第15話「星空の下での本音」
キュンキュンしちゃってください。
読み書き教室が軌道に乗った頃のある夜、セレスティアは小屋で明日の授業の準備をしていた。
子どもたちには新しい童話を、大人たちには実用的な書類の読み方を教える予定だった。王立学院時代の教科書を参考に、教材を整理している最中だった。
扉がノックされる音で顔を上げると、レオンが立っていた。
「こんばんは、レオン様」
「夜分に済まない」
レオンの表情はいつもより柔らかく見えた。普段の厳しい騎士としての顔ではなく、どこか私的な用件のような雰囲気がある。
「村の見回りを手伝ってもらえないか」
「見回り、ですか?」
セレスティアは驚いた。これまでレオンから直接何かを頼まれたことはなかった。
「最近、村の周辺で不審な動きがある。一人より二人の方が、見落としが少ない」
「わかりました。お供いたします」
セレスティアは教材を片付けて、マントを羽織った。
外に出ると、レオンの愛馬が待っていた。いつもの軍馬ではなく、もう一頭茶色の馬も用意されている。
「君用の馬だ。乗れるか?」
「はい、なんとか」
王都時代に乗馬の心得はあったが、辺境で乗るのは初めてだった。レオンが手を貸してくれて、何とか馬上の人となる。
「村の外周を回る。約一時間の行程だ」
「承知いたしました」
二人は並んで村を出発した。
夜の辺境は静寂に包まれていた。村の明かりが遠ざかると、辺りは月明かりだけの世界になる。しかし、その静けさには神聖な美しさがあった。
「こんなに美しい夜景だったのですね」
セレスティアが感嘆の声を上げる。
「王都では見ることのできない光景です」
「王都は明るすぎる」
レオンが同意する。
「人工的な光で、本当の夜の美しさが失われている」
二人は適度な距離を保ちながら、森の縁を進んでいく。レオンは常に周囲を警戒しているが、セレスティアとの会話も忘れなかった。
「村での生活には慣れたか?」
「はい。王都時代よりも、ずっと充実しています」
「王太子との婚約時代が、そんなに辛かったか」
レオンの問いかけに、セレスティアは少し考えた。今までこの話題に深く触れることはなかった。
「辛いというより……自分ではないだれかを演じ続けるのが苦痛でした」
「演じる?」
「はい。本当の自分を隠して、期待される役割を果たすことに疲れていました」
レオンが興味深そうにセレスティアを見る。
「それが、悪役令嬢という役だったのか」
「そうです」
セレスティアは、ついに真実を話す気になった。レオンになら、すべてを打ち明けても大丈夫だと感じたのだ。
丘の頂上に着くと、レオンが馬を止めた。
「ここで少し休憩しよう」
見晴らしの良い場所で、村全体を見下ろすことができる。そして何より、満天の星空が広がっていた。
「美しい」
セレスティアが息を呑む。
王都では建物に遮られて見えなかった星々が、ここでは手に取れそうなほど近くに輝いている。天の川も、まるで銀の帯のように空を横切っていた。
「王都では星も見えなかったのか?」
「ほとんど見えませんでした。こんなにたくさんの星があることも知らなくて」
レオンが馬から降りると、セレスティアも続いた。二人は草の上に座り、星空を見上げる。
「子どもの頃は、よく星を見ていた」
レオンが珍しく過去の話を始める。
「故郷でも、これほど美しい星空が見えた」
「故郷、ですか」
「王都から北東へ三日ほどの場所にある、小さな領地だった」
レオンの声には、懐かしさと同時に悲しみが混じっていた。
「『だった』ということは……」
「もうない。五年前に、魔族の襲撃で滅ぼされた」
セレスティアは言葉を失った。レオンが辺境で一人戦い続ける理由が、ようやく理解できた。
「家族も、領民も、すべて失った」
レオンの拳が、無意識に握りしめられている。
「俺だけが生き残った。騎士として戦っていて、遠征中だったからだ」
「それは……」
セレスティアが慰めの言葉を探したが、どんな言葉も軽薄に感じられた。
「帰ったときには、すべてが灰になっていた。家族の墓さえ作れない状態だった」
星明かりの下で、レオンの横顔に深い悲しみが刻まれているのが見えた。
「だから俺は誓ったんだ。二度と同じことを繰り返させない。守れるものは、すべて守り抜くと」
「それで、この村に」
「最初はただの通りすがりだった。でも、魔物に襲われている村人を見て、放っておけなくなった」
レオンがセレスティアを見つめる。
「君と似ているかもしれない」
「私と、ですか?」
「自分の居場所を失って、新しい場所で再出発した」
確かにそうだった。王都での地位も家族も失ったセレスティアと、故郷と家族を失ったレオン。境遇は違うが、再生への道のりは似ている。
「でも、私は自業自得の部分もありました」
「自業自得?」
レオンが首をかしげる。
「悪役令嬢を演じていたのは事実ですから」
「それについて、詳しく聞かせてもらえるか」
セレスティアは深く息を吸った。もう隠すことはない。
「一年前、王太子から命令されたのです。『悪役令嬢を演じろ』と」
