17.ゆっくりと近づく距離
放課後の教室。
カーテン越しの夕陽が、机の上にやわらかい光を落としていた。
文化祭が終わってから、数日が過ぎた。
あのにぎやかだった二日間が嘘のように、日常が戻ってきている。
だけど、教室にはどこかまだ、あの高揚感が残っているような気がしていた。
今日は、クラスのみんなでのささやかな打ち上げ。
前のほうの机をくっつけて、お菓子やペットボトルの飲み物を並べて。
特別じゃないけれど、ちょっとだけ特別な時間。
「はい、これ。地味に人気だったらしい、お化けの“びっくりボイス”担当から一言!」
「えー! マジでやるの!? ちょ、ウケるんだけど!」
笑い声が飛び交う中、私は少しだけ離れた席からそれを見ていた。
そこには、ちゃんと湊くんの姿もあった。
彼は、少し照れくさそうに笑って、話しかけられたクラスメイトにちゃんと返事をしていた。
(……変わったな)
ふいに目が合って、湊くんが軽く手を上げた。私も、小さく手を振り返す。
それだけのやりとりが、胸の奥にやさしい温度を残した。
「楽しかったな、文化祭」
打ち上げの途中、湊くんがふと私の隣の席にやってきて言った。
「うん。湊くん、すごく笑ってた」
「そうかな……。でも、たぶん、オレも『楽しい』ってちゃんと思えたんだと思う」
夕陽が、彼の横顔をほんのりと赤く染めていた。
「こういう時間って、ずっとは続かないけど……ちゃんと、記憶に残るんだろうな」
その言葉に、私はうなずいた。
「……だからこそ、大事にしたいって思うよね」
「ねえ、湊くん」
「ん?」
「……あのね、今度さ。良かったら、前に言ってた時計屋さん、一緒に行ってみない?」
彼の目が、少しだけ見開かれる。
「……いいの? オレ、ああいうの詳しくないけど」
「私もそんなに詳しいわけじゃないけど、なんとなく、思い出の場所なんだ」
「……わかった。行ってみたい」
少し照れくさそうに笑った湊くんの横顔を、私はそっと見つめた。
(こうして、少しずつ。ただ並んで歩いて、言葉を交わして、笑い合って。きっとそれが、彼の中の『あたたかい記憶』に変わっていく)
「ねえ、侑」
打ち上げがひと段落して、片付けが始まったころ。
隣にいた柚葉が、ぽつりと声を落とした。
「最近の湊くん、優しい顔してるね」
「……うん、そうだね」
「それって、きっと侑のおかげだよ」
「え、わたし?」
「だって、あの人の中にある『痛み』に、ちゃんと向き合ってるでしょ。それって、誰にでもできることじゃない」
「……まだ、ちゃんとは向き合えてないよ。怖くなる時もあるし」
「でも、侑の『手』は届いてると思う。……きっと、もう少しだよ」
柚葉の言葉に、私は小さくうなずいた。
背中を、そっと押された気がした。
帰り道。昇降口を出て、並んで歩く。
風が少し肌寒くて、制服の袖をそっと握った。
「……あのさ、文化祭、ほんとにありがとう」
湊くんがぽつりとつぶやく。
「私のほうこそ、ありがとう。湊くんがいたから、すごく心に残る文化祭だった」
言葉にすると、少しだけ照れくさくて。
だけど、ちゃんと伝えたかった。
(大切な記憶が、今ここにある。――そして、私たちの距離も、少しずつ近づいている)
彼の横顔が、夕暮れの光のなかで、やさしくにじんで見えた。




