第16話「井戸枯れ問題と知識の活用」
レオンと星空の下で心を通わせてから一週間が経った朝、村に深刻な問題が発生した。
「大変だ、井戸が枯れてしまった」
農夫のハンスが血相を変えて村長の家に駆け込んできた。村の中央にある、唯一の井戸から水が出なくなったのだ。
「枯れただと?」
村長ゲルハルトも青ざめた。この井戸は村の生命線だった。飲み水はもちろん、料理、洗濯、農作物への水やりまで、すべてがこの井戸に依存している。
セレスティアも急報を聞いて駆けつけた。井戸の周りには、既に多くの村人が集まっている。皆、不安そうな表情を浮かべていた。
「どのくらい前から水が出なくなったのですか?」
「昨夜は普通だった。今朝になって気づいたんだ」
ハンスが説明する。
「バケツを下ろしても、泥しか汲み上がってこない」
実際に井戸を覗き込むと、通常なら水面が見えるはずの深度に、乾いた土と石しか見えない。完全に水脈が枯れてしまったようだった。
「これは大変なことになったな」
ゲルハルト村長の表情は深刻だった。
「隣村の井戸まで水を汲みに行くとなると、往復で半日はかかる」
「それでは農作業に支障が出てしまいます」
村の主婦マリアが心配そうに言う。
「洗濯もできないし、料理も満足にできない」
村人たちの不安は募るばかりだった。水がなければ、人間は数日で生命を維持できなくなる。まさに死活問題だった。
「どうすればいいんだ」
「川まで水を汲みに行くしかないのか」
「でも川の水は汚いし、病気になるかもしれない」
村人たちが口々に不安を口にする中、セレスティアは冷静に状況を分析していた。
王立学院で地質学を学んだ知識が、頭の中で整理されていく。地下水脈、地層構造、水源の分布。様々な要素を組み合わせて考えてみる。
「村長さん、この井戸が掘られたのはいつ頃ですか?」
「確か、三十年ほど前だったと思うが」
「そのとき、他の場所は検討されなかったのでしょうか?」
「他の場所?」
ゲルハルトが首をかしげる。
「水は土の中を流れています。一箇所が枯れても、別の場所には水脈があるかもしれません」
セレスティアの発言に、村人たちがざわめいた。
「別の場所に井戸を掘るということか?」
「はい。可能性はあります」
しかし、村人たちの反応は冷ややかだった。
「別の場所に井戸を掘る? そんなことができるのか?」
農夫のベルントが疑問を口にする。
「できます」
セレスティアが自信を持って答える。
「王立学院で地質学と水源学を学びました。地下水の流れを読むことができます」
しかし、村人たちの表情は依然として懐疑的だった。
「学問の知識で、実際に水が出るかどうかわかるものなのか」
「理論と現実は違うからな」
小声でささやかれる疑問の声に、セレスティアは理解を示した。確かに、彼らの疑念は当然だった。
「まず、この村の地形と地質を調査させてください」
セレスティアが提案する。
「水脈の流れを把握すれば、最適な井戸の位置がわかります」
「調査って、具体的にどうするんだ?」
ハンスが興味深そうに尋ねる。
「土の色や質、地面の傾斜、植物の分布を調べます。水の豊富な場所には、特徴的な植生があるんです」
セレスティアの説明に、村人たちは少しずつ興味を示し始めた。
「それで本当に水が見つかるのか?」
「絶対とは言えませんが、成功の可能性は高いです」
ゲルハルト村長が考え込んだ。
「井戸を新しく掘るには、相当な労力が必要だが」
「はい。でも、このまま遠くまで水を汲みに行き続けるよりは、効率的だと思います」
「確かにそうだな」
村長が頷く。
「わかった。調査を始めてくれ」
セレスティアの提案が受け入れられた瞬間、安堵の表情を浮かべる村人もいたが、まだ半信半疑の者も多かった。
「本当に大丈夫なのかしら」
「王都の令嬢に、そんなことができるとは思えないわ」
陰口も聞こえてくるが、セレスティアは動じなかった。結果で示すしかない。
調査は翌日から開始された。
セレスティアは村全体を歩き回り、地形や土質を詳しく観察した。小さなノートに、気づいたことを丁寧に記録していく。
「この辺りの土は粘土質が多いですね」
「ここは砂地で、水はけがよすぎるかもしれません」
一人で調査を続けていると、子どもたちが興味深そうに付いてきた。