「命令?」
「はい。理由は教えてもらえませんでしたが、従わなければ家族に危害を加えると脅迫されました」
レオンの表情が険しくなった。
「脅迫だと?」
「弟の写真を見せられて、『不幸な事故が起こるかもしれない』と」
「それで君は」
「家族を守るために、演技を続けました。本当は平民を見下したくありませんでしたし、他の令嬢を傷つけたくもありませんでした」
セレスティアの目に涙が浮かんだ。
「でも、演技とはいえ、実際に傷ついた人がいるのも事実です」
レオンがしばらく沈黙していたが、やがて口を開いた。
「今なら理解できる」
「なにをですか?」
「君が最初から持っていた、本当の優しさだ」
レオンの言葉に、セレスティアは驚いた。
「演技だったとしても、それを一年間続けるのは相当な苦痛だっただろう」
「はい、毎晩泣いていました」
「そして最後は、その演技を理由に追放された」
「皮肉なものですね」
セレスティアが苦笑いを浮かべる。
「でも、今は感謝しています」
「感謝?」
「追放されなければ、この村に来ることもありませんでしたし、本当の自分で生きることもできませんでした」
レオンがセレスティアをじっと見つめる。
「君は強い女性だ」
「そんなことありません」
「いや、本当に強い。俺が知る限り、最も勇敢で優しい女性だ」
レオンの言葉に、セレスティアの心が熱くなった。
星空の下での会話が続く中、レオンは普段見せない素顔を現していた。
「実を言うと、君をこの見回りに誘ったのは、別の理由もある」
「別の理由、ですか?」
「君と、ゆっくり話がしたかった」
セレスティアの心臓が早鐘を打った。レオンがプライベートな時間を求めるなど、想像もしていなかった。
「村では、いつもだれかの目がある。二人だけで話せる機会が欲しかった」
「レオン様」
「君が村に来てから、俺の中でなにかが変わった」
レオンが立ち上がり、星空を見上げる。
「今まで俺は、失ったものへの怒りと復讐心だけで生きていた」
「復讐心?」
「魔族への復讐だ。いつか必ず、家族の仇を取ると誓っていた」
レオンの声に、深い怒りが込められている。
「でも君を見ていると、違う生き方もあるのだと気づかされる」
「どのような?」
「過去の悲しみに縛られるのではなく、新しい幸せを築く生き方だ」
レオンがセレスティアを振り返る。
「君は王都での屈辱を乗り越えて、ここで新しい人生を築いている」
「まだまだ未熟ですが」
「いや、十分すぎるほどだ」
レオンが再び座る。二人の距離が、さっきより近くなった。
「この村の人たちは家族みたいなものだと言ったが、それだけではなくなった」
「どういう意味ですか?」
「君がいることで、本当の意味での家族を感じるようになった」
セレスティアの頬が赤くなる。
「君がいる日常が、俺にとって大切なものになった」
「レオン様」
「朝、君が子どもたちに勉強を教える姿を見ると嬉しくなる。夕方、畑仕事で疲れた君を見ると心配になる」
レオンの告白に、セレスティアは動揺した。
「それは、私も同じです」
「同じ?」
「レオン様が見回りから戻られるまで、いつも心配で」
二人は見つめ合った。
星明かりの下で、お互いの想いが静かに伝わってくる。
「君は、俺の光だ」
「光?」
「失ったものへの怒りで暗闇にいた俺に、希望の光を与えてくれた」
セレスティアの目に涙が浮かんだ。
「私こそ、レオン様に救われました」
「お互いに、救い合ったのかもしれないな」
夜風が二人の間を優しく吹き抜けていく。
「セレスティア」
「はい」
「俺と一緒にいてくれるか?」
「それは」
セレスティアの心臓が激しく鼓動する。
「村で、この星空の下で。俺と共に歩んでくれるか」
「はい」
迷うことなく答えるセレスティア。
「私も、レオン様と一緒にいたいです」
「ありがとう」
レオンの顔に、初めて見る安らかな笑みが浮かんだ。
「悪徳令嬢などという評判は嘘だな」
「はい、すべて嘘でした」
「君はだれよりも優しく、だれよりも強い女性だ」
「ありがとうございます」
二人は再び星空を見上げた。
同じ空の下で、同じ時間を共有している。これほど幸せな瞬間があるだろうか。
「明日からも、よろしく頼む」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
静かな夜に、新しい約束が交わされた。
二人の心の距離は、確実に縮まっていた。
過去の痛みを乗り越えて、未来への希望を見つけた二人。
星々が見守る中で、新しい物語が始まろうとしていた。
村に戻る道のりは、来た時よりもずっと短く感じられた。
お互いを理解し合えた満足感が、二人を包んでいたからだった。
小屋の前で別れる時、レオンが振り返った。
「また一緒に見回りをしよう」
「はい、ぜひ」
その夜、セレスティアは久しぶりに心から安らかな眠りについた。
レオンという存在が、彼女の人生にどれほど大きな意味を持つのか。
それを実感した、忘れられない夜だった。




