第12話「辺境の現実と騎士の使命」
魔物襲撃から三日が経った夜、セレスティアは小屋で魔法学の本を読んでいた。
先日発現した淡い光について調べていたが、具体的な記述は見つからない。聖女の血筋に関する記述はあったものの、微弱すぎて判別が困難だった。
扉がノックされる音で振り返ると、レオンが立っていた。兜は外しており、その端正な顔には疲労の色が濃い。
「こんな夜に、どうなされたのですか?」
「話がある。少し時間をもらえるか」
レオンの表情は深刻だった。セレスティアは本を閉じて、彼を招き入れた。
「お茶でもいかがですか?」
「いや、結構だ」
レオンは椅子に腰を下ろすと、重い口を開いた。
「先日の魔物襲撃について、君に説明しておくべきことがある」
「はい」
「あれは偶然の出来事ではない。この辺境が抱える深刻な問題の一つだ」
レオンの言葉に、セレスティアは身を乗り出した。
「この地域は三つの大きな脅威に晒されている」
レオンが指を立てて数える。
「第一に、魔物の被害。森の奥深くから、定期的に魔物の群れが現れる。今回のような大規模な襲撃は珍しいが、小規模な侵入は月に数回ある」
「そんなに頻繁に」
「ああ。農作物を荒らされ、家畜を殺され、時には人的被害も出る」
レオンの声には、長年この問題と戦ってきた疲労が滲んでいた。
「第二に、隣国グランベルク王国からの小規模侵攻だ」
「隣国からの侵攻?」
セレスティアは驚いた。王都では、グランベルクとの関係は安定していると聞いていた。
「表向きは平和条約を結んでいるが、辺境では違う。国境付近の小競り合いは日常茶飯事だ」
レオンが立ち上がり、窓の外を見つめる。
「グランベルクの辺境領主は野心家でね。少しずつ領土を拡張しようと狙っている。正規軍を派遣すれば国際問題になるから、『山賊の襲撃』という形で侵入してくる」
「山賊に偽装した兵士、ということですか」
「その通りだ。装備も技術も、普通の山賊とは比べものにならない」
セレスティアは王都での平和な生活と、辺境の現実のギャップに愕然とした。
「そして第三に、王都からの重税だ」
レオンの声が、さらに重くなった。
「これが一番深刻かもしれない」
「重税?」
「辺境の村々は、王都の贅沢を支えるための金づるとして扱われている」
レオンが振り返ると、その目には怒りが宿っていた。
「収穫の七割を税として納めろと言われる。残る三割で、村人全員が一年間生活しなければならない」
「七割も?」
セレスティアは絶句した。通常、農村の税率は三割から四割程度のはずだ。
「魔物の被害で収穫が減っても、隣国の侵攻で働き手が傷ついても、税額は変わらない」
「それでは村人たちが」
「飢えるしかない。実際、毎年冬には栄養失調で亡くなる老人や子どもがいる」
レオンの言葉に、セレスティアは胸が締め付けられる思いだった。
王都の舞踏会で消費される料理の費用だけで、この村の一年分の食糧が買えるだろう。その対比があまりにも残酷だった。
「なぜ、そのことを王都に訴えないのですか?」
「訴えても無駄だ。辺境の声など、王都の貴族たちには届かない」
レオンが苦々しく笑う。
「それに、文句を言えば『反乱の疑いあり』として、さらに厳しい処罰を受ける」
セレスティアは自分の無知を恥じた。
王都にいた頃、辺境の現実など考えたこともなかった。美しいドレスを着て、豪華な料理を食べ、優雅な生活を送ることが当然だと思っていた。
しかし、その贅沢は辺境の人々の犠牲の上に成り立っていたのだ。
「俺がこの村にいるのは、これらの脅威から村を守るためだ」
レオンが再び椅子に座り、セレスティアを見つめた。
「魔物、敵国の工作員、そして時には王都からの無理な要求。すべてから村人たちを守らなければならない」
「一人で、そのすべてを?」
「一人で十分だ」
レオンの自信に満ちた答えだったが、セレスティアには彼の孤独な戦いが想像できた。
「でも、なぜあなたが一人でそこまで? 王都に騎士団の派遣を要請すれば」
「王都の騎士団?」
レオンが鼻で笑う。
「彼らが辺境の民のために動くと思うか?」
「それは……」
セレスティアは言葉に詰まった。確かに王都の騎士たちは、貴族の利益を優先する傾向があった。
「王都の騎士たちにとって、辺境の村人など取るに足らない存在だ。魔物に襲われようが、隣国に侵略されようが、税を納めてくれればそれでいい」
レオンの言葉には、深い失望と怒りが込められていた。
「だから俺が守る。だれも当てにならないなら、自分でやるしかない」
「でも、そんな重い責任を一人で背負うなんて」
「重いか?」
レオンがセレスティアを見つめる。
「確かに大変だ。でも、この村の人たちは俺の家族のようなものだ。家族を守るのに理由など必要ない」
その言葉を聞いて、セレスティアは胸が熱くなった。
レオンは血の繋がらない村人たちを、本当の家族として愛している。だからこそ、一人で戦い続けているのだ。
「あなたの家族は、他にいないのですか?」
セレスティアが恐る恐る尋ねると、レオンの表情が暗くなった。
「いない。もう、だれも」
それ以上は語ろうとしないが、そこには深い痛みが隠されているのが分かった。
「この村の人たちが、俺の唯一の家族だ」
レオンが立ち上がり、再び窓の外を見つめる。
「だから、どんな犠牲を払っても守り抜く」
その横顔には、揺るぎない決意が刻まれていた。
「君に話したのは、この村の現実を知ってもらいたかったからだ」
