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異世界転生したら、弟が婚約者になりました  作者: くなぎ八重
第一章 常緑の国を巡る旅
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39話   グランフィルド②


 グランメル家に滞在してから、幾日かが過ぎた。

 旅の疲れは想像以上に深く、連日の睡眠不足もあって、初日の夜は挨拶もそこそこに泥のように眠りこけてしまったほどだ。翌朝、遅れて姿を現したルナリスを、領主は気にした風もなく笑い飛ばしてくれた。

 この街に流れる空気は、王都とはまるで異なる。

 穏やかでゆったりとした王都に対し、こちらはもっと熱気を感じる。どこまでも真っ直ぐな、降り注ぐ陽光のような力強さだ。

 それはおそらく、この地を治める男――カイル・グランメルの人柄によるものだろう。

 騎士団出身の現領主カイルは、かつての王と共に戦場を駆け抜けた戦友であり、信頼と武名をもって領地を安定に導いてきた人物だ。粗野で豪快な物言いをするが、底にあるのは誰よりも民を思う大らかさ。

 ルナリスは、そんな彼の笑顔がふと、リヒトに重なるのを感じていた。体格も雰囲気もまるで違うのに、ひとを安心させる笑みに、同じぬくもりがあるような気がした。

 領主もリヒトも、今は多忙を極めている。

 カイルは執務や巡視に追われ、リヒトもまた、襲撃事件を受けての隊の立て直しや報告書作成に追われている。顔を合わせるのは夕食の席くらいだった。

 ルナリスはというと、視察の合間にラセルやアイゼンから乗馬を習い、サフィナに刺繍を、マシューに料理を教わったりと、充実した日々を過ごしていた。もっとも、刺繍と料理に関しては致命的な不器用さを露呈し、早々に匙を投げられてしまったが。

 視察では、馬や嵐牛の育成について様々な知見を得た。仲間と過ごす時間も楽しい。

 けれど時折、胸の奥に引っかかるものがある。

 リヒトに、聞きたいことがある。話したいことも、山ほど。

 それでもルナリスは、自身の想いを胸の奥に押し込めた。ただでさえ忙しそうな彼に、いらぬ心配も、重荷も背負わせたくなかったから。


(リヒトは、本当にすごいわ……)


 隊の指揮に、報告書の作成。そして炎蹄馬に関する情報のやりとり。

 その慌ただしさを遠目に見ていると、手伝えない自分がもどかしくなるほどだ。

 ちゃんと休めているのだろうか。

 すれ違うほんの一瞬に見せる笑顔にさえ、彼は疲れの色を滲ませない。

 十七歳の少年の肩には、いったいどれほどの重みが圧し掛かっているのだろう。

 それを考えるたびに、ルナリスはどうしても口を閉ざしてしまうのだった。




 夕暮れ時、長い木造のテーブルには、湯気の立つ料理がいくつも並んでいた。

 今夜のメインは、香ばしく焼き上げられた羊の骨付き肉。表面はパリッと、内側はじゅわりと肉汁があふれる。添えられたのは、大ぶりに切られた野菜にたっぷりのチーズをかけて焼いたものだ。

 食欲をそそられる匂いが広がる中、領主やその家族、そしてルナリスとリヒトも席についていた。

 ウォルフワーズでは、晩餐会のような格式ばった場でない限り、こうして大皿料理が出される。各々が自由に手を伸ばし、好きなものを皿に取り分けていくのが常だった。

 テーブルマナーが身に染み付いているルナリスなど、最初の頃は少々戸惑っていた。だが今では、骨付き肉を手に持ち、上品にかぶりついている。手元には白い布が置かれ、口元を拭う動作も慣れたものだった。


(順応が早いのは……やっぱり、前世の影響かな)


 リヒトは、ルナリスを横目に見つめながらそんなことを思う。

 あの世界では、手で食べるのはごく普通のことだった。フォークもナイフもいらず、紙や箱の上で気軽に食事を済ませるのも、珍しいことではない。ハンバーガーにかぶりつき、口の周りにソースをつけたまま笑う理沙の姿を思い出す。

 懐かしく、同時にチクリと胸を刺す記憶たち。

 時々、炊きたての白米の香りが恋しくなる。

 こちらの世界でも米に似た穀物はあるが、調理法が違うせいか、あの独特の甘みや粘り気はない。主食がパンであるこの国では、白米はほとんど口にできなかった。

 和やかな雰囲気のまま、食事は進む。

 果物の盛り合わせが運ばれ、皆がデザートに手を伸ばす頃、カイルがリヒトに声をかけた。


「砦の騎馬隊から報告が来ている。このあと、執務室へ来てくれ」


 リヒトはすぐに頷き、席を立った。

 歩き出す直前、ふとルナリスと目が合う。声はかけられなかったが、彼女の表情が少し寂しげに揺れるのを感じた。

 最近、会話もろくにできていない。でも、今はやるべきことが山積みで、身動きが取れないのも事実だ。


(明日には物資の購入手続きも終わる。人員の補充も、リストにまとめた)


