21話 崖上の決闘①
決闘は、太陽が地平線に触れるその時を合図に始まる。
刻限が近づくにつれ、空の赤は深まり、緊張と熱気が膨らんでいく。
ベルク族の戦の地、風裂きの崖。断崖の突端に築かれたその場所は、古来より名もなき争いの決着の場とされた。断崖はその名の通り風を裂き、上昇気流が渦を巻く。遥か下に広がっているのは、尖った岩山と果てのない草原。それは、美しさを感じるよりも、足がすくむほどの景色だという。
村人たちは遠巻きにその場を眺めることしか許されず、立会人として選ばれるのは、当事者双方の信任を得た少数の者のみ。
そして、今やその一人として、ルナリスの名が刻まれていた。
ベルク族の人々は、まるで祭りでも始まるかのように、そわそわと村のあちこちを歩き回っていた。決闘へ至る経緯に尾ひれ背びれをつけて、酒を片手に語りだす者もいる。まるで伝承を歌うかのような口ぶりに、自然と聴衆が集まり、賑やかに囃し立てた。
遊牧の民として自然と共に生きる彼らだが、その血には争いの記憶が刻まれている。かつて異民族との土地争いが幾度も繰り返され、草原の影には魔物が潜み、命を賭した戦いが日常であった。
緑の絨毯を思わせる美しい草原に、どれほどの血が吸われたのだろう。
今では平穏を保ってはいても、力を示す決闘は彼らの魂を沸き立たせた。
一方、村の外れにある一軒家では、戦いを前にした静けさが、ひそやかに息を潜めていた。
本来は使節団のために貸し出された家だが、今は人払いがなされ、室内に残るのはルナリスとリヒトの二人だけだ。
リヒトは、黙々と装備を整えていた。
薄手の防具に袖を通し、革帯で剣を腰に下ろす。簡素ながら動きを妨げぬ装備は、彼の機動力と柔らかな剣術を生かすものだ。
その動きは静かで、しかし一つひとつに迷いがない。
部屋の片隅、ルナリスは不安を押し隠しながら彼を見つめていた。声をかけるべきか悩みながらも、邪魔をしてはいけないという思いが勝っていた。
ふと、リヒトが顔を上げる。目が合って、ルナリスは小さく肩を震わせた。
「心配しないで、必ず勝つよ」
そう言ってリヒトが笑う。
いつもと変わらない、優しいまなざし。どこか幼さを残した笑顔。
しかしその声には、確かな決意と覚悟が宿っている。
いつの間に、彼はこんなに強くなったのだろう。ルナリスの胸に、言い知れぬ想いが込み上げる。
「……信じてる。だから――」
そう告げたあと、彼女は静かに歩み寄り、リヒトの前に立った。
そして、彼の顔を両手で包み、伸び上がるようにして、額へ――。
「……っ!」
柔らかな唇が、そっと触れた。
それは、ベルク族の少女が教えてくれた「おまじない」だった。
大切な人の帰還を祈る、古からの願いのかたち。
リヒトは驚いたように瞬きをし、その場に固まった。
何かを言いかけて、けれど声にならない。
そんな彼に、ルナリスはほんのりと頬を染めながらも、まっすぐな瞳で見つめ返した。
「……帰ってきて。ちゃんと」
しばらくの沈黙ののち、リヒトはふっと笑った。
「うん。絶対、帰ってくる」
その言葉は、ルナリスの胸に深く沁み込む。
信じよう、彼を。
この想いが、今のリヒトにとって力となるのなら。どこまでだって、信じてみせる。
ルナリスは力強く頷いた。
部屋の外では、ゼファーが静かに佇んでいた。
沈む太陽が、風裂きの崖を金色に染めはじめる。
決戦の刻は、すぐそこまで迫っていた。




