第20話「交渉と知性の勝利」
王都からの最後通告から三日が経った夜、セレスティアは重い決断を下そうとしていた。
小屋の中で一人、村の記録を整理しながら考え込んでいる。税務関係の書類、人口調査、農業生産記録。自分が村のために残してきた仕事の痕跡を見ていると、胸が痛んだ。
「私がいなくなれば、村人たちは苦しまなくて済む」
窓の外を見ると、村の家々から暖かい明かりが漏れている。家族で夕食を囲み、平和な時間を過ごしている光景が目に浮かんだ。
しかし、自分がいる限り、その平和は脅かされ続ける。
「決めました」
セレスティアは立ち上がった。
明朝、村を出よう。どこに行くかは分からないが、とにかくここを離れることで村人たちを守ることができる。
荷造りを始めたとき、扉がノックされた。
「セレスティア、いるか?」
レオンの声だった。彼には会いたくなかった。別れが辛すぎるから。
「どうぞ」
それでも扉を開けると、レオンが深刻な表情で入ってきた。
「荷造りをしているのか」
「はい」
「やはりそうか。君の性格なら、そう考えるだろうと思った」
レオンが荷物を見回す。
「でも、それは間違いだ」
「間違い?」
「君が出て行っても、根本的な解決にはならない」
レオンが椅子に座る。
「マリアンヌの嫉妬と悪意は、君がいなくなっても消えない。今度は別の理由を見つけて、この村を苦しめるだろう」
その指摘は的確だった。確かに、一度目をつけられた村は、今後も監視下に置かれるかもしれない。
「でも、私がいれば確実に村人たちが苦しみます」
「それは認める。だが、逃げることは解決策ではない」
「では、どうすればいいのですか」
「戦うんだ」
レオンの答えに、セレスティアは驚いた。
「戦う? 王都に対してですか?」
「そうだ。ただし、剣ではなく知恵で戦う」
レオンがセレスティアを見つめる。
「君の最大の武器は、知識と交渉術だろう」
「でも、相手は王太子です」
「王太子だろうと、不当な命令には法的根拠がない。それを証明すればいい」
レオンの提案に、セレスティアは希望を感じ始めた。
確かに、ただ逃げるだけでは何も解決しない。戦う道もあるのかもしれない。
翌朝、村の広場で緊急の村民会議が開かれた。
ゲルハルト村長の招集で、村人全員が集まっている。皆、深刻な表情で座っていた。
「昨夜、セレスティアさんから相談がありました」
村長が重々しく口を開く。
「彼女は、村のために自分が出て行こうと考えているとのことです」
会場がざわめいた。
「それは困ります」
エルナ婆が最初に声を上げた。
「彼女がいなくなったら、だれが子どもたちに勉強を教えてくれるんですか」
「井戸のことだってあります」
ハンスも賛成する。
「彼女の知識は、この村には欠かせません」
しかし、現実的な心配を口にする村人もいた。
「でも、王都の処罰を考えると」
「租税九割では、本当に生活できません」
「子どもたちの将来を思うと」
村人たちの意見は分かれていた。感情的にはセレスティアを支持したいが、現実問題として厳しい。
「皆さん」
セレスティアが立ち上がった。
「私は、この村を愛しています。皆さんのことも大切に思っています」
会場が静まり返る。
「だからこそ、皆さんを苦しめたくないのです」
「セレスティア様」
「私がいなくなれば、王都からの圧迫も軽くなるでしょう」
「でも、それでは」
ルルの母親が涙声で抗議する。
「あなたは私たちの恩人です。見捨てるなんてできません」
「そうです。一緒に困難を乗り越えましょう」
村人たちから支持の声が上がったが、同時に不安の声もあった。
「気持ちはわかるが、現実的に考えて」
「家族を養わなければならない」
「村全体の存続を考えると」
会議は紛糾した。
感情と理性、理想と現実が激しく対立している。
「皆さん、お聞きください」
そのとき、レオンが発言した。
「逃げることは解決策ではありません」
「レオン様、しかし」
「セレスティアが出て行っても、根本的な問題は解決しない。また別の理由で村が苦しめられるでしょう」
レオンの指摘に、村人たちは考え込んだ。
「では、どうすればいいのですか?」
「戦うのです」
「戦う?」
「法的手段で戦うということです」
レオンがセレスティアを見る。
「彼女の知識と交渉術で、王都の不当な命令に対抗するのです」
「そんなことができるのですか?」
「可能性はあります」
セレスティアが口を開く。
「王都からの命令には、法的に問題のある部分があります」
「法的に問題?」
「はい。まず、追放の目的と手段の整合性。そして、集団処罰の正当性」
セレスティアが説明を始める。
「王国法では、個人の罪を理由とした集団処罰は原則として禁止されています」
村人たちが興味深そうに聞いている。
「また、教育を受ける権利は王国憲章で保障されており、それを理由もなく制限することは違法です」
「本当にそんな法律があるのですか?」
「はい。王立学院で学んだ知識ですから、間違いありません」
セレスティアの説明に、村人たちの表情が明るくなってきた。
「でも、相手は王太子様です」
「王太子であっても、法律に従わなければなりません」
「そうは言っても」
「もちろん、リスクはあります」
セレスティアが正直に答える。
「失敗すれば、より厳しい処罰を受けるかもしれません」
その言葉に、会場の空気が再び重くなった。
三日後、約束の日が来た。
王都からの使者が再び村を訪れる予定だった。セレスティアは、この機会に直接交渉することを決めていた。
朝から入念に準備を進める。王国法の条文を整理し、論点を明確にし、反駁の資料を用意した。
「準備は整いましたか?」
レオンが心配そうに尋ねる。
「はい。最善を尽くします」
