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異世界転生したら、弟が婚約者になりました  作者: くなぎ八重
第一章 常緑の国を巡る旅
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番外編   宴の夜

 

 それは、ベルク族の村を訪れて二日目の晩のことだった。

 この村では、客人を三夜にわたる宴でもてなすのが習わしらしい。日が暮れると同時に、広場には篝火が焚かれ、人々が集い始めた。豪快に焼かれた肉の香ばしい匂いと、発酵した酒の甘酸っぱい匂いが混じり合い、夜風に乗って広がっていく。

 ルナリスたちの前にも、大きな木皿に盛られた肉と、盃になみなみと注がれた酒が次々と運ばれてきた。


「遠慮するな! ベルクの酒は、飲めば飲むほど強くなる!」


 そう豪語するのは、族長のヴァルクだ。

 ルナリスとリヒトが婚約者同士だと知ってから、彼はあからさまに機嫌が悪い。今も鷲のような鋭い目つきで、リヒトを値踏みするように見ている。


「さぁ、王子。飲め」


 ずしりと重い盃を押し付けられ、リヒトは困ったように笑った。


「あ、ありがとう。でも、あんまり強くなくて」


 そう言いながら、ちびちびと誤魔化すように口をつける。

 対して、隣のルナリスはというと、もう何杯目か分からない盃を、涼しい顔で空にしていた。


「……飲みすぎじゃない?」


 思わず小声で声をかける。


「平気よ」


 さらりと返され、リヒトは内心で首を傾げた。


(前は、こんなに強くなかったはずなんだけどな……)


 前世では、彼女はここまで酒に強いタイプではなかった。それが今や、ベルク族の男たちと肩を並べる勢いだ。

 そんなルナリスの様子に気をよくしたのか、ヴァルクが大声で笑った。


「面白い! なら、どっちが強いか決めようじゃねぇか!」


 指差されたのは、ルナリスだ。


「飲み比べだ!」

「ちょっと待って! それはさすがに――」


 慌ててリヒトが止めに入るも、


「王子様は黙ってな」


 挑発的な言葉が返されて、空気がピリついた。


「酒も飲めないお子様は、指をくわえて見てるほうがお似合いだぜ」


 ――あ。

 リヒトの中で、何かがぷつりと切れた。


「……俺が受けるよ」

「リヒト!?」


 ルナリスが目を見開く。


「大丈夫。飲み比べ、だろ?」

「ほぉん。その度胸は買ってやるぜ」


 こうして、勝負は始まった……のだが。

 結果は、あまりにも明白だった。

 最初の一杯を煽ったところで、リヒトの視界がぐらりと揺れた。

 次の瞬間、意識がふわりと遠くなり、背にしていた黒狼の上へ倒れ込むはめになった。

 これには、さすがのヴァルクも呆気にとられてしまう。

 

「いくらなんだって、弱すぎるだろ!」


 消化不良の声が響く中、リヒトは宿泊用の家へ運ばれていくことになった。


 どれくらい眠っていたのだろう。

 意識が浮かび上がった瞬間、最初に感じたのは、柔らかな感触だった。

 微かに聞こえる鼻歌。

 後頭部に伝わる温もり。

 耳元で、衣擦れの音。


「う、ん……」


 ゆっくり目を開ける。視界いっぱいに広がったのは、満月のような金の髪と、優しげな瞳だった。


「起きた?」


 囁くような声。

 そこでリヒトは気が付いた。ルナリスの膝へ頭を乗せていることに。

 一瞬で状況を理解して、リヒトの顔がかっと熱くなった。


「……っ!」


 起き上がろうとして、ズキリと目の奥が痛む。

 顔を顰めると、ルナリスの手が額に触れて、膝上に押し留められた。


「いいから。まだ、動かないで」

「で、でも……」

「倒れちゃったの、覚えてない?」


 そう言われて思い出す。

 挑発に乗って、飲み比べを受けてしまった。結果はこのとおり、惨敗だ。


「私のために、酔ったふりをしてくれた……わけじゃなさそうね」


 くすり、と小さく笑う声。

 ルナリスは、指先でリヒトの髪を撫でていた。

 絡まった前髪を、無意識の仕草で整えるように。


「もう少しいけると思ったんだけどな」

「飲み比べに使われたの、羊乳酒よ。かなり弱いの」

「そっか……俺、本当に弱いんだ」


 情けなく呟いた声に、ルナリスは小首を傾げた。


「なぁに、今まで分かってなかったの?」

「うん……少し弱いくらいかなって。今まで口を付けるだけにして、誤魔化してきたから。美味しいとも思えないし……」

「びっくりしたわ。あんなに一気に顔色が変わるんだもの」

「……そっちこそ」


 リヒトは呻くように言った。


「なんで、そんなに強いのさ……」


 膝の上からじっと見つめると、ルナリスはそこから少しだけ視線を逸らし、穏やかに答える。


「訓練したのよ。自分の身を守るためにね」

「……どういう意味?」

「酔わせて口説くなんて、貴族の常套手段だもの」


 何気ない口調。

 あまりにもさらっと言われて、リヒトは言葉を失った。


「そ、そうなの?」

「ええ」

「相手がいたとしても?」

「“火遊び”を楽しむ殿方には、そんなこと関係ないのよ」


 知らなかった。

 華やかな社交界の裏に、そんな危険が潜んでいようとは。

 リヒトの胸に、妙な焦りが芽生える。


「今度から」


 思わず、口をついて出る。


「ルナリスが酒を飲むときは、俺も一緒にいる」

「リヒト……」

「ちゃんと、そばにいるから」


 見上げる視線は、少しだけ必死だった。

 ルナリスは一瞬言葉を失い、それから、嬉しそうに微笑んだ。


「じゃあ、私をちゃんと守ってね。王子様」

「……うん」


 静かな沈黙が流れる。

 やがて、ルナリスが膝上を覗き込む。ランプの薄明りを反射した瞳は、吸い込まれそうなほど美しい。


「起きられそう?」


 本当は、もう大丈夫だった。

 けれど。

 膝の上の温もりが、あまりにも心地良くて。

 髪を撫でる手が、優しくて。

 離れたくない、そんな気持ちが勝ってしまう。


「……もう少し、横になっててもいい?」


 掠れた声でそう言うと、


「少しだけよ」


 困ったように笑いながらも、彼女は膝を引くことはしなかった。

 宴の喧騒から切り離された小さな部屋に、再び鼻歌が流れる。

 いつかどこかで聞いたことのある旋律に、リヒトは静かに耳を傾けた。

 



ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

物語はまだまだ続きますので、今後もお楽しみいただけると嬉しいです。

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