レオンが振り返る。
「君は今、村人として受け入れられた。でも、それは同時に、この過酷な現実の一部になったということでもある」
「はい、覚悟しております」
セレスティアが真摯に答えると、レオンは僅かに微笑んだ。
「君なら大丈夫だろう。先日の戦いで、その強さを見せてくれた」
「私はなにもできませんでした。子どもたちを守るのが精一杯で」
「それで十分だ」
レオンの言葉に、セレスティアは驚いた。
「君が子どもたちを守ってくれたおかげで、俺は安心して魔物と戦えた。それがどれほど助かったか」
「本当ですか?」
「嘘をつく理由がない」
レオンがセレスティアに歩み寄る。
「君は戦士ではないが、この村にとって大切な人だ。それを忘れるな」
レオンの説明を聞いて、セレスティアは辺境の現実を初めて理解した。
王都での贅沢な生活がいかに特殊なものだったか、そして自分がいかに世間知らずだったかを痛感する。
「レオン様、一つお聞きしたいことがあります」
「なんだ」
「私にも、なにかお手伝いできることはないでしょうか」
レオンが眉をひそめる。
「お手伝い?」
「はい。戦うことはできませんが、他の方法で村のお役に立ちたいのです」
セレスティアの申し出に、レオンは少し考え込んだ。
「君は王立学院で学んだことがあると聞いているが」
「はい、一通りの教養は身につけました」
「では、法律についても知識があるか?」
「基本的なことでしたら」
レオンの表情が明るくなった。
「それは心強い。実は、王都からの不当な要求に対抗するためには、法的知識が必要なんだ」
「どのような?」
「税制に関する法律、辺境統治に関する勅令、そして農民の権利について」
レオンが説明を続ける。
「王都の役人たちは、辺境の住民が無知だと思って、法的根拠のない要求を突きつけてくることが多い」
「それに対して、法律を盾に反論するということですね」
「その通りだ。ただし、微妙な交渉が必要になる」
セレスティアの目が輝いた。これなら自分にもできる。
王立学院での教育が、こんな形で役に立つとは思わなかった。
「ぜひ、お手伝いさせてください」
「本当にやる気があるなら、明日から村の記録を整理してもらおう」
「記録、ですか?」
「収穫量、人口、税の支払い履歴。すべて正確に記録しておけば、不当な要求に対する証拠になる」
レオンの提案に、セレスティアは心躍った。
「わかりました。必ず、きちんとした記録を作ります」
「頼む」
レオンがセレスティアの肩に手を置く。
「君の知識と経験が、この村を救うかもしれない」
その言葉に、セレスティアは深い感動を覚えた。
これまで自分の存在意義を見失っていたが、ついに本当の使命を見つけたような気がした。
「レオン様」
「なんだ」
「私は今まで、王都の贅沢な生活が当然だと思っていました。でも、それは間違いでした」
セレスティアが真摯な表情でレオンを見つめる。
「この村で、本当の人生を学ばせていただいています」
「人生を学ぶ、か」
「はい。人として大切なことはなんなのか、どうやって生きるべきなのか」
レオンがゆっくりと頷く。
「君は確実に変わった。もはや、王都の悪役令嬢の面影はない」
「ありがとうございます」
「ただし」
レオンの表情が厳しくなる。
「この村の現実は甘くない。君が想像している以上に過酷だ」
「覚悟しています」
「本当に大丈夫か? 冬になれば食糧不足で苦しむこともある。病気になっても薬が手に入らないこともある」
「それでも構いません」
セレスティアの返答に、レオンは満足そうに微笑んだ。
「なら、歓迎しよう。本当の村の一員として」
二人は固い握手を交わした。
それは、共に村を守る仲間としての誓いでもあった。
翌朝、セレスティアはさっそく村の記録整理に取りかかった。
村長のゲルハルトから過去数年分の帳簿を借り受け、小屋で丁寧に整理していく。
しかし、その内容を見て愕然とした。
収穫量に対する税率の異常な高さ、度重なる追加徴税、そして法的根拠の曖昧な罰金。
王都からの搾取は、セレスティアが想像していた以上に酷いものだった。
「これはひどすぎます」
思わずつぶやいたとき、エルナ婆が訪ねてきた。
「お嬢ちゃん、難しい顔をしてなにをしてるんだい?」
「村の記録を整理しているのですが、あまりにも理不尽な内容で」
「ああ、それかい」
エルナ婆が重いため息をつく。
「わしらもわかってるよ。でも、どうしようもないからね」
「でも、これは明らかに法律違反です」
「法律って言っても、相手は王都の偉い人たちだからね」
エルナ婆の諦めにも似た言葉に、セレスティアは心を痛めた。
「大丈夫です、エルナさん。今度は違います」
「違うって?」
「私と、レオン様が一緒に戦います」
セレスティアの力強い宣言に、エルナ婆の表情が明るくなった。
「お嬢ちゃん、本当に頼もしくなったねえ」
「皆さんのお役に立てるよう、精一杯頑張ります」
「ありがとうよ。わしらも、できる限り協力するからね」
エルナ婆の言葉に、セレスティアは温かい気持ちになった。
村人たちとの絆が、確実に深まっている。
もはや自分は、この村に欠かせない存在になったのだ。
窓の外では、レオンが馬に乗って見回りに出かけるところだった。
彼の後ろ姿を見送りながら、セレスティアは決意を新たにした。
この村と村人たち、そしてレオンを守るために、自分にできることをすべてやろう。
それが、新しい人生を歩む自分の使命なのだから。




