【記憶】 本宮理人③
その日は、唐突に訪れた。
予兆など、なにひとつなかった。空気の澄んだ、凍えるような冬の日だった。
先に家を出る理沙を、理人は玄関先で見送った。
姉はいつもと変わらぬ慌ただしさで、忘れかけていた弁当を見つけた理人が声をかけると、「ありがとう」と笑って受け取った。
疲れの見える顔に、理人は眉をひそめる。
「……あんまり無理するなよ」
労りの声をかけても、彼女は手をひらひら振り、「平気へーき」と笑って家を飛び出していく。
「手のかかる姉だなぁ」
理人は呆れたようにため息をつきながらも、口元に微笑みを浮かべた。
それが、生きている彼女の、最後の姿だとも知らずに。
夜になり、アルバイトを終えた理人が帰宅すると、部屋は暗いままだった。
風呂を沸かして、食事の支度を終える。
だが理沙は、いつまでたっても帰ってこない。時計はすでに夜の十一時を回っていた。
さすがに心配になり、外へ飛び出したそのとき。
空に、無数の光が走った。
まるで、あの世界で見た流れ星のように。
胸騒ぎがする。
ニュースでも、ネットでも、流星群が起きることは言われてなかったはずなのに。なぜ、今――。
頭の奥に、無機質な声が響く。
ぞくりと、肌が粟立った。
――オ待タセシマシタ。只今、帰還ノ準備ガ整イマシタ。
コレヨリ、同位座標ニ接続ヲ開始シマス。
全身が凍りつく。
「やめろ! 待ってくれ!」
気が付けば、理人は走っていた。息を切らし、理沙の帰り道をたどるように。
街は不自然に静まり返っている。
人影もなく、車さえ通らない。
ネオンの光は薄く滲み、世界そのものが崩れていくかのようにぼやけていた。
再び声が響く。
――帰還ノ確立ニヨリ、スキル“行きし者”ガ、バージョンアップサレマス。
「やめてくれぇ!」
理人は叫びながら走り続ける。目の前の角を曲がれば、駅前だ。
きっと理沙は、頬を赤くしながら家路を急いでいるに違いない。
白い息を吐きながら、「寒いなぁ」なんて呟いて。
しかし、視界に飛び込んできたのは――。
コンクリートの地面に広がる、鮮やかな赤。
そこへ流れる、黒い髪。
光を失った目を虚ろに開いて、彼女が倒れていた。
「……理沙!」
駆け寄り、抱き上げる。
細い身体はすでに冷たく、恐ろしいほど白い頬が、闇の中に浮かぶ。
――オメデトウゴザイマス。アナタハ、スキル“行きて還りし者”ヲ取得シマシタ。
コレヨリ、転移ヲ開始シマス。
「やめろ……! 理沙、理沙ぁぁ!!」
理人は泣き叫び、凍りついた姉を必死に抱き締めた。
光が彼を包み込む。
無機質な声も、歪む世界も、なにもかもが頭に入ってこない。ただ、喉が裂けるほどの慟哭だけが、響き渡った。
そして、ひときわ眩い閃光ののち、理人の姿は消えた。
理沙の亡骸を、冷たい街に残したまま。