「セレス先生、なにしてるの?」
ルルが好奇心旺盛に尋ねる。
「新しい井戸を掘る場所を探しているの」
「井戸?」
「そう。水の出る場所を見つけるのよ」
子どもたちの純粋な興味が、セレスティアの励みになった。
三日間の調査で、セレスティアは村の地質構造をほぼ把握した。そして、最も有望と思われる場所を特定した。
「ここです」
セレスティアが指差したのは、村の東側、小高い丘の麓だった。
「ここに水脈があると思われます」
しかし、セレスティアが指定した場所を見て、村人たちは困惑した。
「ここは畑にするつもりだった場所じゃないか」
農夫のベルントが反対する。
「せっかくのよい土地を、井戸で潰すのはもったいない」
「それに、今の井戸から随分離れている」
マリアも難色を示す。
「水を汲みに行くのが大変になるわ」
村人たちからは反対の声が続々と上がった。
「本当にここに水があるのか?」
「もし空振りに終わったら、労力の無駄だぞ」
「令嬢の戯言じゃないのか」
特に年配の村人たちは懐疑的だった。長年の経験から、そう簡単に新しい水源が見つかるとは思えないのだ。
「皆さんのお気持ちはわかります」
セレスティアが冷静に答える。
「でも、この場所が最も地下水の豊富な地点だと確信しています」
「確信って言っても、実際に掘ってみないとわからないだろう」
ハンスが指摘する。
「その通りです。でも、成功の可能性は高いです」
「可能性では困る」
ベルントが頑なに反対する。
「失敗したら、貴重な労働力と時間を失うことになる」
村人たちの間で、賛成派と反対派に分かれ始めた。水不足は深刻だが、無駄な労力を費やしたくないという気持ちも理解できる。
「どうする、村長」
皆の視線がゲルハルトに集中する。
村長は長い間考え込んでいたが、やがて口を開いた。
「水不足は深刻だ。このまま放置するわけにはいかない」
「しかし」
「セレスティアさんの提案に賭けてみよう」
村長の決断に、反対派の村人たちは不満そうな表情を見せた。
「本当に大丈夫なのか」
「失敗したら責任を取ってもらうぞ」
プレッシャーを感じながらも、セレスティアは決意を固めた。
「必ず成功させます」
井戸掘りの作業が開始されたのは、翌週の月曜日だった。
村の男性たちが総出で、セレスティアが指定した場所を掘り始める。最初は懐疑的だった村人たちも、作業が始まると真剣に取り組んだ。
「どのくらい掘ればいいんだ?」
「通常は十メートルから十五メートル程度です」
セレスティアが答える。
「でも、地質によってはもっと浅いかもしれません」
一日目、二日目と掘り進めるが、水の気配は見えない。村人たちの間に、不安が広がり始めた。
「やはりだめなのか」
「時間の無駄だったかもしれない」
三日目になって、土の色が変わった。
「おや、湿った土が出てきたぞ」
ハンスが興奮して報告する。
「これはよい兆候です」
セレスティアも期待を込めて答える。
「もう少し掘ってみてください」
四日目の午後、ついにその瞬間が訪れた。
「水だ、水が出たぞ」
作業員の歓声が村中に響いた。
井戸の底から、清らかな地下水が湧き出している。それも、以前の井戸よりもはるかに豊富な水量だった。
「やった」
「本当に水が出た」
村人たちが大喜びで井戸の周りに集まってくる。
「セレスティアさん、本当にありがとう」
ゲルハルト村長が深々と頭を下げる。
「君の知識のおかげで、村が救われた」
反対していた村人たちも、今では感謝の気持ちでいっぱいだった。
「すまなかった。疑って」
ベルントが恥ずかしそうに謝る。
「いえ、慎重になるのは当然です」
セレスティアが優しく答える。
「皆さんと一緒に成功できて、本当に嬉しいです」
新しい井戸の水を飲んだ村人たちは、その美味しさに驚いた。
「前の井戸より、ずっと美味しい」
「冷たくて澄んでいる」
「この水なら、料理も美味しくなりそうだ」
セレスティアの知識が、村に大きな恩恵をもたらした瞬間だった。
水不足という危機を乗り越え、さらに前よりも良い水源を確保することができた。
新井戸の成功を祝う村人たちの輪の中で、セレスティアは充実感に満たされていた。
しかし、この成功がさらに大きな信頼関係の構築につながることを、まだ知る由もなかった。




