14.ふつうの時間が、うれしい
教室には、いつもより人の声が多く響いていた。
「それ、もうちょっと右じゃない?」
「いや、それじゃ倒れるって!」
ワイワイとにぎやかな声の中、私はカッターを持って色画用紙と格闘していた。
文化祭まで、あと一週間。
私たちのクラスはお化け屋敷をやることになって、準備は思ってた以上にバタバタだ。
(でも、こういうの、嫌いじゃない)
誰かが笑って、怒って、調整役を買って出て。
人の気配が重なり合うこの感じは、どこか心地いい。
「……それ、貼るの手伝おうか?」
不意に声をかけられて顔を上げると、そこに湊くんがいた。
手にはテープとハサミ。
おそるおそるって感じではあるけれど、その目はちゃんと私の作業を見ていた。
「えっ、いいの? ありがとう!」
思わず笑顔になる。
すると、湊くんもほんの少しだけ、口元を緩めた。
(あ。今の顔、初めて見たかも)
そんな風に思いながら、私は彼に色画用紙を渡した。
湊くんが、私の横にしゃがんで、そっとテープを引っ張る。
「ここ、こんな感じ?」
「うん、ぴったり!」
ふたりの手が一瞬ふれた。その瞬間、胸の奥がふっと温かくなる。
――昔の湊くんなら、きっとこういう場所にいるだけでも居心地が悪かったはずだ。
みんなの話し声や笑い声。飛び交う指示とせわしない空気。
なのに、今日はちゃんとここに“いる”って感じがする。
(少しずつだけど、湊くんの世界が、色づいてきてる……)
そんなふうに感じた。
「ねえ、湊くんってさ、こういうの、得意?」
「んー、あんまり。工作とか苦手で……でも、こういう空気、悪くないかもって思えてきた」
そう言って、ほんの少しだけ笑った彼の横顔を見て、胸がぎゅっとなった。
(ああ、やっぱり……この人の笑顔、好きだ)
気持ちはまだ名前にならないけど。
彼が笑ってくれるだけで、こんなにも胸があたたかくなるなんて。
「侑ちゃん、これ、もっと量産する感じ?」
「うん。できればあと10枚!」
私たちはまた、作業に集中する。
紙の感触とハサミの音。
並んで黙々と作るこの時間が、不思議と心地いい。
「……そういえば」
ふと、湊くんが小さな声で言った。
「こんなふうに誰かと並んで作業するのって、久しぶりだなって。あの事故の前までは、こういうことが『ふつう』だったんだよなって、ふと思い出した」
その言葉に、私は黙ってうなずいた。
(思い出すって、きっと痛みも伴う。でも、それでも思い出せたってことは――)
「……ふつうの時間を、一緒に過ごそうね。これからも」
そう言った私の声は、思ったよりも自然に出ていた。
湊くんは少し照れたように、でもちゃんと目を見て「うん」とうなずいてくれた。
作業が一段落して、教室を出るころには、夕焼けが窓の外ににじんでいた。
並んで歩く廊下の中、誰もいないその静けさに、ふたりの足音だけが響いている。
(ああ、この静けさすら、今は心地いい)
彼の隣にいるだけで、心がほどけていく気がした。
この日の帰り道、私はひとつだけ、強く思った。
――少しずつでいい。彼の心の扉が開いていくなら、そのそばにいたい。
急がなくていい。ただ一緒に、同じ時間を重ねていきたい。
夜。父さんの彼岸花の絵を見つめると、そこには淡いオレンジの光が差し込んでいるように見えた。
それが何かの『兆し』のようで、私の胸が、静かに跳ねた。




