40話 グランフィルド③
石造りの家々が立ち並び、木造の屋根からは白煙が細く昇っている。窓辺に干されたハーブや革細工の飾りが風に揺れ、活気ある声が通りに響いていた。
グランメル領の中心都市、グランフィルド。
かつて騎馬の民が築いたとされるこの街は、家畜や皮革などの交易の要として、広大な南部一帯から商人と物資が集まってくる。市場には屋台が軒を連ね、焼きたての串焼き肉の匂いが鼻先をくすぐる。通りには馬と荷車が入り乱れ、貴族風の衣装に身を包んだ客と、泥にまみれた農民が同じ道をすれ違っていた。
「わあ、見てください、ルナリス様! あの屋台、りんごのパイを焼いてますよ!」
サフィナが目を輝かせながら駆け出し、一軒の屋台に近寄る。けれども、すぐにラセルに腕を引かれて制された。
「まったく、むやみに走るな。ここは騎馬の通行が多い。はねられてからでは遅いぞ」
「……はぁい」
注意されて頬を膨らませるサフィナ。とはいえラセルも、鞍飾りの並ぶ屋台に差し掛かると、つい気になってしまうようで、
「……それ、欲しいの?」
と、口元を緩めて問うサフィナに、「欲しくなどない」とそっけなく返すものの、視線は何度も金の飾りへと戻る。
そんな様子を見て、ルナリスは思わず口元を綻ばせた。
ふたりはまるで、年の離れた姉妹にも見える。いつの間にか、随分と仲良くなったものだ。
微笑ましく思いながら、彼女はふと目を細めて街並みを見渡した。
「活気があって賑やかね。王都の迎賓市を思い出すわ」
通りには人が絶えず、色とりどりの布を垂らした屋台が並び、香辛料や果物、手工芸品の匂いと色とが入り交じっている。
「この街からも、多くの屋台が出店されていました。騎士団の連中などこぞって、鞍飾りの前で財布の中身を確かめていましたよ」
ラセルがひとつ息をついて応じると、
「それ、あなたもでしょ?」
横からいたずらっぽくサフィナが言い、ラセルはわずかに口元を引き締める。
「……否定はしません」
そのやり取りに、またルナリスの頬が緩んだ。
「わぁっ、木彫りの人形がありますよ!」
サフィナが突然声を上げて、少し先の屋台を指さす。
「牛に、馬……こっちは羊かなぁ? あっ、あっちには果実飴! わたし、ちょっと買ってきます!」
ぴょんと跳ねるように駆け出す彼女に、「転ぶなよ!」とラセルの声が追いかける。
瞳を輝かせるサフィナに、屋台の主が威勢よく呼び声を上げた。
「お嬢さん、お目が高いねぇ! 今日の果実飴は、ちょっと大ぶりなんだ!」
「やったぁ! それじゃあ、オレンジとすももと、あっちの白いやつも……あぁっ、全部おいしそうで選べない~!」
「これはライチっていう南方の果物さ。五個買ったら、ひとつオマケしてあげるよ!」
賑やかな一行に、通りの活気もさらに増す。笑い声と呼び声。風に揺れる布地の、鮮やかな色彩。
ルナリスはそのすべてを、胸の奥にそっと刻むように見つめていた。
と、不意に。
「……え?」
足が止まった。
通りの向こう、人混みの間をすり抜けていく一人の青年。その姿を、彼女は見逃さなかった。
黒い外套。狼の意匠をあしらった仮面。おかげで目元は見えないが、しかし、纏う雰囲気までは隠せていない。
(リヒト……?)
ルナリスはすぐに見抜いた。
たとえ顔が分からなくとも、背格好から歩き方まで、彼と同じだったから。
「ルナリス様、どうしました?」
「しっ……あの少年を追います。ついてきて」
短く言い残し、ルナリスは静かに足を速める。サフィナとラセルも慌てて後に続いた。
青年は人混みに紛れるよう巧みに身を翻すと、人気の少ない路地へ入り込む。
ルナリスたちは自然な形で距離を保ち、声を掛けず、目で追い続けた。
やがて彼が足を止めたのは、重厚な建物の前だった。
壁は灰色の岩で覆われ、鋲打ちの鉄の扉が無骨に立っている。掲げられているのは、剣と槌を交差させた紋章。
「冒険者ギルド……ですね」
サフィナが息を整えながら呟く。
その名の通り、ここは冒険者が集うギルドだ。市井の自由人たちの拠点でありながら、時に国と提携し、治安維持や探索任務を担うこともある。
それはこの街に限った話ではない。
冒険者ギルドはウォルフワーズ国の各地に支部を持ち、本部は王都に構えられている。
活動内容は幅広く、魔物の駆除や素材の採取、旅人や商隊の護衛、未踏の遺跡調査に至るまで、あらゆる依頼を取り扱っていた。
冒険者の請け負うものは、すべてが表の依頼ばかりとは限らない。ギルドを通さず、裏で仕事を受ける者たちも存在する。
密輸、情報工作、時には暗殺すらも。そうした裏稼業を扱う者たちは、「影結び」と呼ばれる影の仲介者に繋がっていると言われていた。
ルナリスたちは、ギルドの正面を避け、向かいの店陰に身を潜めて様子を窺うことにした。
「本当に殿下なのですか?」
尋ねるサフィナに向かい、ラセルは頷いた。
「おそらく本人だろう。隠すような格好をしているのが、むしろ決定的だ」
「でも、どうして冒険者ギルドに……」
「王都でも、時折こうして城を抜け出していたようだ。殿下の侍従が探し回る声を、よく聞いたものだ」
ルナリスの脳裏にふと、ある光景が浮かび上がる。
あれはそう、王都を出発する直前のことだ。
リヒトの袖をつかみながら、年老いた侍従が「くれぐれも粗相のないよう」と何度も懇願していた姿。あの時は、子供じみた言いつけをされるリヒトに、つい笑ってしまっていたが。
なるほど、そういう訳だったのか。と、今更ながら理解する。
「陛下もご存じのはずですよ。ですが、追及はせず、静観しておられるようですが」
「はあ……?」
ルナリスとサフィナが顔を見合わせていると、ラセルは困ったように笑った。
「そもそも、陛下ご自身も若い頃は冒険者として名を馳せた方。きっと、なにか思うところがあるのでしょう」
「なにやってるのよ、あの子は……」
ルナリスは呆れたように眉をひそめ、声を潜めてぼやいた。
女三人が連れ立って、店先の壁際に身を寄せ合いひそひそと会話を交わしている様子は、周囲から見れば不審極まりない。
ふと、窓越しに気配を感じて視線を上げると、店主の男が眉をひそめ訝しげにこちらを見ていた。
「まずいわね……あんまり長居しても怪しまれそう」
ルナリスがそっと目を逸らしながら言ったその時だった。
窓を横切るように、影がもうひとつ、三人の背後へと近づいた。
涼やかな声が、唐突に響く。
「女の子だけで、なに楽しそうなことしてるの?」
振り向くと、そこには一人の女性が立っていた。




