第8話 神様の不在と見てほしい世界
いつものように出勤すると神様の姿が見えなかった。
「ミカ、神のログにアクセス。」
「不可能です。上位サーバー、沈黙中。」
「……また寝坊か?」
「最終記録:“少し休む”。」
「神様ってホワイト?」
「勤怠の概念は神界に存在しません。」
「ただのサボりか。」
神界オフィスの椅子は空っぽ。
湯気だけが律儀に立っている。
湯気に仕事をさせるな。
「白井さん、チート発生率が通常の三倍です。」
「祭りだな。」
「神の回収システムが止まっています。欲望がそのまま世界に漏れています。」
「蛇口壊れて水出っぱなしって感じか。」
「止水栓は神が持っています。」
「あいつが犯人じゃねぇか。」
「現場に急ぎましょう」
⸻
最初の現場は、駅前ロータリー。
耳を塞ぎたくなるほどの声の渦。
「見て!」「見ろ!」「わたしを見て!」
人も広告も、街路樹まで自己主張している。
「この枝、バランスいいだろう?」
「私の影、今が一番きれい!」
「“見てほしい”チート。」ミカが淡々と報告する。
「全員が発信者であり、受信者です。」
「SNSの悪夢が現実に出張ってきた感じだな。」
「処理落ちで市民の意識が混線中。」
「そりゃ目が足りねぇよな。」
人波の端に、ひとりの少年がしゃがみ込んでいた。
耳をふさいで、ただ震えている。
小さく、「見ないで」と呟いた。
白井は煙草を取り出した。
火をつける前に、やめた。
「……見られたい奴も、見られたくない奴も、同じ欲だ。」
指を鳴らす。
現実補正――発動。
「“見てほしい”を“理解してほしい”へ修正。
強制視線、解除。」
ざわめきが止んだ。
街の広告が静かに明滅し、風が通り抜けた。
少年はそっと顔を上げて、遠くの空を見た。
「……見えた。」
「何が?」
「雲。」
「いいもん見たな。」
⸻
商店街では、職人同士がフォントの優劣で争っていた。
「映えるのはこの角度だ!」
「こっちのキャッチの方が熱い!」
「欲望の伝染、続行中。」
「調整するか。」
指を鳴らす。
現実補正――発動。
職人たちは一斉に無言になり、
代わりにゆっくりと筆を動かし始めた。
「“見られたい”を、“いいものを作りたい”に直した。」
「またあなたの好みが入っています。」
「人生は主観でできてる。」
「非効率です。」
「だから美しいんだよ。」
⸻
夜。神界オフィスに戻る。
椅子はまだ空。
机の上に付箋が一枚。
《Wi-Fiの調子が悪いので戻れません —神》
「なんてひどい言い訳だ」
「“神の不在理由:通信障害”。記録しますか?」
「やめとけ、神がWi-Fiに左右されてたまるか」
──現実補正係、臨時代行中。
神様不在編に突入です。




