第13話「悪戦苦闘の農作業と小さな成功」
村の記録整理を一段落つけたセレスティアは、次の挑戦として農作業に取り組むことにした。
村人として認められた以上、ただ記録を整理するだけではなく、実際の労働でも貢献したかった。それに、冬に向けて少しでも多くの食糧を確保することが、村全体の課題でもあった。
「エルナさん、畑仕事を教えていただけませんか?」
「畑仕事かい?」
エルナ婆が驚いたような表情を見せる。
「お嬢ちゃん、畑仕事は料理や洗濯よりもずっと大変だよ」
「それでも、やってみたいのです」
セレスティアの真剣な表情を見て、エルナ婆は頷いた。
「わかったよ。でも、覚悟はしておきな」
翌朝、セレスティアは村の畑に向かった。手には借り物の鍬を握っている。
「まずは土を耕すところからだね」
農夫のハンスが指導してくれることになった。彼は最初セレスティアを疑っていたが、魔物襲撃での勇敢な行動以来、協力的になっている。
「鍬の使い方から教えてやろう」
ハンスが手本を見せる。力強く土に鍬を突き刺し、リズミカルに土を掘り起こしていく。長年の経験に裏打ちされた、無駄のない動作だった。
「こんな感じだ。やってみろ」
セレスティアが鍬を握って土に向かう。しかし、最初の一振りで躓いた。
鍬が土に刺さらず、表面で滑ってしまう。力の入れ方が分からないのだ。
「もっと角度を立てて、体重を乗せるんだ」
ハンスの指導で何度も挑戦するが、うまくいかない。王都の令嬢だった彼女の細い腕では、硬い土を掘り起こすのは至難の業だった。
「うまくいきませんね」
息を切らしながら、セレスティアが弱音を吐く。わずか十分程度の作業で、もう疲れ果てていた。
「最初はそんなもんだ。俺だって子どもの頃は全然だめだった」
ハンスが慰めてくれるが、周りで見ている他の農夫たちの視線は厳しい。
「やっぱり王都の令嬢には無理だろう」
「体力が全然違うからな」
小声でささやかれる言葉に、セレスティアは歯を食いしばった。
一時間後、セレスティアの手のひらは豆だらけになり、血が滲んでいた。それでも、耕せた面積はわずか数平方メートルにすぎない。
「今日はこのくらいにしよう」
ハンスが作業の終了を告げたが、セレスティアは納得できなかった。
「もう少し続けさせてください」
「無理するな。手が血だらけじゃないか」
「大丈夫です」
セレスティアが鍬を握り直そうとしたとき、村の子どもたちが集まってきた。
「セレス先生、どうしたの?」
「畑のお手伝いをしてるのよ、ルル」
「先生も畑仕事するんだ」
子どもたちの純粋な視線に、セレスティアは恥ずかしくなった。こんな情けない姿を見せるつもりではなかった。
「先生、頑張って」
ルルの声援に励まされて、セレスティアは再び鍬を振り上げた。
痛む手のひらを我慢して、少しずつでも前進していく。技術は未熟でも、諦めない心だけは負けたくなかった。
午後になって、エルナ婆が畑を訪れた。
セレスティアの悪戦苦闘ぶりを見て、苦笑いを浮かべている。
「お嬢ちゃん、根性だけは認めてやろう」
「エルナさん」
「でもね、農作業は根性だけじゃだめなんだよ」
エルナ婆がセレスティアの手を取って、鍬の握り方を直してくれる。
「力任せにやっちゃだめ。コツがあるんだよ」
「コツ、ですか?」
「そうさ。土の状態を見て、鍬を入れる角度を調整するんだ」
エルナ婆の指導は的確だった。力の入れ方、体重の移動、リズムの取り方。一つ一つ丁寧に教えてくれる。
「硬い土には無理に鍬を入れない。水をまいて柔らかくしてから耕すんだ」
「なるほど」
「それと、休憩も大事だよ。疲れたまま続けても効率が悪い」
エルナ婆の指導で、セレスティアの作業効率は少しずつ向上していった。完全に上達したわけではないが、最初に比べると明らかに上手になっている。
「お嬢ちゃん、前より随分よくなったじゃないか」
ハンスが感心したように言う。
「本当ですか?」
「ああ。最初はどうなることかと思ったが、見込みがありそうだ」
その言葉に、セレスティアは嬉しくなった。
農作業の厳しさは想像以上だったが、少しずつでも上達している実感があった。
「でも、まだまだだね」
エルナ婆が現実的なコメントを加える。
「一人前になるには、何年もかかる」
「それでも構いません。続けさせてください」
セレスティアの意欲に、周りの農夫たちも感心していた。
最初は「どうせ数日で諦めるだろう」と思っていたが、彼女の粘り強さは本物のようだった。
「わかった。明日からも教えてやろう」
ハンスが約束してくれる。
「ただし、無理は禁物だ。怪我をしては元も子もない」
「はい、気をつけます」
夕方になって作業を終えた時、セレスティアは全身筋肉痛だった。
