49話 決意④
それから数日の間にも、領主邸には報告書を抱えた兵士が慌ただしく出入りし、視察団の物資が次々と運び込まれていった。
護衛として残っていたラセルやマシュー、アイゼンも駆り出され、武器や防具の確認に追われている。
「炎蹄馬との決戦が近い」
カイルから再戦を伝えられたのは、そんな最中だった。
その日の夜は、家族だけが集まるいつもの食堂ではなく、館の大広間に明かりが灯されていた。赤と茶色が重ねられた石壁には、グランメルの紋章が刻まれた布飾り。長い晩餐卓には蒸した野菜や香草肉、焼き立てのパンが次々に並べられていく。
招かれていたのは、グランメル領の騎馬隊と、使節団一行。いつになく賑やかな笑い声と、金属の食器が触れ合う音が混じり合う。
炎蹄馬の危険性をあらためて印象づけ、討伐にかける熱意を示す。この宴は、そうした意図をもって催されたものだった。出発が遅れたことへの使節団の不満も、客人をひとつの場に呼ぶことで丸く収めようとしているのだろう。
ルナリスは、出された果実酒に口をつけながら、密かにカイルを見た。
(ああ見えて、カイル様は狡猾だ)
それは、悪い意味だけではない。この地を預かる者として、綺麗ごとだけでは務まらないことを、彼はよく知っているのだ。
ライラから聞いた話では、水源の調査をリヒトに命じたのも、カイルの指示だったという。
結果的に異常はなかった。
けれど、もしも見つかっていたとしたら──あの湖の静けさに、ほんの一滴でも異変の影があったなら、カイルはどこまで踏み込んでいたのだろう。
その問いは、ルナリス自身へと返ってくる。
自分は、どうだっただろうか。
覚悟は、あったのか。
それは命を投げ出すような悲壮なものではなく、どんな人間とも、どんな価値観とも渡り合うという、地に足の着いた覚悟だ。
そうして守れるものがあることを、ルナリスは初めて思い知った。
食事が進み、やがて場は自由な歓談の時間へと移っていた。どこからか楽器の音が流れはじめ、数人の兵士が声を揃えて歌い出す。
ルナリスは辺りを見回した。ついさっきまで隣に座っていたリヒトの姿が、どこにも見当たらない。
(……どこに行ったのかしら?)
水源調査からずっと、リヒトとは挨拶以外の言葉を交わしていない。一方的に、彼を避けてしまっているのだ。
理由は、もはや怒りだけではなかった。それどころか、時間が経つにつれて怒りの熱は薄れ、いまでは灰となって消え去ろうとしている。
代わりに芽生えたのは、戸惑いだった。しかも、それは今までのような生易しいものではない。
彼の姿を目にすれば、心臓は喉まで跳ね上がり、胸を内側から叩き始める。声を聴けば、その響きが一日中、耳にまとわりついて離れなかった。
きちんと話をしたい気持ちはあった。謝りたいとも思っていた。だが、いざ彼の前に立とうとすると、逃げ出したくなってしまう。
こんなふうに誰かに向き合えなくなるなんて、はじめてのことだった。
(逃げてる場合じゃない……)
炎蹄馬との戦いには、リヒトも参加するという。
危険な任務だ。何が起こるかわからない。
いま、話さなければ。
鳴り響く鼓動を押さえながら、ルナリスはもう一度、彼の姿を探した。
笑い声があちこちで湧き起こる。
奥の方では、小さな輪がいくつもできていた。兵士たちが手を取り合い、歌と共に軽やかなステップを踏んでいる。即興の踊りだろうか、誰かが手拍子を打つたび、輪の中から歓声が上がった。
ルナリスのもとにも、若い兵士がひとり、顔を赤くしてやって来た。
踊りの輪に入らないかという誘いを、微笑みと共にやんわり断る。兵士は赤い顔をさらにのぼせあがらせると、どこか夢見心地で戻っていった。
その背中を見送っていると、人の輪の向こう側に、見知った侍女の姿を見つけた。
彼女の隣には、見上げるほど背の高い、痩身の男性。
ぼさぼさの黒髪にずれた片眼鏡。ライラによって強引に連れまわされていた、不憫な魔術師――オズの姿があった。
「ルナリス様!」
こちらを見つけた侍女のサフィナが、困り顔で駆け寄ってくる。
その手を取るようにして追ってきたのはオズだった。焦りの浮かぶ表情で何かを説明しているが、その話はどうにも要領を得ない。
と、そこへ、ライラが割って入った。
瞳と同じ色のドレスをまとい、いつもより落ち着いた立ち居振る舞いで彼女は言う。
「ルナリスちゃん。炎蹄馬討伐のことだけど、どうしても、魔力を使える者が一人でも多く必要なの」
グランメルの騎馬隊は優秀だが、相手は炎を操る魔物だ。無策のままではその業火に対抗できない。
今回の作戦には、オズの発明品『アメフラシの象』が使われることとなった。彼の魔道具を推薦したのは、もちろんライラだ。
だが、この『アメフラシの象』。微弱な魔力しか持たないオズひとりでは、運用が難しい。
そこで白羽の矢が立ったのが、サフィナだった。彼女の生まれもノクティリカであり、当たり前のように魔力を持っていた。
「わたし、魔力の扱いは苦手で……。無理ですよ、そんな大役なんて」
サフィナは怯えながら、ルナリスを見上げた。大きな青い瞳が、潤んで揺れていた。
力の制御が苦手な彼女は、魔術学院で学ぶことを放棄してしまっていた。戦いにだって長けているわけではない。
ライラからは頭を下げられ、オズからは縋りつかれ、サフィナは大いに困惑した。それでも完全に拒否できないのは、きっと彼女にも思うところがあるのだろう。
「ねぇ、サフィナ」
「はいぃ……」
弱り切ったその返事に、つい笑みが零れてしまう。
「本当に、あなたが嫌だと思うなら、断ってもいいの。でも、力になりたいという気持ちが、少しでもあるのなら――」
ルナリスは、そっとサフィナの手を握り、瞳を覗き込んだ。
「大丈夫。きっと、あなたなら出来るわ」
「ルナリス様……」
しばしの沈黙のあと、サフィナは小さく頷いた。結ばれた口に、彼女の決意が表れている気がした。
「……わたし、やってみます。ライラ様やオズさん、この街の人たち……それに、ルナリス様の大切な殿下を、少しでもお助けできるなら……!」
「あ、あ、ありがとうっ! サフィナさん!」
オズは感極まって涙を流している。ずれた片眼鏡もそのままに、サフィナの足元にへばりついた。
やれやれ、と息を吐きながら、ルナリスは苦笑した。それから、忘れてはいけない条件をひとつ、付け足した。
「ただし、絶対この子を無事に帰してくださいね。私のかわいい侍女に、傷など付けぬよう」
「はいっ、誓いますっ!」
主の言葉を照れくさそうに聞きながら、サフィナはいよいよオズを剥がしにかかる。
その光景を笑って眺めていたルナリスに、
「ありがとう」
と言ってライラは頭を下げた。彼女からは、グランメル家を想う娘としての感謝が溢れていた。
そして、すっと顔を上げた彼女は、ルナリスの耳元でこう尋ねた。
「あのね、少し話があるの……。一緒に来てくれる?」




