第8話「すれ違いと反発」
レオンに命を救われてから三日が経った。
セレスティアは毎日、彼に改めてお礼を言う機会を探していた。昨夜の出来事以来、彼女の心には複雑な感情が渦巻いている。
確かに彼は冷たく、自分を「悪徳令嬢」として警戒している。しかし、それでも命の危険に晒された時、躊躇なく助けてくれた。
その行動の裏にある本当の気持ちを、知りたいと思った。
「レオン様は、いつも村の見回りをしていらっしゃるのですか?」
エルナ婆に尋ねると、彼女は頷いた。
「ああ、朝と夕方に必ず村を回ってくれるよ。魔物の痕跡がないか、不審者がいないかを確認してね」
「朝と夕方……」
「特に夕方は、村はずれの森まで見に行ってくれる。あそこは魔物が出やすい場所だからね」
エルナ婆の情報を元に、セレスティアは夕方の見回り時間に合わせて待ち伏せることにした。
村はずれの小道で、レオンの姿を待つ。夕日が山の稜線に沈みかけ、空がオレンジ色に染まっている。
やがて、馬蹄の音が聞こえてきた。
黒い軍馬にまたがったレオンが、森の方から戻ってくる。今日も兜をかぶっており、その表情は見えない。
「あの、レオン様」
セレスティアが小道に出て声をかけると、レオンは馬を止めた。
「なんだ」
素っ気ない返事だったが、セレスティアは勇気を出して続けた。
「先日は、本当にありがとうございました。改めて、心からお礼を申し上げたくて」
「礼はもう聞いた」
「でも、まだ十分にお伝えできていません。もしよろしければ、なにかお返しをさせていただきたいのですが」
レオンが馬上から見下ろす視線が、より冷たくなったような気がした。
「お返し?」
「はい。料理でも、洗濯でも、なんでも」
セレスティアの申し出に、レオンは小さく鼻で笑った。
「王都の令嬢が、なにができるというのだ」
その言葉には明確な侮蔑があった。
「確かに、まだ不慣れですが……」
「不慣れ、ではなく無能だろう」
レオンの辛辣な言葉に、セレスティアの心は傷ついた。
しかし、彼女はここで引き下がるわけにはいかなかった。
「では、掃除はいかがでしょうか。お住まいを綺麗にさせていただくとか」
「余計なお世話だ」
「それでは、読み書きをお教えするとか」
「馬鹿にするな」
レオンの声に怒りが混じった。
「俺を無学な田舎者だと思っているのか」
「そんなつもりでは……」
「王都の人間は皆そうだ。辺境の住民を見下している」
セレスティアは慌てて手を振った。
「違います。私はそんなつもりでは」
しかし、レオンの誤解は深まるばかりだった。
かつて「悪役令嬢」を演じていたときの高慢な口調が、無意識に出てしまっていたのだ。
「お礼をしたいという気持ちは本当です。でも、お気に障ったなら申し訳ありません」
セレスティアが深く頭を下げたが、レオンの態度は軟化しなかった。
「俺は村を守っただけだ。個人的な感情は一切ない」
「でも……」
「これ以上話すことはない」
レオンが馬に拍車をかけようとしたとき、セレスティアは思わず大きな声を上げた。
「お待ちください!」
レオンが振り返ると、兜の奥から鋭い視線が向けられた。
「まだなにか用か」
「私は、本当にお礼がしたいだけなのです」
セレスティアの声には、必死さが込められていた。
「なぜ、そこまで拒否されるのでしょうか」
「拒否?」
レオンが馬から降りた。その動作には、明らかな苛立ちがあった。
「お前はなにもわかっていない」
近づいてくるレオンの威圧感に、セレスティアは一歩後ずさりした。
「王都から追放された悪徳令嬢が、突然現れて恩着せがましく振る舞う。それがどれほど不快なことか」
「恩着せがましく……そんなつもりは」
「ないと言うのか?」
レオンの声が低くなった。
「お前は今まで、平民を見下し、下級貴族を馬鹿にし、弱者を踏みつけてきた。それが王都での評判だろう」
セレスティアは言葉を失った。
確かに、過去一年間はそのような「演技」をしていた。しかし、それは全て強制されたものだった。
「そのようなお前が、今更善人ぶって恩返しをしたいと言う。茶番にも程がある」
「私は、善人ぶっているわけでは……」
「ではなんだ? 改心したとでも言うのか?」
レオンの問いかけに、セレスティアは答えに窮した。
