12.忘れたくない、忘れられない《湊》
夕食の時間。食卓には、叔父さん、叔母さん、そして年下の従妹が座っている。
でも、そこに『家族』の温もりはなかった。
「いただきます」
声だけは揃う。
でも、その目は誰ひとり合わず、それぞれが黙々と皿の上を見つめている。
テレビの音もない。ただ、食器の触れる音だけが響く空間。
「……学校はどう? もう慣れた?」
気まずさを和らげようとしたのか、叔母さんが不自然な笑顔で問いかけてきた。
「……うん。まあ、ぼちぼち」
オレは箸を止めず、そっけなく返す。
そのとき、不意にこぼれた一言が、空気を切り裂いた。
「……いつまでこうして気を遣わなきゃいけないのかしらね」
静寂が凍りつく。
オレは箸を置き、立ち上がった。
「……オレ、部屋戻ります」
誰も引き留めなかった。背中にかけられる声もない。
ドアが閉まる音だけが、部屋の静けさをさらに際立たせた。
布団に入っても、眠れなかった。
目を閉じるたびに、胸の奥がざわついた。
思い出したくない記憶が、夜の静けさに乗って這い寄ってくる。サイレンの音。
焦げたような匂い。
血のにおい。
そして、誰かの――たしかに母の――悲鳴。
「やめて……思い出したくない……」
手が震える。息が苦しい。
でも、夢は容赦なく、オレをのみこんでいった。
気がつくと、あの場所だった。赤い彼岸花の野原。
どこまでも咲き乱れる赤が、やけに鮮明に見える。
その中央に、小さな自分――幼い頃のオレが、膝を抱えて泣いていた。
声も出せずに、震えている。
その背後から、そっと抱きしめるように寄り添う人影が現れる。
やさしい手。あたたかい腕。
「湊……大丈夫、大丈夫だよ」
――母さん?
震える唇が、次の言葉を紡いだ。
「……ごめんね、湊。ほんとは、守ってあげたかったのに……」
花が、波のように揺れる。
赤い海が広がるその中で、幼い自分が消えていく。
――バンッ!
胸の奥で何かが弾けて、飛び起きた。
翌朝。目の奥が熱い。眠った気がしない。
けれど、学校へ向かう足は、思いのほか重くはなかった。
廊下を歩いていたとき、声がした。
「湊くん、大丈夫……?」
振り向くと、侑ちゃんが立っていた。
彼女の目は、まっすぐこちらを見ている。
「顔色、悪いよ。……なんかあった?」
「……いや。寝不足なだけ」
それは嘘だった。
でも、彼女の目を見た瞬間、胸の奥に閉じ込めていた何かが、ほどける音がした。
「……また夢を見たんだ」
「事故のときのこと、少しだけ思い出した。母さんが、俺をかばって……最後に言ったんだ。『守ってあげたかった』って……」
その言葉に、侑ちゃんの瞳が静かに揺れる。
「……怖かった?」
小さな問いかけが、オレの心の奥まで届いた。
「……正直、思い出したくない。ずっとこのまま、忘れていられたらって、そう思ってた」
「でも……それでも」
侑ちゃんは、小さく息を吸って、続けた。
「一緒に思い出していこう。湊くんの痛みも、過去も……抱えきれなかったら、私も一緒に抱えるよ」
その言葉に、心の奥がじんわりと温かくなる。
まるで、凍りついていた時間が、ゆっくりと溶けていくようだった。
「……ありがとう」
やっと、それだけ言えた。
たった一言なのに、口にするまでに、こんなにも時間がかかった。
(まだ全部は言えない。けれど、少しずつなら――)
言葉にできない気持ちが、静かに芽吹いていく。
ふたりの歩幅が、ほんのわずかに、でも確かに近づいていた。




