第7話「謎の騎士レオンとの出会い」
ケースラント村での生活を始めて三日目の夜、セレスティアは再び不審な気配を感じていた。
昨夜と同じように、小屋の周りを何者かが歩き回っている。しかし今夜は、その気配がより近く、より危険なものに感じられた。
「まただれかが見張っているのかしら」
セレスティアは息を殺して様子を窺った。しかし、今夜の侵入者は単なる好奇心で来ているのではないようだった。
扉を試すような音、窓の隙間を調べるような音。明らかに小屋への侵入を試みている。
「まずい」
セレスティアの背筋に冷や汗が流れた。
村人たちの話を盗み聞きしたところによると、この辺りにはときどき盗賊が出没するらしい。王都から来た追放者が貴重品を持っているという噂を聞きつけて、狙いを定めたのかもしれない。
確かにセレスティアは、王都から持参した多少の所持品がある。村の基準からすれば十分に価値のある品々だった。
ガタガタと扉が揺れる音がした。
誰かが外から力を込めて押している。古い扉の蝶番がきしんで、今にも壊れそうだった。
「開けろ、女」
ドスの利いた男の声が聞こえた。
「王都から来た令嬢だろう。金目の物を持ってるはずだ」
やはり盗賊だった。それも一人ではない。少なくとも二、三人の声が聞こえる。
「素直に渡せば命だけは助けてやる」
「抵抗すれば、どうなるかわかってるな」
脅迫的な言葉に、セレスティアは震え上がった。
王都にいた頃は、このような直接的な危険に晒されることなど一度もなかった。常に護衛がおり、安全な屋敷で保護されていた。
しかし今の彼女は完全に無防備だった。
扉がついに壊れ、三人の男が小屋に押し入ってきた。
顔には布を巻いているが、その体つきや武器から見て、手慣れた盗賊であることは明らかだった。短剣や棍棒を手にしている。
「やっぱりいたじゃないか、王都の令嬢が」
リーダー格らしき男が、下品な笑みを浮かべながらセレスティアに近づく。
「随分と美人だな。これなら金の他にも楽しめそうだ」
その言葉に込められた邪悪な意図を理解して、セレスティアは恐怖で身体が硬直した。
「やめて……お金だけで我慢してください」
震え声で懇願したが、盗賊たちは聞く耳を持たなかった。
「王都の令嬢様がお願いしてるぞ」
「でも俺たちは欲張りなんだ。全部もらっていくよ」
盗賊の一人がセレスティアの手首を掴んだ。
その瞬間、セレスティアは諦めかけた。こんな辺境で、誰も助けに来てくれる人はいない。
村人たちは彼女を嫌っているし、夜中に起こる騒動に気づいても、知らないふりをするだろう。
「神様、どうか……」
最後の祈りを捧げたとき、小屋の外から新たな足音が聞こえた。
「何者だ」
盗賊たちが警戒の声を上げた瞬間、小屋の扉が勢いよく蹴破られた。
月光を背にして立つ男の影が、圧倒的な存在感を放っている。
漆黒の鎧に身を包み、腰には長剣を携えた騎士だった。フルフェイスの兜をかぶっているため表情は見えないが、その威圧感は尋常ではない。
「盗賊か」
低く響く声が、小屋の中に静寂をもたらした。
「て、手出しするな! この女になにかあっても知らないぞ」
盗賊のリーダーが短剣をセレスティアの喉に突きつける。
しかし、騎士は動じる様子もなく、ゆっくりと歩を進めた。
「最後の警告だ。武器を捨てて立ち去れ」
「ふざけるな! 一人でなにができる」
盗賊の一人が棍棒を振り上げて襲いかかった。
その瞬間、騎士の動きが変わった。
まるで黒い稲妻のような素早さで剣を抜き、一閃。棍棒が真っ二つに切断され、盗賊は尻餅をついて倒れた。
「ひい!」
「化け物か、こいつは」
残る二人の盗賊が後ずさりする。
リーダーだけは必死にセレスティアを盾にしようとしたが、騎士は一歩も躊躇しなかった。
剣の切っ先が、リーダーの手首を狙い撃ちする。完璧にコントロールされた一撃で、セレスティアには一切危害を加えることなく、リーダーの武器だけを弾き飛ばした。
「うわあああ」
リーダーが手首を押さえて悲鳴を上げる。深手ではないが、短剣を握ることはできない。
「次は首を狙う」
騎士の冷たい宣告に、盗賊たちは戦意を完全に失った。
「ひ、許してくれ」
「もう二度と来ません」
「金なんてどうでもいい」
三人は這々の体で小屋から逃げ出していく。
その後ろ姿を見送ってから、騎士は剣を鞘に収めた。
一連の戦闘は、わずか三分程度で終わっていた。圧倒的な技術力の差を見せつけた、完璧な制圧だった。
「怪我はないか」
騎士が振り返ると、兜の奥から深い声が響いた。
セレスティアは呆然としていた。あまりにも劇的な救出劇に、現実感がない。
「あの……ありがとうございました」
ようやく口を開いたが、声は震えていた。
「礼はいい。村を守るのが俺の仕事だ」
騎士は素っ気なく答えると、破れた扉を確認した。