真実を話したところで、信じてもらえるだろうか。王太子に脅迫されて演技を強いられていたなど、あまりに都合の良い言い訳に聞こえるだろう。
「お前のような人間が、簡単に変われるものか」
「人は、変わることができないのでしょうか」
「できる者もいるだろう。だが、お前は違う」
「なぜ、そう断言できるのですか」
「王都での行いを見ればわかる。お前は根っからの悪女だ」
その言葉が、セレスティアの心に深い傷を刻んだ。
彼女が一年間苦痛に耐えながら演じてきた「悪役令嬢」が、今では彼女の本性だと思われている。
「私は……私は本当は……」
「本当はなんだ?」
レオンが詰め寄る。
「まさか、自分は悪人ではないとでも言うのか?」
セレスティアは震えていた。
真実を話したい気持ちと、信じてもらえない恐怖の間で揺れている。
「俺は村を守る騎士だ。お前の個人的な事情や心境の変化など、知ったことではない」
レオンが再び馬にまたがろうとしたとき、セレスティアは最後の勇気を振り絞った。
「でも、あなたは私を助けてくださいました」
「村を守るためだ。お前個人のためではない」
「それでも……」
「それでもなんだ」
レオンの冷たい視線が、セレスティアを見下ろす。
「もし本当に村のためだけなら、盗賊を追い払った後、私に怪我がないか確認する必要はなかったはずです」
その指摘に、レオンの動きが僅かに止まった。
「あなたは『怪我はないか』と声をかけてくださいました。それは、私個人を気遣ってくださったからではないでしょうか」
「……深読みするな」
レオンの声に、僅かな動揺があった。
「私は、その優しさに感謝したいのです」
「優しさ?」
レオンが鼻で笑う。
「お前には、人の好意を見抜く目もないのか」
「では、なぜ助けてくださったのですか」
「村に盗賊が住み着いては困るからだ。それ以外に理由はない」
レオンの説明は論理的だったが、セレスティアには腑に落ちない部分があった。
確かに盗賊の排除は重要だろう。しかし、あの時の彼の行動には、それ以上の何かがあったように感じられた。
「俺は村を守る。お前を守るわけではない。勘違いするな」
「わかりました」
セレスティアは静かに答えた。
これ以上押し問答を続けても、状況は悪化するばかりだろう。
そのとき、近くの茂みからエルナ婆が現れた。
「あんたら、なにをやってるんだい」
エルナ婆の登場に、二人は驚いた。
「エルナ婆……いつから」
「最初からさ。こんな大声で話してたら、聞こえるに決まってるだろう」
エルナ婆が二人の間に割って入る。
「レオン、あんたも大人気ないねえ」
「エルナ婆、これは……」
「この子はね、本当にお礼を言いたかっただけなんだよ」
エルナ婆がセレスティアを庇う。
「確かに王都から来た追放者だけど、悪い子じゃないよ」
「あなたは、彼女のなにを知っているのですか」
レオンが疑問を口にする。
「この数日間、よく見てるからね。一人で小屋を修理しようと頑張ってるし、村人に挨拶もちゃんとする」
エルナ婆の証言に、レオンは黙った。
「それに、困ってる子どもがいたら声をかけてるし、井戸の掃除も手伝ってくれた」
「井戸の掃除を?」
「そうさ。だれも頼んでないのに、自分からやってくれたんだ」
セレスティアは恥ずかしそうに俯いた。
確かに井戸の掃除は手伝ったが、村人に認めてもらいたい一心でやったことだった。
「お前、なぜそんなことを」
レオンがセレスティアに問いかける。
「村の皆さんにお世話になっているので、少しでもお役に立てればと思って」
「だれも頼んでないぞ」
「でも、井戸が汚れていると、皆さんが困ると思いましたから」
セレスティアの答えに、レオンは複雑な表情を見せた。
「レオン、この子はあんたが思ってるような悪い子じゃないよ」
エルナ婆が再び口を挟む。
「確かに王都では悪徳令嬢って呼ばれてたらしいけど、人間ってのは変わることができるもんだ」
「人は、そう簡単には変われない」
「あんたもそうやって、心を閉ざしてるからダメなんだよ」
エルナ婆の鋭い指摘に、レオンは言葉を失った。
「この子は、本当に心を入れ替えようとしてる。それくらい見抜けないのかい?」
「エルナ婆……」
「レオン、あんたは村を守ってくれる大切な人だ。でも、ときどき頑固すぎるよ」