「無理はするな。危険を感じたら、すぐに引き下がれ」
「わかっています」
午後になって、使者の一行が到着した。前回と同じ四人の騎士だった。
「期限通りに来たぞ」
先頭の騎士が馬から降りる。
「回答を聞こう」
「その前に、お話があります」
セレスティアが前に出た。
「話だと? 追放者の分際で」
「王国法に基づく正当な申し立てです」
セレスティアの毅然とした態度に、使者は少し驚いた。
「王国法? 何のことだ」
「今回の処罰命令には、法的に問題のある部分があります」
「問題だと? 王太子殿下の命令に文句をつけるのか」
「王太子殿下であっても、王国法には従わなければならないはずです」
セレスティアが用意した資料を取り出す。
「まず、王国法第三十七条をご覧ください」
「第三十七条?」
「『個人の罪を理由とした集団への処罰は、明確な連帯責任が証明された場合に限り適用される』とあります」
使者が資料を受け取って確認する。
「この村の人々に、私の行為への連帯責任があると言えるでしょうか?」
「それは」
使者が言葉に詰まる。
「彼らは単に、追放された私を人道的に受け入れただけです。それが罪になるとお考えですか?」
「お前を優遇したではないか」
「優遇とはなにを指しているのでしょうか?」
セレスティアが冷静に反論する。
「私は自分の知識と技能で村に貢献し、その対価として最低限の住居と食事を得ただけです」
「教師などという地位に就いたではないか」
「教師という地位はありません。単に、読み書きを教えていただけです」
セレスティアが次の資料を示す。
「王国憲章第十二条には『すべての国民は教育を受ける権利を有する』とあります」
「憲章を持ち出すのか」
「憲章は王国の根本法です。それに反する命令は無効ではありませんか?」
使者たちが困惑している。彼らは武力行使の専門家であり、法律論争には慣れていない。
「さらに、王国法第四十一条では『処罰の程度は罪の重さに比例すべし』と定められています」
「それがどうした」
「私の罪は『高慢で冷酷な振る舞い』でした。その処罰として追放を受けました」
セレスティアが論理的に説明を続ける。
「しかし、追放後の私の行動に新たな罪があったとお考えですか?」
「村人に知識を教え、地位を向上させたではないか」
「知識を教えることが罪なのでしょうか?」
この問いかけに、使者は答えに窮した。
「教育そのものを罪とするなら、王立学院の存在はどう説明するのですか?」
「それは貴族のための教育だ」
「では、平民には教育を受ける権利がないと?」
「そんなことは」
「王国憲章に身分による差別の条項はありますか?」
セレスティアの追及に、使者は完全に論理的劣勢に陥った。
「屁理屈を」
「屁理屈ではありません。正当な法的根拠に基づく議論です」
「ええい、法律がどうであろうと王太子殿下の命令は絶対だ」
使者が開き直った瞬間、セレスティアは勝利を確信した。
「つまり、法的根拠がないことをお認めになるわけですね」
「なに?」
「この件は、王国法廷で争うことも可能です」
セレスティアが最後の切り札を出す。
「追放処分に関する不服申し立て制度をご存知ですか?」
「不服申し立て?」
「王国法第五十五条に規定されています。適正手続きによる審理を要求する権利です」
使者たちは完全に動揺していた。彼らは法的な争いに発展することなど想定していなかった。
「どう判断されますか?」
セレスティアが静かに問いかける。
「法的根拠のない命令を強行して法廷闘争になるか、それとも合理的な妥協案を検討するか」
長い沈黙の後、使者のリーダーが口を開いた。
「……どのような妥協案があるというのだ」
セレスティアは内心で安堵した。交渉のテーブルに着かせることに成功した。
「まず、租税の増額についてですが、現行の七割を維持していただきたい」
「それは」
「その代わり、私の教育活動は村内に限定し、他地域への拡散は行いません」
「教育活動の制限ではなく、範囲の限定ということか」
「はい。また、私自身の行動についても、一定の制約を受け入れます」
セレスティアが具体的な条件を提示する。
「定期的な行動報告、王都への謝罪文の提出、そして村の外への移動制限」
「それで処罰の実効性が保たれると?」
「十分だと思います。私の自由は制限され、反省の意も示されます」
使者たちが相談している間、村人たちは固唾を呑んで見守っていた。
「わかった」
ついに使者が決断を下した。
「その条件で、王太子殿下に報告する」
「ありがとうございます」
「ただし、この合意に違反した場合は、より厳しい処罰があることを覚えておけ」
「承知いたします」
使者たちが去った後、村人たちから大きな歓声が上がった。
「やりました」
「セレスティア様、すごいです」
「法律でやり込めるなんて」
交渉の成功により、村人たちのセレスティアに対する見方は完全に変わった。
「お嬢様はやはりすごい」
「王都の使者を論破するなんて」
「これで安心して暮らせる」
村長のゲルハルトが深々と頭を下げる。
「セレスティアさん、村を救ってくださってありがとうございました」
「いえ、当然のことをしただけです」
「いいえ、あなたがいなければ、我々は王都の不当な要求を受け入れるしかありませんでした」
「皆さんと一緒に戦えて、本当によかったです」
セレスティアの言葉に、村人たちは感動していた。
「あんたは本当に、我々の村の宝だ」
エルナ婆が涙を流しながら言う。
「これからも、ずっと一緒にいておくれ」
「はい、喜んで」
セレスティアは心から答えた。
この村で、この人たちと共に生きていく。それが自分の選んだ道だった。
知恵と勇気で困難を乗り越え、真の仲間を得ることができた。
これほど幸せなことはなかった。




