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第11話 現実補正係、誕生前夜


これは、俺がまだ「現実補正係」になる前の話。

神様と出会う前、 ただの人間として、息をしていた頃の話だ。


白井小太郎、二十六歳。

仕事は編集兼校正。

原稿を読み、句読点を打ち、他人の言葉を整えるのが日課だった。

文章を直しても、 誤植を消しても、作家たちは同じミスを繰り返す。

まるで終わりの来ないどぶ掃除でもしているような気分だった。


朝、満員電車。

昼、コンビニ弁当。

夜、編集部で徹夜。

「これが現実か」と思いながら、惰性で日々を生きていた。


ある日、胸の奥に妙な痛みを感じた。

心がどうとかではなく、胸の内側が深く絞られるような痛み。

病院に行き検査を終えると、医者は原稿を読むように告げた。

「がんですね。残念ながら手の施しようがありません。」


あぁ、本当にそんなドラマみたいなセリフを言うんだなと思った。

笑いも怒りも出てこず、

“終わり”という単語が、すっと体に沈んでいく感じだけが残った。


入院してから、時間が違う速度で流れはじめた。

壁の白がまぶしく、点滴のリズムがやけに整っていた。

外の世界が遠くなり、代わりに“現実”というものの細部が見えてきた。

朝の光、隣のベッドの咳、消毒液と果物の匂い。

どれも、かつては気にも留めなかったものだ。

それらが今になって、なぜか愛おしく感じる。


しばらく入院生活が続いたある日、かつてないほどの痛みが、俺の全身を駆け巡った

あぁ…今日死ぬんだなとようやく実感する。

そんな時、隣のカーテンの向こうから男女の話し声がした。


「今週号のあの漫画マジやばかったぜ!!

 編集のテコ入れが上手いんだろうな!どんどん良くなってるよ!」

「早く病気を治して学校においでよ?

 みんなで考察して盛り上がってるんだから。」


くだらねぇな……と思いながら、耳を塞げなかった。

「……いいな、ああいうの。

  俺も、もう一回くらい笑いたかったな。」


そう呟いたとき、胸の奥で何かがはじけた。

苦しさじゃなく、気持ちがあふれかえった。


「死にたくない。まだ、普通に生きたい……」

その言葉が口からこぼれ涙が滴った瞬間、胸がぐっと締め付けられ、意識が途切れた。



少し時間が経っただろうか、俺が目を覚ますと、病室の空気がふっと変わる。

消毒液の匂いの中に、雨上がりの土の匂いが混じっている。

そして柔らかな声がした。

「やっと、現実を褒めたね。」


ベッドの足元に、女が立っていた。

白い髪が肩にかかり、長いローブをまとっている。

年齢はわからない。

人間よりも、時間の長さそのものに見えた。

「……誰だ?」

「神様、って呼ばれてる。」

「……神様って、もっと派手じゃないの?」

「派手な時代もあったけど、飽きちゃってね。」

神様は椅子に座り、俺の顔を覗き込んだ。

「俺は…死んだのか?」

「死んだねぇ。 そりゃもう完全に死んだ」

「そうか……そういえば、別に現実を褒めたつもりはないんだけど?」

「“普通に生きたい”って願ったじゃないか。それが、この世界を肯定した証拠だよ。

  神様だって、自分が作った世界を褒めてもらえると、やっぱりうれしいものなんだ。」

神様はフンと鼻息を鳴らして胸を張った。


机の上の雑誌を手に取ると、

神様はページを指でなぞった。

「編集って、間違いを直す仕事でしょ?」

「まぁ、一応。」

「でも本当は、“作家が伝えたいこと”を探す仕事じゃない?」


俺は、少し黙った。確かに、そうだった。

誤字を直すより、

“この人は何を言いたかったんだろう”と考える時間の方が長かった。


「だから、あなたにお願いしたい。

 人々の願いを正しい方向に導いてほしい。」

「……仕事、ですか。」

「うん。異世界の現実補正係として働いてもらいたいんだ。

 そうだな…ラノベ風に言うと、

 “異世界にチート主人公が増えすぎたので、神様に代わって俺が奴らを成敗します。”

 ってところかな?」

「売れなさそうだな…」

「私もそう思う。」

女神は苦笑いして、

机にブラックの缶コーヒーを置いた。

「さて、これを飲めば契約成立だ」

「味は?」

「飲んでみてのお楽しみ。」


俺は笑い、缶を受け取った。

なんてことないブラックコーヒー。

だけどそれが体の隅々に染みていき体の芯が温まる。

「ん?なんかこういうのって、能力の覚醒と共に光とか出るんじゃないの?」

「あぁ、君の場合、そういうのはないんだ。」

「えぇ……ひょっとしてあんまりやる気ない感じ?」

「省エネと呼んでくれたまえ」

彼女は立ち上がり、ローブの裾を整えた。

「白井小太郎。あなたの“生きたい”は、ちゃんと届いた。

 だから次は、誰かの願いを拾ってあげて。」

「俺にできるかね。」

「できるさ。だって、君は現実を望んだんだのだから。」



神界オフィス。

椅子は空。

机の上に缶コーヒーが一本。

プルタブには付箋が貼られている。

《どうしてもやる気が出ないよぉ……》


白井は缶を開けて缶コーヒーをあおった。

「作家がいなきゃ、編集は怒られるだけなんだよ。

 つべこべ言わずにさっさと戻ってこい!」


──現実補正係、本日も人間代表として稼働中。


白井さんの過去編でした。

次回、神様は戻ってくるのか?

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