普段使わない筋肉を酷使したため、立っているのもやっとの状態。
「お疲れ様、セレス先生」
子どもたちが労をねぎらってくれる。
「ありがとう、みんな」
「明日も頑張るの?」
「もちろんよ」
子どもたちの応援が、セレスティアの疲れを和らげてくれた。
農作業で疲れ果てた夜、セレスティアは夕食の準備に取りかかった。
今日は初めて、肉を使った料理に挑戦してみようと思う。村人から分けてもらった鶏肉で、シチューを作る予定だった。
しかし、肉料理は想像以上に難しかった。
まず、鶏肉の処理から躓く。羽根を抜き、内臓を取り除く作業に、セレスティアは顔を青くした。
「こんなことも、今まで使用人任せだったのね」
自分の無力さを痛感しながらも、何とか下処理を終える。
次に、肉を適当な大きさに切り分けるのだが、包丁の扱いに慣れていないため、不揃いな塊になってしまう。
「料理って、こんなに大変だったの」
鍋に水を張り、野菜と肉を入れて煮込み始める。しかし、火加減が分からない。
強すぎると焦げてしまい、弱すぎると煮えない。エルナ婆に教わったパン作りとは、また違った難しさがあった。
「あら、焦げ臭い」
慌てて鍋を確認すると、底の部分が黒くなっている。
慌ててかき混ぜたが、焦げた味が全体に回ってしまった。
「失敗ね」
結局、その日の夕食は焦げたシチューと、昨日の残りのパンになった。
シチューは食べられないことはないが、美味しいとは言えない代物だった。
「でも、諦めないわ」
翌日、セレスティアは再び肉料理に挑戦した。
今度は火加減に注意して、こまめにかき混ぜながら調理する。前日の失敗を教訓に、より慎重に作業を進めた。
「今度はどうかしら」
出来上がったシチューを味見してみる。昨日ほどひどくはないが、まだ改善の余地がある。
肉が硬く、野菜の煮え具合もバラバラだった。
「まだまだね」
それでも諦めずに、毎日少しずつ練習を続けた。
三日目、四日目と続けるうち、徐々にコツを掴んできた。肉を柔らかく煮るには時間をかけること、野菜は種類によって煮込み時間を変えること。
一週間後、ついに納得のいくシチューが完成した。
「美味しい」
自分で作った料理を心から美味しいと思えたのは、初めてのことだった。
その夜、エルナ婆がシチューを味見してくれた。
「おや、これは上出来じゃないか」
「本当ですか?」
「最初の頃とは大違いだよ。随分上達したね」
エルナ婆の褒め言葉に、セレスティアの心は躍った。
農作業を始めて二週間が経った朝、セレスティアは畑で大きな発見をした。
自分が植えた種から、小さな芽が出ていたのだ。
「芽が出てる」
思わず声を上げると、近くで作業していたハンスが振り返った。
「おお、本当だ。いい芽じゃないか」
「私が植えた種から、本当に芽が出たんですね」
セレスティアは感動していた。
自分の手で植えた種が、こうして新しい命を宿している。王都では経験できない、生命の神秘に触れた瞬間だった。
「当たり前のことだが、初めて見るときは感動するもんだ」
ハンスが理解を示してくれる。
「俺も子どもの頃、初めて芽が出たときは一日中眺めていた」
その日の昼食時、セレスティアは村人たちにシチューを振る舞った。
「セレスティアさんの手料理だって?」
「本当に食べられるのかしら」
最初は半信半疑だった村人たちも、一口食べると表情が変わった。
「これは美味しいじゃないか」
「本当に上達したのね」
「王都の令嬢もやればできるもんだ」
口々に褒め言葉をもらって、セレスティアは涙ぐみそうになった。
ついに、村人たちから「美味しい」と言ってもらえる料理を作ることができた。
「セレス先生、すごいね」
子どもたちも嬉しそうに食べてくれる。
「みんなが喜んでくれて、嬉しいわ」
夕方、畑仕事を終えた後、セレスティアは小さな達成感に包まれていた。
農作業も料理も、まだまだ一人前とは言えない。でも、確実に上達している。
村人たちからも認められ始め、子どもたちは心から慕ってくれている。
「こんな幸せな気持ち、王都では味わえなかった」
本当の充実感とは何かを、セレスティアは初めて理解した。
地位や財産による満足ではなく、自分の努力で誰かを喜ばせることの喜び。
それが、真の幸福なのかもしれない。
空を見上げると、夕日が美しく輝いていた。
明日もまた、新しい挑戦が待っている。
でも、もう不安はない。
仲間たちと共に歩むこの道が、セレスティアにとって最高の人生なのだから。
そして、いつもどこかで見守ってくれているレオンのことを思うと、心が温かくなった。
「レオン様にも、食べてもらいたいな」
小さな願いを胸に、セレスティアは新しい明日に向かって歩いていく。




