていた。
湊くんは言った。
「過去があったから、今があるって、やっと思えるようになったよ」
私はうなずいた。
「……私も。過去を抱えたままでも、未来は選べるって思えるようになった」
夢の中で見ていた時計屋。彼岸花の咲く場所。
時が止まったようだったあの記憶たちは、今では『ただの過去』になっていた。
それでも、とても大切な、大切なもの。
それを知ったうえで、私たちは『今』を選んでいる。
放課後。昇降口までの廊下を、並んで歩く。
手は繋がないけれど、近くにいる。その距離感が、心地よかった。
外に出ると、少し風が吹いた。
「もうすぐ、また季節が変わるね」
私が言うと、湊くんは小さく笑って言った。
「……でも、どの季節が来ても、オレはちゃんと『今』を生きるよ。侑ちゃんがいてくれたから、そう思えるようになった」
私の胸が、あたたかくなる。
「あの日から、物語はもう『夢』じゃなくなったんだよね」
「うん、現実の続き。……ふたりで歩く、未来の話」
そのとき、不意に彼の手がそっと、私の手に触れた。
つないだわけじゃない。でも、それで十分だった。
――春の風が吹く。
過去を包みながら、未来へと運んでいくように。
あの日々に名前をつけるなら――それはきっと、「希望」という名前だった。
何度転んでも、何度夢から醒めても。
ふたりでまた歩き出せる、確かな“今”がここにある。
だから、私たちは大丈夫。
もう、『夢』に迷わなくていい。
もう、『過去』に縛られなくていい。
――『今』を生きる、その手を離さないかぎり。




