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異世界転生したら、弟が婚約者になりました  作者: くなぎ八重
第一章 常緑の国を巡る旅
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6話   常緑の国にて⑥


 彼にとって、姉という存在は、まさに「絶対王政」だった。

 命令は絶対、口ごたえは何倍にもなって返される。それなのに、彼女の瞳にはいつも深い親愛の情が宿っていた。

 口うるさくて、ちょっと偉そうで、でも誰よりも自分を気にかけてくれた女性。

 ひとつの傘の下で肩を寄せ合ったこともあれば、喧嘩をしておやつを隠されたこともある。

 大人ぶった態度で子ども扱いをするくせに、平気で涙をこぼすこともあった。

 他人には決して見せない弱さを、弟である自分にだけは見せてくれた。

 理不尽さと優しさが同居する、最強にして最愛の支配者――。

 その存在が、満面の笑みで圧をかけてくる。


「なにか隠していることがあるわね?」


 目の前の彼女は、記憶の中の姉とはまったく違う姿をしている。

 それでも、逃さぬよう見据えるその瞳には、あの頃と変わらぬ芯の強さが見て取れた。


「う……」


 リヒトは言葉に詰まり、視線を泳がせる。

 「月の宝玉」と称される美貌は今や凄みすら感じさせ、思わず身体を引いてしまう。

 

「ず、ずるいぞ。俺が姉さんの圧に勝てないのを知ってて……!」

「じゃあ、早く言いなさい」

「も~! その顔で凄むなよ……」


 彼は思わず頭を抱えてうつむく。

 前世で築かれた姉弟の上下関係は、生まれ変わった今でも健在だった。


「俺だって、全部を知ってるわけじゃない。でも――」


 彼は短く息を吐き、観念したように顔を上げる。

 目には真剣な光が宿っていた。


「俺は、生まれ変わったわけじゃない。……“転移”なんだ」

「転移……?」


 言葉をなぞるように、ルナリスが呟く。


「うん。ある日突然、()()()()に飛ばされた。……姿も、記憶も、そのまま」


 ルナリスは息を飲んだ。

 彼女がこの世界に“生まれ変わった”のとは、まるで性質が違う。

 つまり、彼は魂だけではなく、理人(りひと)という存在そのものとして、この世界へやって来たのだ。

 俄かには信じがたい話――少なくとも、自分以外の人間にとってはそうだろう。

 だがルナリスもまた、前世を持つという信じがたい人生を歩んできた身だ。それに前世では、「転移」や「転生」を題材にした物語が数多く存在していた。

 まさか自分の身にそれが起こるとは思いもしなかったが、不思議と腑に落ちる感覚もあった。

 

「それじゃあ、今のあなたの家族は……」


 首をかしげるルナリスに、彼は気まずそうに視線を逸らした。


「“運命(フェイト・)調律(チューニング)”っていうらしい」

「運命調律……?」

「うん。世界の理、って言えばいいのかな……とにかく、そういう力が働くみたいなんだ」


 初めて聞く言葉だった。リヒトは、言葉を手探りするように続けた。


「異世界に転移すると、自分に関わる記録や、周囲の記憶が書き換えられる。矛盾や違和感をなくすように……」

「そんなことが可能なの?」

「分からない。俺の意思でできることじゃないし……でも、実際にそれが起きた」

「……まるで物語の世界ね」


 話を聞けば聞くほど、ルナリスは自分とリヒトの状況がいかに異質かを思い知らされる。

 ただひとつ確かなのは、転生には転生の、転移には転移の、それぞれに固有の理があるということだ。


「それって――」

 

 ルナリスがさらなる問いを口にしかけたその時、ふいに意識を引き戻すような音が鳴り響いた。

 二人は揃って天を仰ぐ。

 高い塔から響く鐘の音が、夕暮れの空に幾重にも重なり、やがて溶けていく。

 どれほど長く話し込んでいたのだろう。

 空はすっかり茜色に染まり、風も冷たさを帯び始めていた。

 リヒトの横顔は、どこかほっとして見える。

 それが何かをはぐらかしているように感じて、ルナリスの胸には僅かな違和感が残った。


「時間だ。今夜は晩餐会があるだろ」

「もう! 聞きたいことが山ほどあるのに……!」


 今夜は、貴族たちを迎えての晩餐会が予定されている。

 名目は、国交復活八十年の記念式典と、隣国ノクティリカからやって来た使節団の歓迎。

 ルナリスはその使節団の一員として、そして主賓国王子の婚約者として出席することになっている。

 ウォルフワーズ王家の王子と、ノクティリカの令嬢。

 どちらも、遅刻など許されない立場だ。

 差し出された手を取り、ルナリスは渋々席を立つ。

 優雅なエスコート。傍から見れば、申し分のない婚約者同士の姿だろう。

 よくよく考えてみれば、この後の晩餐会でも、彼に伴われての入場となる。

 婚約者として、その腕に寄り添い――。


(ちょ……っと待って。それっていいの? だって、リトは弟で……今はもう違うけれど、私は姉で――。ああ、ダメ。考えることがありすぎて、頭が回らない!) 


 淑女のすました顔の裏で、ルナリスは思考をぐるぐると巡らせる。

 そんな心を知ってか知らずか、彼は暢気に笑った。


「あっちの世界を知っていると、立場って面倒だなって思うよ」

「……それには同意するわ」


 二人は庭園を引き返し、王宮へと歩き出す。

 草原の地平に沈みかけた太陽が、長く伸びたふたつの影を淡く揺らしていた。

 

「それじゃあ、私は準備があるからここで」


 別れ際、ルナリスがそう声をかけると、


「姉さ――いや、ルナリス、嬢……!」


 彼は意を決したように口を開き、たどたどしくそう言った。

 

「な、なによ急に改まって。しかもカタコトだし……」


 名を呼ばれた瞬間、ルナリスはぴたりと動きを止める。同時に、彼の緊張が伝わって、こちらまで落ち着かない気分になってしまう。


「いや、その……立場的にも関係的にも、“姉さん”呼びはまずいよなって」


 言われて、ルナリスも思い当った。

 たしかに、今の自分たちの関係を考えれば、呼び方を改める必要がある。

 

「では、私のことは“ルナリス”と」

「よ、呼び捨て!?」

「当たり前でしょう。あなたは今や、一国の王子なのだから」


 家臣たちの目に入らぬよう、胸元に指を突きつけると、彼は蚊の鳴くような声で「わかった」と答えた。


「じゃあ、俺のことは“リヒト”で。愛称なんだ」

「……前と変わらないじゃない」

「……呼びやすくていいだろ」


 愛称とはいえ、名前までもが前世と同じとは。

 ルナリスはふと思ったが、転移とはそういうものなのだろう、と自分を納得させた。


「では、リヒト殿下」

「や、殿下はいらな――」

「晩餐会でお会いできること、楽しみにしておりますわ」


 ルナリスは花が開くような所作で一礼すると、いたずらっぽい視線を送りつつ振り返る。

 口に出してみた馴染みのある名前は、しかしどこか以前より遠く感じられた。

 今世での名を呼び合う。それだけで、ふたりの距離が少しだけ変わったような気がする。

 弟ではなく、この国の王子として。

 そして――婚約者として。

 心が追いつかないまま変わっていく現実が、ルナリスの胸を静かに波立たせた。




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