 もうひと踏ん張りすれば、きっと、落ち着いて話をすることができる。

 炎蹄馬の襲撃は、リヒトの心に変化をもたらした。

 先日は運よく難を逃れたものの、今後もあのような危険がないとは言い切れない。

 わだかまりや秘密を抱えたまま離ればなれに――あるいはもっと最悪な状況になった時、後悔しても遅いのだ。

 ルナリスに、悲しい思いはさせたくない。

 だがそれ以上に、彼女に嘘を吐いたままなのは、もっと嫌だった。


(ルナリスに全て打ち明けよう)

 

 そのためにも、今が頑張り時だった。

 しかしリヒトの決意は、とある報告によって叶わぬものとなる。

 二階の端にある執務室へ招かれたリヒトは、地図や書類の広げられた机を挟んでカイルと座り合っていた。

 石壁と木の梁がむき出しの、飾り気のない部屋だったが、だからこそ彼らしいとリヒトは思う。必要なものだけが整然と置かれ、余計な装飾はひとつもない。


「それで、報告ってのは?」


 カイルは、机の上から一枚の報告書を手に取り、リヒトに渡す。

 目を通した途端、眉間に皺が寄った。


「……畑と牧草地が、回復していない?」


 炎蹄馬に襲われ、焼けた土地の報告だった。そこには、リヒトが漏らした言葉どおりの内容が記されている。

 本来、火に焼かれた土は、灰を吸って次第に肥え直すものだ。焼け残った草や木の根が新たな芽吹きを助け、再生の循環が生まれるはずだった。

 それが、まるで死んだままのように、ただ黒く乾いているのだという。


「一体どうして……」

「おそらく、“瘴気”だ」


 首を傾げるリヒトに、カイルが答える。その表情は険しく、年齢によって刻まれた皺がさらに深くなっていた。


「瘴気……?」

「魔力の澱み、あるいは歪み。古くは“地を蝕むもの”と呼ばれていたとか。……今は滅多に目にしないが、獣や土地に影響を及ぼすって話だ」

「まさか、炎蹄馬がそれをまき散らしてる?」


 問いかけに、カイルは小さく頷いた。


「エルクノア家にも連絡を入れ、古文書を取り寄せている。南方の魔物なら、こちらよりも何か記述が残っているだろう。だが……届くまでには、まだ数日はかかるだろうな」

「そうか……」

「手がかりを待つあいだ、水源の調査に出てみてはどうだ?」


 深く息をついたリヒトに、カイルが提案する。

 地図を叩いた節ばった指先には、鍛錬の証である固まった剣ダコがいくつも浮かんでいた。

 その指が示していたのは、グランメル領内に点在する水源のひとつ。ノクティリカに使用を許可している、西の山脈沿いの湖だった。


「そうしてみるよ。じゃあ、ルナリスも一緒に――」


 言いかけたリヒトを、


「いや、彼女には残ってもらう」


 すかさずカイルが手で制す。静かながら、強い意志のこもった口調だった。

 何故、というリヒトの問いにも、眉ひとつ動かさない。

 

「万が一、我が領の水源から汚染が見つかった場合。それがたとえ故意でなくとも、ノクティリカ(あちら)からの非難は何かしら起こるだろう。外交の場において、疑念を抱かれるのは不利でしかない。そうならない為にも、情報を掴んでおく必要があるのだよ」


 言葉は穏やかだったが、その裏に潜む含意は明らかだった。

 つまりは。もし水源が汚染されていた場合、ルナリスに知られるより早く「こちらへ」報告をしろ、ということだ。


「現時点で、我が領地にて使用中の別の水源に異常は確認されていない。まだ、公に騒ぎ立てる必要はないのだ」


 鋭い目が、リヒトを射るように見つめた。そしてしばらく沈黙したのち、ふっと息を吐く。


「……その高潔さは、お前の美点だ。しかし、時に重りにもなる」


 不意に向けられた言葉を、リヒトは黙って受け止める。カイルの瞳からは険しさが抜け落ち、かわりに年長者の温もりと静かな思慮が滲んでいた。


「――して、水源の件は請け負ってくれるのかな。“冒険者殿”」

「……何のことか分からないけど、とりあえず調査には行ってみるよ」


 からかうように唇の端を吊り上げたカイルに、リヒトは咳払いでごまかしながらそっぽを向いた。


「留守の間、ルナリスを頼みます」


 ぽつりと零れた言葉には、側にいられない歯がゆさが滲んでいる。

 カイルは一瞬目を細め、それから意地悪く笑った。


「ほう。じゃあそろそろ、あの()に“家族”として正式に紹介してくれんか?」

「その件は……ちょっと待っててほしくて」


 頬を掻きながら苦笑するリヒトに、カイルは肩をすくめて応じる。


「まあ、お前のことだ。なにか考えがあってのことだろう。だがな――」


 ひと呼吸置いて、声の調子を落とす。


「あまり不安にさせるものではない。大切な女性なら、なおさらな」


 胸の奥が、きゅうっと痛んだ。

 思い浮かぶのは、夜の灯りの下、待ちわびるように外を眺めていた彼女の姿。

 そして目が合って、控えめに手を振るときの、寂しそうな笑顔だった。

 



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