表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界転生したら、弟が婚約者になりました  作者: くなぎ八重
第一章 常緑の国を巡る旅
50/64

48話   決意③


 「アイゼンですよ」


 さらりとラセルは答えた。

 次第に雲が厚くなり、空気にはかすかに雨の気配が漂い始めた夕暮れ前。ルナリスはグランフィルドの湖畔で、魚一匹入っていないカゴを手に、ラセルに迎えられていた。

 そこで先程の質問を直接本人へ投げかけたのだが、あっさり返ってきた意外な人物の名に、ルナリスは驚きの声を上げた。

 ラセルは軽く肩をすくめ、苦笑いを浮かべている。


「そんなに驚くことですか?」

「だって、ふたりとも全然、そういう様子を見せないから……」


 ルナリスの言葉に、ラセルはすっと目を細め、


「てっきり、やつが言いふらしているものとばかり思っていましたよ」


 と笑った。

 静かな湖畔の景色を背に、四人はゆったりとした足取りで領主邸へと戻っていた。オズも同じ帰路をたどるのは、ライラから呼び出しを受けているためだった。彼はまるで魂が抜け出しそうな表情を浮かべながら、小声で「なんだろう……また何かやらかしたかな……」と呟いている。

 一行の話題はすっかり「結婚」についてで持ち切りだった。騎士団の誰々が恋仲だとか、王都の花屋の看板娘が婚約したらしいといった、顔も知らない人々の恋愛事情に、ルナリスは瞳を輝かせてうきうきしている。

 なにしろ、彼女にとってこれが初めての所謂「恋バナ」だったのだ。

 実際には、筋骨隆々の大男、女性騎士、そして外套を引きずる隠者のような男という、奇妙な組み合わせ。もし恋話に熱中する令嬢が目にすれば、訝しげな顔をするに違いない。


「ラセルやマシューは、どうして結婚しようと思ったの?」


 ふとルナリスから零れた子供のような質問に、マシューは少し考えてから、にっこりと笑った。


「俺はもう、腐れ縁みたいなもんさ。でも、一緒にいるのはあいつしか考えられなかったな」


 ラセルも穏やかに微笑みを浮かべて答えた。


「私も似たようなものですよ。理由なんて、大げさなものじゃありません」

「そういうものなの?」

「ええ。ですが……ルナリス様のお立場だと、私たちのようにはいかないのでしょう」

 

 その言葉の後、彼女は静かに尋ねた。


「……殿下とのことを、悩んでおいでなのですね」


 ルナリスの胸がぎくりと跳ねる。

 殊更明るく振舞おうとする自分の裏側を、ラセルには見透かされているようだった。鋭いまなざしの中に、確かなあたたかさと心配の色が浮かんでいるのを、ルナリスは感じ取った。

 少しだけ顔を伏せ、ゆっくりと話し出す。

 

「リヒト、ね……私に、隠し事をしていたでしょう。水源の調査とか……」


 曖昧に濁したのは、前世のことを語れないからだ。それが余計に、ルナリスの言葉を迷わせている。


「色々、怒りたい気持ちもあるの。でも、彼にそうさせたのは、もしかしたら、私なんじゃないかって。そう考えたら……リヒトにとって、私の存在ってなんなんだろう。そんな風に思えてきて……」

 

 口にしてから、胸の奥に沈んでいた思いが、よりはっきりと形を取って押し寄せてくる。

 ――私は、彼をちゃんと見ていただろうか。

 心のどこかで、前世で築いた絆に甘えてはいなかったか。

 弟だった頃の姿を重ね、この世界で生きる彼の選択や葛藤を、真っすぐに受け止められていなかったのではないか。

 それが知らず知らずのうちに彼を追い詰め、遠ざけてしまったのでは。

 そう思うと、胸がひどく締めつけられた。

 ルナリスは言葉を失い、小さな手を握りしめる。

 マシューもオズも互いに目を見交わし、何か声を掛けたそうにしながらも、ためらっている様子だった。どう慰めるべきか、その正解を見つけられないのだろう。

 沈黙を破ったのは、ラセルだった。

 

「結婚とは、互いに許し合い、受け入れ合うこと……私はそう考えています」

 

 唐突とも思える言葉に、しかしルナリスは聞き入った。なにか、大切なことを伝えようとしてくれている。そんな確信があったから。


「良いところだけを見て、ずっと一緒に過ごせるわけではありません。嫌なところも見えてくるし、理解できないこともある……」

 

 ラセルの声は、目の前に広がる湖面のように落ち着いている。

 

「でも、それを受け入れて、また喧嘩して仲直りして……そんなことを繰り返しながら、共に生きていくのです」


 そして、軽やかに笑いながら言葉を添えた。

 

「許せないことも、実際はたくさんありますよ? それでも、一緒になってよかったと……これからも、そうありたいと思える相手だからこそ、受け入れられるのではないかと思うのです」

「喧嘩して……許し合い、受け入れる……」


 ルナリスが反芻すると、


「まるで、今のリヒテンダルト様とルナリス様みたいですね」


 遠慮がちに微笑んで、オズが呟いた。


「殿下のこと、お嫌いですか?」


 ラセルの問いかけに、ルナリスは首を小さく横に振り、視線を落とした。

 前世の記憶。現世での再会。まっすぐな眼差し。楽しかった旅の思い出。ふとした優しさ。

 心に浮かぶ数々の出来事。

 彼が向けてくれた笑顔は、前世でも今でも、同じぬくもりを帯びていた。そこに嘘なんて、一度もなかった。

 リヒトはずっと真摯に向き合ってくれた。たとえ自分が、彼の姉であろうとなかろうと。

 それなのに、自分は何をしているのだろう。

 彼の想いを受け止めることもせず、立ち止まっている。

 本当は――とっくに答えなど出ているはずなのに。


「踏み出しても……いいの?」


 唇を噛み、ルナリスはようやく言葉をこぼした。


「……あんなに真っ直ぐな彼を、私が縛ってしまうかもしれないのに」


 言葉を紡ぐルナリスの瞳に、わずかな迷いと戸惑いが揺れる。

 それは、長く心に秘めてきた不安の吐露だった。

 ラセルはルナリスに向き直り、そっと細い手を取った。

 

「ルナリス様。どうか、お一人で抱え込まず、素直なお気持ちを殿下にお話しください。あのお方ならば、きっとその気持ちを受け止めてくれるでしょう。そして――」


 彼女の瞳は真剣そのもので、静かな力強さを帯びている。

 

「どうかルナリス様も、殿下のお心を受け止めてさしあげてください」


 マシューも頷きながら言葉を添えた。

 

「それができるのも、きっとルナリス様だけです」

「わたし、だけ……」


 その瞬間、雨の匂いを含んだ風がふわりと通り抜ける。

 ラセルやマシューの言葉が、湖面に広がる波紋のように心を響かせる。

 やがてルナリスは顔を上げ、こくりと頷いた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