「明日には修理の者を向かわせる。今夜は戸締りを厳重にしておけ」
「あなたは……」
セレスティアが名前を尋ねようとしたとき、小屋の外から村人たちの声が聞こえてきた。
「何事だ」
「騒ぎが聞こえたが」
「レオン様のお姿が見える」
村人たちが松明を持って駆けつけてくる。その中には村長ゲルハルトの姿もあった。
「レオン様、なにがあったのですか」
村長が恭しく騎士に尋ねる。
「盗賊が三人、この女を襲った。追い払ったが、また来る可能性がある」
「盗賊を、ですか」
村人たちがざわめく。彼らの表情には、安堵と同時に複雑な感情が見て取れた。
セレスティアを助けたことを喜んでいるわけではなく、村の治安が乱れたことを心配している。
「やはり、あの女がいるから災いが降りかかる」
「王都の連中の目を引いたんじゃないか」
小声で囁かれる批判の言葉に、セレスティアの心は沈んだ。
命を救われたというのに、結果的には村人たちの反感を買ってしまった。
村人たちが散らばった後、騎士は再びセレスティアに向き直った。
「初めて会うな。俺はレオン・ヴォルフガング」
ようやく名乗りを聞いたが、その名前には聞き覚えがなかった。王都の騎士名簿にも載っていない名前だった。
「セレスティア・ルクレールです。この度は、本当にありがとうございました」
今度は心を込めて礼を述べた。この人がいなければ、今頃どうなっていたか分からない。
「王都から追放された悪徳令嬢か」
レオンの言葉には、明確な軽蔑が込められていた。
「村人から話は聞いている。随分と悪事を働いたそうだな」
その冷たい口調に、セレスティアは胸が痛んだ。
命の恩人であっても、やはり彼女を「悪徳令嬢」としか見ていない。村人たちと同じ反応だった。
「私は……」
弁明しようとしたが、レオンが手で制した。
「言い訳は聞きたくない。俺は村を守る騎士だ。お前個人の事情には興味がない」
「それでも、今夜は助けてくださって……」
「俺は村の平和を守っただけだ。盗賊が村に入り込むことは許せない。それだけの話だ」
レオンの態度は一貫して冷淡だった。
しかし、セレスティアは彼の行動に矛盾を感じていた。もし本当に彼女のことをどうでもいいと思っているなら、なぜこれほど迅速に助けに来てくれたのだろうか。
「あなたは、どちらの騎士団に所属していらっしゃるのですか?」
「どこにも属していない。この辺境を守るのが俺の使命だ」
独立した騎士。それは珍しいことだった。通常、騎士は王国軍か貴族の私兵として仕えるものだ。
「一人で、この広い辺境を?」
「一人で十分だ」
レオンの自信に満ちた口調に、セレスティアは彼の実力を改めて実感した。
先ほどの戦闘を見る限り、確かに一人でも十分すぎる戦力を持っている。三人の盗賊を相手に、まったく苦戦する様子もなかった。
「でも、なぜこの辺境に? 王都や他の都市なら、もっと待遇の良い騎士団があるはずです」
セレスティアの質問に、レオンの雰囲気が微妙に変わった。
兜の奥で、何かを思案しているような沈黙が流れる。
「……個人的な理由だ」
結局、彼はそれ以上語ろうとしなかった。
「今夜のことは、村人たちに詳しく話すな。余計な憶測を呼ぶだけだ」
「わかりました」
「それから、王都から来たからといって甘えるな。ここは辺境だ。自分の身は自分で守れ」
厳しい言葉だったが、そこに込められた意図を、セレスティアは理解していた。
彼女が自立できなければ、今後も同じような危険に晒される。村人たちの反感も収まらない。
「はい、気をつけます」
「それでいい」
レオンは踵を返すと、小屋から出て行こうとした。
「あの、レオン様」
セレスティアが引き止めると、彼は振り返った。
「もう一度、お礼を言わせてください。本当にありがとうございました」
深く頭を下げるセレスティアを、レオンはしばらく見つめていた。
兜の奥の表情は見えないが、何かを考えているような気配があった。
「……礼はいらないと言っただろう」
そう言いながらも、その声には先ほどまでの冷たさが少し和らいでいるような気がした。
「おやすみなさい、レオン様」
「……ああ」
レオンは短く返事をして、夜の闇に消えて行った。
翌朝、昨夜の出来事は既に村中の話題になっていた。
「盗賊が来たらしいな」
「レオン様が追い払ってくださったそうだ」
「でも、なぜあの女のところに」
村人たちの会話は、複雑な感情に満ちていた。
一方では、盗賊を追い払ってくれたレオンへの感謝がある。しかし他方では、セレスティアの存在が村に災いをもたらしているという不安もある。
「やはり、王都の女がいると碌なことがない」
「今度はなにが起こるかわからない」
「レオン様にご迷惑をおかけして」
批判的な声が多数を占めていた。
セレスティアは井戸で水を汲みながら、そんな声を聞いていた。反論したい気持ちもあったが、今は耐えるしかない。
