51話 アメフラシ作戦①
ノースメドウ地区。
王都管轄区との境界に接しているこの地区には、グランメル領北部を守る重要拠点が置かれている。
ガント隊長率いる騎馬隊の駐在地であり、リヒトたちが初めて炎蹄馬に襲われ、援軍を要請したのもこの砦だった。
あの時と比べ、今の砦はさらに物々しい。大量の武器と防具が積まれ、他区から駆けつけた騎馬隊が次々と門をくぐる。槍や鎧のきらめきが、昇りかけの朝日に照らされて冷たく光っていた。
リヒトやラセル、アイゼン、マシューらは第一陣としてひと足早く到着し、作戦に必要な準備や最終確認を行っている。他の部隊も、休息を終え次第こちらに合流する予定だ。
ルナリスの護衛はライラが引き受けてくれた。
王から妻へと望まれ引退したとはいえ、彼女はかつて近衛騎士団の一端を担った騎士。剣の腕は確かだった。
もっとも、あのふたりが妙な方向で行動力を発揮してしまわないかという懸念は、完全には拭えないのだが。
今は明け方。激励の宴に顔を出した連中も、そろそろ到着する頃だろう。
「まさか、殿下のもとで戦える日が来るとは」
背後からかけられた声に、リヒトは振り返った。
槍を肩に担いだガント隊長が、目を細めて笑っている。
「祖父に試されてるだけだよ」
苦笑で返すリヒトに、ガントは首を横に振る。
「それだけ、殿下への期待と信頼があるのでしょう。武を誉とするグランメル家らしい」
肉親、ましてや王家に連なる者であっても、彼らは容赦なく厳しい試練を課す。それがグランメル家の誉れであり、責務でもあった。
リヒトもまた、この炎蹄馬との再戦を望んでいた。
(もし、炎蹄馬が何らかの原因で暴走しているとしたら……)
リヒトには、馬の魂を導くとされる存在がもとより荒ぶっていたとは、考えられなかった。
馬は、この国の人々にとって宝であり、友だ。その優しい魂を導く者が、なぜ――。
もし本当に暴走しているのだとしたら、それを鎮める術はないものか。討伐以外に、道はないのだろうか。
リヒトは思案に耽り空を仰ぐ。
そこへ、砦の周囲を歩き回っていた黒狼のゼファーが姿を見せた。
低く喉を鳴らし、耳を伏せ、あたりを見回している。落ち着きのない様子は、まるで風の中に混じる何かを嗅ぎ分けているかのようだった。
野生の本能が察知した不穏な気配。それが、リヒトの胸の奥にも薄い緊張を走らせる。
決戦は近い。そう思わずにはいられなかった。
淡い朝焼けが砦の石壁を照らし、乾いた空気が頬をかすめる。頭上には、夜明けを名残惜しむかのように、まだひとつふたつの星が瞬いていた。
一方で砦の外、ノースメドウ地区を流れる川辺では、別動隊が動いていた。
兵士たちが警戒する中、荷台には仰々しい木箱と金属部品。それを前に、オズが黙々と手を動かしている。
隣ではサフィナが作戦を復唱していた。
今回の作戦はこうだ。
収集した情報をもとに炎蹄馬の出現予測地点を複数割り出す。
分隊ごとに哨戒し、出現を確認次第オズの魔道具『お知らせ君』で全隊に通達。
戦況に応じて撤退、あるいは交戦しつつ炎蹄馬を川辺へ誘導。
そこで切り札の『アメフラシの象』を展開し、炎蹄馬の炎を弱体化させる――。
作戦名は『アメフラシ作戦』。
まさに、オズの発明品が要となっている。
しかしその彼は、うんうん唸ったり、「あれ、部品が足りない? いやいや、大丈夫……」など呟きながら、自身の開発した魔道具と向き合っている。
ここに至るまでの道中さえ、自信無さげな言葉と頼りない背中を見聞きしていたサフィナなので、
(……ほんとに、うまくいくのかなぁ)
と、つられて不安になってしまう。
目を離したすきに忽然と消えてしまいそうな姿は、呆れを通り越して心配さえ感じさせる。
「私が言うのもなんですけど……オズさん、もっと自分に自信を持っていいと思いますよ」
「そ、そう言われましても……」
言葉は返すものの、視線と手元は魔道具にかかりきりだ。
「だって、オズさんの魔道具って、本当に凄いじゃないですか。この“お知らせ君”だって、遠くの相手に声が伝わるんでしょう? 仕組みはよくわからないけど……」
「そ、それはですね、リヒテンダルト様の毛髪を編み込んでいまして、あの方を中継地に――」
「あ。それ以上はいいです。なんか、すっごく不遜な言葉が聞こえたような気がしたから」
サフィナはそう言って手元の人形を眺めた。
小枝に麻紐を結って作られた呪いの人形、もとい『お知らせ君』には、所々赤茶色の糸が巻き付けられている。まさかそれが、王子の髪の毛だとは。
彼を敬愛する兵たちに知られれば事なので、サフィナはこの事実を胸に秘めることにした。
ちなみに、この人形は魔力を持たないウォルフワーズの人間でも扱えるよう、オズの血を混ぜた水に麻紐を浸してある。そのため効力は弱く、二、三度使えば壊れてしまう。
そんな仕組みを知らないサフィナは、胡乱気な瞳ながらも人形をまじまじと見つめていた。
「よし。これで、完成……のはず」
その横でオズは最後の部品を締め込み、ゆっくりと立ち上がった。
金属の軋む音とともに、荷台から巨大な影が姿を現す。
川面を背に立つそれは、まるで異国の神獣を思わせる形をしていた。
「……え、これが……“象”?」
サフィナの口から、間の抜けた声が漏れる。
唖然とした表情のまま、彼女はその奇妙な魔道具を見上げたのだった。




