13.黄色の『ひとひら』
「……湊くん?」
放課後の図書室。高い窓から柔らかな陽が差し込み、本棚や机の影が静かに伸びている。
私は開いていた本を読みながら、何度も同じ行を目で追っていた。
――気づいていた。
隣に座る湊くんの、ページをめくる手が止まったまま、どこか遠くを見つめていることに。
「……ちょっと、思い出したことがあるんだ」
ぽつりと、彼がつぶやいた。
その声は、紙のように薄くて、でも確かに心を震わせる重みがあった。
「事故のあと、ばあちゃん家に引き取られる前……しばらく、いくつかの親戚の家を転々としてた」
「その中のひとつの学校で、毎日が……地獄みたいだった」
ただ彼の言葉を受け止めたくて、私は本をそっと閉じた。
「……よそ者って言われて。親が死んだ子ってだけで、変な噂がついてて。目も合わせてもらえなかったし、机には落書き、靴は何度も隠された」
湊くんの声は、静かだった。
でもその静けさは、痛みを押し込めたあとの静けさだった。
「一番つらかったのは……それを誰も“なかったこと”にしようとする空気。先生も、周りも、『可哀想な子』って決めつけて、それで済ませてた」
「湊くん……」
私は、そっと机の上で彼の手の近くに手を寄せた。
触れない、けれど、ここにいる――そんな距離感。
「だから……多分、オレはあのとき、自分の声をどこかに置き忘れたんだと思う」
「黙っていれば、消えられるって思ってた。誰にも気づかれずに、いなくなれたらって」
少しだけ、彼の眉が震えた。
「でもさ。侑ちゃんに会って、夢の中で……昔のオレを、見てくれて……」
そこで湊くんの声がわずかにかすれた。
彼が奥歯を噛みしめるように、何かを飲み込もうとする気配が伝わってくる。
「……今は、消えたいんじゃない。誰かに、『ここにいていい』って思われたいだけなんだ」
その言葉が落ちた瞬間、私の胸の奥が熱くなった。
誰かに必要とされたい。
誰かの中に、自分の存在を許されたい――。
その願いが、こんなにも切実なものだと、私は初めて知った。
「……いるよ。湊くんはここにいる。過去も、痛みも、全部じゃなくても、私はちゃんと受け止める」
「逃げない。見てるよ。ずっと」
窓の外、沈みかけた陽が湊くんの横顔を淡く照らした。
その目に、わずかながらも光が宿っているのを、私は見た。
その夜、私は父さんの描いた彼岸花の絵の前に立っていた。
何度も見たはずのその絵。
けれど今夜、そこに前はなかった『色』が見えた。
赤い花々の奥。燃えるような紅の波の、その中心に。
ぽつりと、黄色い彼岸花が、まるで浮かぶように咲いていた。
淡く、優しく、静かに――。
黄色の彼岸花の花言葉は『深い思いやり』
(……これって、私の気持ち?)
誰かを想うとき、心の奥にふっと芽生える『何か』
それは痛みを知ったぶんだけ、優しくなれる証なのかもしれない。
自分の中に、湊くんの影が差している。
でもその影は、もう『ただの暗闇』ではなかった。
光に変わる何かを、私たちはきっともう持ち始めている。