「お嬢ちゃん、大変だったねえ」
声をかけてきたのは、エルナ婆だった。
「エルナさん……」
「怖かっただろう。でも、レオン様が助けてくれてよかったよ」
エルナ婆だけは、素直にセレスティアを心配してくれている。その優しさが、心に染みた。
「レオン様は、どのような方なのですか?」
「あの人かい? この村の守護神みたいなもんだよ」
エルナ婆が遠くを見つめながら語る。
「五年前にこの村に来てからずっと、魔物や盗賊から村を守ってくれている。あの人がいなかったら、この村はとっくに滅んでいたよ」
「五年前に……」
「そうさ。なんの前触れもなく現れて、それ以来ずっと村の安全を守ってくれている」
エルナ婆の話によると、レオンは村人からの報酬も受け取らず、ただ黙々と村を守り続けているという。
「でも、なぜそこまでしてくださるのでしょう?」
「さあねえ。本人はなにも語らないからね。でも、きっと深い理由があるんだろう」
エルナ婆の表情には、レオンへの深い敬愛の念が表れていた。
「村の人たちも、皆レオン様を慕っているのですね」
「当然さ。命の恩人だもの。でも……」
エルナ婆が言葉を詰まらせる。
「でも?」
「あの人、いつも一人なんだよ。村人と親しく話すことも、笑うことも、ほとんどない」
「孤独な方なのですね」
「そうかもしれない。でも、それでも村を守り続けてくれている。立派な人だよ」
エルナ婆の話を聞いて、セレスティアはレオンという人物に興味を持った。
なぜ一人で辺境の村を守っているのか。何が彼をそこまで駆り立てるのか。
昨夜の救出劇を思い返すと、確かに彼の行動には使命感以上の何かがあるように感じられた。
午後になって、セレスティアが小屋の修理に取り組んでいると、レオンが現れた。
今度は兜を外しており、初めて彼の素顔を見ることができた。
彫りの深い端正な顔立ち、鋭い青い瞳、そして口元に刻まれた厳しい線。年齢は二十五歳前後だろうか。
美男子と言えるが、その表情には近寄り難い冷たさがあった。
「扉の修理は済んだか」
「はい、なんとか応急処置は」
セレスティアが振り返ると、レオンは修理の出来具合を確認した。
「下手だが、とりあえずは持つだろう」
率直な評価に、セレスティアは苦笑いを浮かべた。
「王都の令嬢には、荷が重い作業だっただろうな」
「そうですね。でも、慣れるしかありません」
「賢明な判断だ」
レオンが意外にも彼女の姿勢を評価したことに、セレスティアは少し嬉しくなった。
「ただし、油断は禁物だ」
レオンの表情が再び厳しくなる。
「昨夜の盗賊は諦めたわけではない。必ず仲間を集めて戻ってくる」
「そんな……」
「王都の人間は信用できん。特に追放された理由があるような者は」
その言葉に、セレスティアの心は沈んだ。
やはり彼も、村人たちと同じように自分を見ている。悪役令嬢として。
「大人しくしていろ。これ以上村に迷惑をかけるな」
「私は、迷惑など……」
「昨夜の件で、すでに村人たちの不安は高まっている。お前がここにいる限り、村は狙われ続けるだろう」
レオンの指摘は的確だった。
確かにセレスティアの存在が、村に新たな危険をもたらしている。それは否定できない事実だった。
「でも、私にはもう行くところが……」
「それはお前の問題だ」
冷たく言い放つと、レオンは踵を返した。
「レオン様、待ってください」
セレスティアが呼び止めると、彼は振り返った。
「昨夜は本当にありがとうございました。そして、村のことを教えてくださって」
「…………」
レオンは何も答えなかった。ただ、その青い瞳でセレスティアを見つめていた。
「私は、この村で新しい人生を始めたいと思っています。時間がかかるかもしれませんが、必ず村の皆さんに認めてもらいたい」
「無理だな」
即座に否定されたが、セレスティアは諦めなかった。
「でも、挑戦してみます。本当の私を知ってもらえるように」
「本当の、だと?」
レオンの表情に、わずかな変化があった。
「はい。今まで演じていた悪役令嬢ではなく、本当のセレスティア・ルクレールを」
その言葉に、レオンは興味深そうな表情を見せた。
しかし、すぐに元の冷たい表情に戻る。
「好きにしろ。ただし、村に危害を加えるようなことがあれば、俺がお前を追放する」
「わかりました」
「それでいい」
レオンは再び歩き始めた。
「また会うことがあるかもしれませんが、そのときはよろしくお願いします」
セレスティアの言葉に、レオンは僅かに足を止めた。
しかし、振り返ることなく立ち去って行った。
夕日が彼の黒い鎧を照らし、その後ろ姿は孤独な戦士そのものだった。
セレスティアは、彼をもう一度見たいと思った。
今度は、もっと違う状況で会うことができれば。
そして、いつか彼に本当の自分を理解してもらえる日が来ることを、密かに願っていた。




