26話 交渉の行方②
「……すまねぇな、じいさん。負けちまった」
静かな声でそう言ったヴァルクに、グルザーンは深く頷いた。
「それがお前の決めたことならば、それでいい……誇り高き我が孫よ」
老成した鷲のような瞳が、しっかりと若き族長を見つめている。そこには怒りも嘆きもない。ただ、理解と、少しの寂しさがあった。
こうして、男同士の戦いに決着がつき、水源の使用が「一応は」認められることとなった。
この地には豊かな水をたたえる多くの湧き場ある。候補地の選定はベルク族が行うが、ノクティリカの魔導技術は彼らにとって未知である。安全性の面も含めて、議論を交わすことが条件のひとつに含まれた。
「魔力で水を引くっつーのが、どんなもんかは知らねぇが……水が濁ったり、土地が死んだりするようじゃ困るからな。技術者とやらが来るなら、こっちの者も立ち会わせてくれ」
ヴァルクのその言葉に、ルナリスは真摯に頷いた。
「もちろんです。ノクティリカとしても、対話を重ねたうえで協定を結ぶ所存です。対価についても、誠実にお話しさせていただきます」
この場で決定できるのは、あくまで道筋だけだ。正式な協議や合意は、ベルク族側からの書簡がノクティリカへ届き、その返書をもって改めて行われることになる。
やがて、窓の外の闇が深くなり、焚き火の残り火がぱちりと弾ける音が響いた。
「明日には書簡を用意してやる」
「感謝します。今日のところは、これで失礼を」
リヒトとルナリスは揃って頭を下げる。
そして、扉に向かい歩きかけたリヒトの背に、「若き王子よ」と低い声が投げられた。
「……なぜ、そこまで隣国のためにするのか」
静かでありながら、鋭く、試すような声音だった。
リヒトは足を止め、振り返ってグルザーンの瞳を正面から見据える。
『飢えに沈む冬の夜。娘はひとり森に入り、命を差し出した。狼はそれを受け入れ、人と狼は共に歩むと誓った』
まるで歌うかのようにリヒトが紡いだ言葉。
それは、ウォルフワーズに古くから伝わる建国の物語。人と狼とが共に生きることを誓った、始まりの約束だった。
そしてその伝承は、今まさにこの場に生きていた。
「ルナリスは、祖国のためこの地に嫁ぎます。命を差し出した娘のように。だから私は、その想いを受け入れ、共に歩むと決めたのです。狼の言葉を継ぐ者として」
その言葉に、ルナリスが小さく息を呑むのが傍らで聞こえた。
「それに、困っている者を助けるのに、国境は関係ありません」
まっすぐで、揺るぎない声音だった。
しばしの沈黙ののち、グルザーンはふっと目を細める。
「……伝承を、まだ覚えておったか。そして、よくも深く、受け取ったものよ」
老戦士の眼差しは、どこか誇らしげで、同時にひどく優しかった。
「だが、その甘さでは王にはなれぬぞ」
「私の望みは王位ではありません。父上と、兄上を支え、この国を守ることです」
満ちた月のような静けさのなか、グルザーンはひとつ、満足げに頷いた。
「――現王は、よい王子たちに恵まれたな」
それを最後に、二人は家を後にした。