エルナ婆の言葉に、レオンは困惑した表情を見せた。
「この子だって、新しい人生を始めようと頑張ってるんだから、もう少し優しくしてやりなよ」
「俺は、村を守るのが仕事です」
「それはわかってる。でも、村人の一人として扱うことくらいできるだろう?」
エルナ婆の説得に、レオンは黙り込んだ。
確かに、セレスティアの井戸掃除の話は初耳だった。もし本当なら、彼女なりに村のために行動しているということになる。
エルナ婆が去った後、二人は気まずい沈黙の中にいた。
「あの、レオン様」
セレスティアが口を開こうとした時、レオンが手で制した。
「エルナ婆の言うことが本当なら、少しは見直してもいい」
「ありがとうございます」
「ただし」
レオンの声が再び厳しくなった。
「井戸掃除程度で改心したと思うな。本当に変わったというなら、行動で示せ」
「はい、承知いたしました」
セレスティアが素直に答えたが、レオンの態度は相変わらず冷たかった。
「それと、俺に恩返しをしたいなら、村に迷惑をかけないことだ」
「迷惑など、かけるつもりはありません」
「本当にそう思っているのか?」
レオンの問いかけに、セレスティアは戸惑った。
「お前がここにいることで、すでに村は危険に晒されている」
「それは……」
「盗賊が来たのも、お前が原因だ」
確かにその通りだった。セレスティアも自分の存在が村に負担をかけていることは理解している。
「でも、私にはもう帰る場所がありません」
「それはお前の都合だ」
「そんな……」
「村のことを本当に考えているなら、自分から出て行くはずだ」
レオンの指摘は正論だった。しかし、セレスティアにとっては酷な要求でもある。
「私は、この村で新しい人生を始めたいと思っています」
「新しい人生?」
「はい。今まで演じてきた悪役令嬢ではなく、本当の自分として」
「……ふん」
レオンがうんざりしたような表情を見せる。
「本当の自分、などという都合のいい言い訳はやめろ」
「言い訳ではありません」
セレスティアの声に、珍しく強さがあった。
「私は確かに、王都で多くの人を傷つけました。でも、それには理由があったのです」
「理由?」
「はい。でも、今ここでそれを話しても、信じてはもらえないでしょう」
セレスティアの言葉に、レオンは興味を示した。
「なぜそう思う」
「あまりにも都合のいい話だからです。でも、いつかわかっていただける日が来ると信じています」
「甘い考えだ」
レオンが首を振る。
「時間が解決してくれると思っているのか?」
「いえ、私の行動で証明するつもりです」
「行動で、か」
「はい。言葉ではなく、行動で示します」
セレスティアの決意を聞いて、レオンは複雑な表情を見せた。
「まあ、勝手にしろ」
結局、彼はそれ以上何も言わなかった。
「それでは、失礼いたします」
セレスティアが頭を下げて立ち去ろうとした時、レオンが声をかけた。
「一つだけ言っておく」
「はい」
「村人を失望させるようなことがあれば、俺がお前を追放する」
「わかりました」
「それと」
レオンが僅かに声のトーンを和らげた。
「井戸掃除の件は、悪くなかった」
その言葉に、セレスティアの顔が明るくなった。
「ありがとうございます」
「勘違いするな。評価しただけで、信用したわけではない」
「はい、承知しております」
セレスティアが微笑んだが、レオンはそっぽを向いた。
「では、これで」
レオンが馬に跨がり、村の方へ向かって行く。
その後ろ姿を見送りながら、セレスティアは小さく呟いた。
「ありがとうございました、レオン様」
風に乗って、その言葉がレオンの耳に届いたかもしれない。
彼の背中が、僅かに反応したような気がした。
しかし、それも一瞬のことで、すぐに夕闇の中に消えて行った。
セレスティアは、改めて決意を固めた。
時間はかかるかもしれないが、必ずレオンに本当の自分を理解してもらう。
そして、この村で受け入れられるような人間になってみせる。
「あの方、一体何者なのかしら」
夕日が完全に沈み、空が紫色に染まる中、セレスティアの興味と好奇心は募るばかりだった。
彼の過去に何があったのか。
なぜ一人で辺境を守っているのか。
そして、なぜあれほどまでに心を閉ざしているのか。
いつか、その謎を解き明かしてみたいと思った。




