第29話「恋心の自覚と新たな絆」
レオンの告白から三日が過ぎた朝、セレスティアは小屋で一人朝食を取りながら、自分の心と向き合っていた。
あの夜からずっと、彼の言葉が頭から離れない。
「俺は君を愛している」
「君は俺の光だ」
そのときの月光に照らされたレオンの表情、真摯な瞳、温かい手の感触。すべてが鮮明に記憶に残っている。
「私の気持ちは」
パンを齧りながら、セレスティアは自分に問いかける。
レオンがいない生活など想像できない。彼に何かあったら、きっと生きていけない。一緒にいると安心するし、彼の笑顔を見ると嬉しくなる。
「でも、これが恋愛感情なのかしら」
王太子リシャールとの関係を思い返してみる。あれは最初から政略結婚が前提の婚約で、恋愛感情など存在しなかった。
彼と一緒にいても心は躍らなかったし、触れられても何も感じなかった。むしろ、演技を続けることの疲労感の方が強かった。
「あれは偽物だったのね」
今なら分かる。王太子への感情は恋愛ではなく、ただの義務感だった。
では、レオンに対する気持ちは?
彼の声を聞くと心が弾む。彼が危険な目に遭うと胸が苦しくなる。彼と一緒にいる時間が、一日の中で最も幸せに感じる。
「これが、本当の恋愛感情なのね」
ついに自覚することができた。
自分はレオンを愛している。心の底から、深く愛している。
王太子への感情が演技だったのに対し、レオンへの感情は真実だった。
「だから、あんなにも心が温かくなったのね」
彼に「光」と呼ばれたときの感動も、今なら理解できる。
愛する人から、これほど美しい言葉で表現された愛情。それがどれほど特別なことか。
朝食を終えたセレスティアは、織物工房に向かった。
今日から新しい織物の製作が始まる予定だった。しかし、心はレオンのことでいっぱいだった。
「おはようございます、セレス姫様」
「おはようございます」
工房の女性たちに挨拶しながら、セレスティアは今朝の気づきを反芻していた。
「恋をしているのね、私」
その実感が、胸の奥で温かく脈打っている。
作業中も、レオンのことを考えずにはいられない。
彼の真剣な表情、優しい笑顔、力強い手。そして何より、あの告白のときの真摯な瞳。
「でも、どうやって伝えればいいのかしら」
自分の気持ちに確信は持てたが、それをどう伝えるかは別問題だった。
恋愛経験のない自分には、どのような言葉を使えばいいのか分からない。
昼食の時間になると、レオンが工房を訪れた。
「調子はどうだ?」
「はい、順調です」
いつものやりとりだったが、セレスティアの心境は大きく変わっていた。
レオンの声を聞くだけで、心臓が早鐘を打つ。彼の姿を見るだけで、頬が熱くなる。
「なにか変わったことはないか?」
「いえ、特には」
レオンが心配そうに見つめてくる。
告白以来、彼も少し様子が違う。以前より優しい表情で接してくれるが、同時に遠慮がちでもある。
セレスティアの答えを急かすまいとする気遣いが伝わってくる。
「それならよかった」
「あの、レオン」
「なんだ?」
セレスティアが何かを言いかけて、結局口ごもってしまう。
まだ、どう伝えればいいのか分からない。
「いえ、なんでもありません」
「そうか」
レオンは追求しなかった。彼女のペースを尊重しようとしているのが分かる。
午後の作業中、セレスティアは村の子どもたちに読み書きを教えていた。
「セレス先生、今日はなんのお話ですか?」
ルルが目をキラキラさせながら尋ねる。
「今日は、王国の歴史についてお話ししましょう」
「わあ、面白そう」
子どもたちの純粋な反応に、セレスティアの心は癒された。
しかし、授業中もレオンのことが頭から離れない。
「先生、ぼんやりしてますよ」
年上の子どもに指摘されて、セレスティアは我に返った。
「ごめんなさい。続きをお話ししますね」
子どもたちは無邪気に笑っている。
「先生、恋をしてるんですか?」
突然の質問に、セレスティアは動揺した。
「な、なぜそんなことを?」
「だって、顔が赤いし、ぼんやりしてるし」
「お母さんが同じ感じになったことがあるって言ってました」
子どもたちの鋭い観察力に驚く。
「大人の事情は、複雑なのよ」
曖昧にごまかすしかなかった。
夕方になり、レオンが見回りに出かける時間になった。
「今日も一緒に回るか?」
「はい、お供します」
最近の日課となった共同パトロール。
二人で村の周辺を歩きながら、セレスティアは意識してレオンを観察していた。
彼の横顔、歩く姿、話し方。すべてが愛おしく思える。
「最近、君の様子が少し違うな」
「そうですか?」
「ああ。なにか心配事でもあるのか?」
レオンの気遣いに、セレスティアの心は温かくなった。
「心配事というより」
「というより?」
「考え事が多くて」
「そうか」
レオンは深く追求しなかった。きっと告白の件だと察しているのだろう。
「無理をしなくていい。君のペースで構わない」
その優しさが、セレスティアの決意を後押しした。
もう逃げてはいけない。自分の気持ちに正直になるべきときが来ている。
見回りを終えて村に戻る道すがら、セレスティアは勇気を振り絞った。
「レオン、あの」
「なんだ?」
「先日のお話のことで」
レオンの表情が真剣になった。
「まだ答えを急ぐ必要はない」
「いえ、そうではなくて」
セレスティアが立ち止まる。
「私、恋愛のことがよくわからないと言いましたが」
「ああ」
「でも、一つだけわかることがあります」
レオンも足を止めて、彼女を見つめる。
「あなたがいない生活は、もう考えられません」
「セレス」
「あなたと一緒にいるときが、一番幸せです」
セレスティアの頬が紅潮している。
「あなたになにかあったら、きっと生きていけません」
「それは」
「これが恋愛感情なのかどうか、まだ確信はありませんが」
セレスティアがレオンを見上げる。
「でも、あなたはとても大切な人です」
「俺もだ」
レオンが彼女の手を取る。
「君は俺にとって、世界で一番大切な人だ」
二人の手が重なり合う。温かい感触が、お互いの心を通わせていく。
「ありがとうございます」
「なにに対してだ?」
「待ってくださって」
セレスティアが微笑む。
「急かさずに、私のペースに合わせてくださって」
「当然のことだ」
レオンも微笑み返す。
「愛する人の気持ちを大切にするのは、当たり前のことだ」
「愛する人」
その言葉を口にすると、セレスティアの心は温かくなった。
自分も、彼にとって「愛する人」なのだと実感できる。
「私も、あなたを……あなたを、愛しています」
ついに口にすることができた。
レオンの表情が輝いた。
「本当か?」
「はい。確信はありませんでしたが、今はわかります」
「これが恋愛感情なのだと」
「君を愛している」
レオンがセレスティアの両手を包み込む。
「俺も君を愛している」
月明かりの下で、二人は見つめ合った。
初めて交わされた、相互の愛の告白。
それは、新しい関係の始まりを告げる特別な瞬間だった。
小屋に戻った後、セレスティアは一人で過去を振り返っていた。
王太子リシャールとの婚約、悪役令嬢の演技、そして追放。
それらはすべて、今の幸せにたどり着くための道程だったのかもしれない。
「もう王都のことなど、どうでもいい」
心の底からそう思えた。
あの頃の自分は、本当の愛を知らなかった。ただ与えられた役割を演じているだけで、自分の意志で行動することもなかった。
でも今は違う。
自分で選んだ人を愛し、自分で選んだ場所で生きている。
「レオンと出会えて、本当によかった」
王太子が自分を追放したことさえ、今では感謝している。
あの出来事がなければ、この村に来ることもなく、レオンと出会うこともなかった。
真実の愛を知ることもなかっただろう。
「ありがとう、リシャール殿下」
皮肉ではなく、心からの感謝だった。
彼の身勝手な行動が、結果的に自分を真の幸福へと導いてくれた。
窓の外では、レオンが夜警の任務を続けている。
愛する人が、村の平和を守るために働いている。
その姿を見るだけで、胸が温かくなった。
「明日からは、もっと素直になろう」
もう遠慮は必要ない。
お互いの気持ちが確認できた今、新しい関係を築いていけばいい。
王都での偽りの恋愛に別れを告げ、真実の愛を育んでいく。
それが、これからのセレスティアの人生だった。
翌朝、セレスティアは晴れやかな気持ちで目を覚ました。
昨夜、ついに自分の気持ちを伝えることができた。レオンも同じ気持ちでいてくれることが確認できた。
これほど幸せな朝は、生まれて初めてかもしれない。
「おはようございます」
工房に向かう途中、村人たちと挨拶を交わす。
「おはようございます、セレス姫様」
「今日もいい天気ですね」
「ええ、とてもいい天気です」
セレスティアの明るい表情を見て、村人たちも嬉しそうだった。
「なんだか、今日は特に輝いて見えるね」
エルナ婆が意味深に微笑む。
「そうですか?」
「ああ。なんかいいことでもあったか?」
「まあ、色々と」
セレスティアが照れながら答える。
察しの良いエルナ婆は、きっと何かを感じ取っているのだろう。
織物工房では、新しい注文の品を製作していた。
隣国からの大口注文で、村の経済状況は着実に改善している。
「順調に進んでいますね」
「はい。これなら予定より早く完成しそうです」
女性たちも、セレスティアの明るい雰囲気に影響されて、いつもより生き生きと働いている。
昼食時、レオンが工房を訪れた。
「調子はどうだ?」
「とても良好です」
セレスティアが振り返ると、レオンも穏やかな表情をしていた。
昨夜のことで、彼の心も軽やかになったのだろう。
「それはよかった」
「レオン、今度お時間のある時に」
「なんだ?」
「村の将来について、詳しく相談したいことがあるんです」
「もちろんだ。いつでも構わない」
二人の間に、新しい関係性が生まれている。
恋人同士として、そして村の将来を共に考えるパートナーとして。
午後の子どもたちの授業でも、セレスティアは以前より生き生きと教えていた。
「セレス先生、今日はとても楽しそうですね」
「そうかしら?」
「はい。いつもより笑顔が多いです」
子どもたちの純粋な観察に、セレスティアは苦笑した。
大人より子どもの方が、人の変化に敏感なのかもしれない。
夕方の見回りでは、レオンと並んで村を歩いた。
昨日までとは明らかに雰囲気が違う。
お互いへの愛情を確認し合った二人の間には、深い信頼と親密さがあった。
「これからのことだが」
「これからのこと?」
「俺たちの関係について」
レオンが真剣な表情になる。
「急ぐつもりはないが、いずれは正式に」
「正式に?」
「結婚の話だ」
その言葉に、セレスティアの心臓が跳ね上がった。
「結婚」
「もちろん、君の気持ちが固まってからで構わない」
レオンが優しく付け加える。
「でも、俺の気持ちは決まっている」
「私も」
セレスティアが頷く。
「同じ気持ちです」
二人の未来に、明るい希望の光が差し込んでいた。
愛し合う二人、支え合う村人たち、発展する村の経済。
すべてが順調に進んでいる。
しかし、この平和な日々に影を落とす出来事が、間もなく訪れようとしていた。
王都からの新たな脅威が、静かに迫りつつあるとは、まだ二人とも知る由もなかった。




