4話 常緑の国にて④
※「萌芽」の中月=4月
(そりゃあ、「すぐ会える」なんて言ってたけれど……)
一歩前を歩く背中を追いながら、ルナリスは心の中で小さく唸る。
立会人による顔合わせを済ませた二人は、場所を移して、緑あふれる城の庭園を歩いていた。
もちろん侍女や護衛役たちが遠巻きに控えているため、完全に二人きりというわけにはいかないが、声をひそめれば会話の中身までは届かないはずだ。
内密の話をするには、またとない機会。けれど、ルナリスの口はなかなか開かなかった。
妙な緊張が、纏わりついて離れない。
(こんな形で出会うなんて思いもしなかった。弟が婚約者? あのリトが?)
思考がぐるぐると回って、現実に追いつけない。
そして、その混乱は彼も同じらしいと、ルナリスは思う。
顔合わせのときから、ずっとそわそわと落ち着かない様子で、何か言いかけては口を閉じる。先ほどからずっと、その繰り返しだった。
二人が歩く庭園は見事に手入れされており、草花と木々が織りなす緑の調べに満ちていた。今は「萌芽」の中月。多くの花々が美しく咲き誇り、樹木は瑞々しい若葉に覆われている。
木漏れ日が地面を柔らかく照らし、風は優しく頬をなでていく。
目の前でふわふわと揺れる赤茶色の髪を見つめながら、ルナリスはふと、ある記憶を思い出した。
「……どうしたの?」
漏れてしまった笑い声に、彼がようやく振り返る。
「ん……なんか、懐かしいなって思って。その猫っ毛、相変わらずね」
「なっ――」
「時々、すっごい寝ぐせができてたわ。なのに、雨の日には『ぺったんこになるー』って騒いで」
「い、いつの話してるんだよ……!」
彼は思わず声を荒げたが、遠くから見守る家臣たちの視線に気づき、ぐっと言葉を飲み込んだ。
ルナリスはその様子をじっと見つめていたが、やがて小さく息を吐き、どこか寂しげな笑顔を浮かべる。
「ホント……いつの話なんだろう、ね」
その一言は、どこか線を引くような響きを持っていた。
向かい合う二人の間を、風が通り抜ける。
ルナリスは、彼の目線がほとんど自分と同じ高さにあるということに気付いた。以前は、少しだけ下にあった、彼の瞳。
見知らぬ成長の跡は、互いに知らない時間を過ごしてきたことに他ならない。
前世の家族に再び出会うという、奇跡のような出来事。
ルナリスの心は、何度も歓喜に揺れた。ともすれば今だって、その喜びに身を任せたくなる。
――けれど。
彼には彼の人生がある。
どのようにこの世界へとやって来たか想像もつかないが、今の彼は弟としてではなく、この国の王子として生きた時間がある。
今の自分が、ルナリス・アイオライトとして生きているように。
「あの、さ」
ルナリスの目に、ふと陰が差したのを見て取ったのか、彼はほんの少し表情を曇らせた。
それでも、すぐに穏やかな声音で、そっと声をかけてくる。
「……色々、積もる話もあるけどさ。俺は、会えてよかったって思ってる」
その言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなる。
真っ直ぐに向けられる優しい言葉が、変わらない彼の面影を呼び起こしていた。
「……うん。私も、会えて嬉しい」
短く、けれど確かな想いを返すと、彼は少しだけ口元を緩めた。
ふわりと優しい沈黙が訪れる。
知らない時間を過ごしてきたことに、寂しさがないわけではない。けれどそれ以上に、奇跡のような再会を大切にしたいと思った。
今はそれでいいのだ。きっと。
ルナリスはそう自分に言い聞かせ、前世と今の間で揺れる感情をそっと胸の奥にしまい込んだ。
「展望台に案内するよ。気に入ってる場所なんだ」
殊更に明るい声がかかる。
気を遣われただろうか。あるいは、彼自身も、このくすぐったい空気を変えたかったのかもしれない。
「展望台? 何が見えるの?」
「街と平原。それ以外は何も。でも、そこでならゆっくり話せると思う」
そう言って、リヒトはそっと手を差し出した。
その仕草はどこかぎこちなくもあったが、迷いのない真っ直ぐな眼差しが添えられていた。
「……なにそれ。まるで王子様みたい」
思わず目を丸くすると、彼は少しむくれたように言い返した。
「王子様だってば」
小さく笑い合い、ルナリスは彼の手をそっと取る。
触れた温もりは変わらないのに、指の長さも、掌の広さも、記憶よりずっと遠くにある気がして。
包み込むようなその手に、ルナリスはほんの少し戸惑いを覚えた。




