表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界転生したら、弟が婚約者になりました  作者: くなぎ八重
第一章 常緑の国を巡る旅
20/39

19話   月の宝玉②


 しばしの沈黙ののち、ヴァルクは目を閉じ、苦笑のようなものを漏らす。

 そして再び、ルナリスを見つめた。


「――あんた、やっぱりいい女だな」


 それは軽口ではなかった。

 強さも弱さも隠さず言葉にしたその姿に、素直に胸を打たれたのだ。

 風にさらされても燃え続ける焔のように、凛として揺るがない、まっすぐな意志――その美しさに。

 軽薄で掴みどころのない男が寄こした、何の装飾もない一言。

 突然すぎる言葉に、ルナリスは瞬きをした。

 リヒトはわずかに顔を上げ、ゆっくりと視線をヴァルクに向ける。

 ふいに変化したヴァルクの態度。それは、取引相手から人としての興味へと軸足を移した証だった。

 気まぐれとも取れるその目の奥に、別の色を垣間見て、リヒトは内心で警鐘を鳴らす。

 表情は王子としての仮面のまま、穏やかな微笑を湛えている。だが、その瞳の奥には鋭い光が灯っていた。


「交渉の場としては、いささか率直すぎる感想ですね。ベルクの長殿」


 柔らかく、けれど一切の隙を与えぬ声音。そこには、声ひとつだけで全てを跪かせることができる、統率者としての圧が感じられた。

 しかしヴァルクはというと、リヒトの警戒を楽しむかのように肩をすくめて笑う。


「へえ……さすが、狼の国のお坊ちゃま。牙の光らせ方が、ずいぶんと上品だ」


 そう言って、ゆっくりと立ち上がる。

 獣じみたしなやかさで歩を進め、ルナリスのすぐ前まで来ると、その目を真っ直ぐに覗き込んだ。


「……だが、俺は欲しいと思ったものを、簡単に諦めるほどおとなしくもねぇ」


 それはまるで、獲物を狙う鷲のような目で。

 ルナリスは動けない。不穏な気配を察知しながらも、その視線を真正面から受けた。

 そして、


「――妻になれ。そうすりゃ、いくらでも水源を使わせてやるよ」


 ヴァルクが言い放った言葉に、息を呑んだ。

 静まり返った室内に、夜風の音がかすかに流れ込む。

 囲炉裏の火の中へ、小さな羽虫がふわりと飛び込む。パチリと音を立てて弾けるその瞬間、室内の緊張がさらに際立った。

 言葉が、出ない。干からびたように喉が渇いているのに、手も足も、凍えたかのように感覚がない。


「……そ、それは……」

 

 なんとか絞り出した声は、消え入りそうなほど掠れていた。

 言葉が続かない。思考が追いつかず、心が拒絶し、でも簡単に否定できるほどに――今、自分が立っている立場は軽くない。

 そんな彼女の動揺を遮るように、リヒトの低い声が響いた。


「それが、族長としての答えか」


 その瞳は、感情を押し殺してなお、鋭く光を宿していた。王子としての威厳と、譲れない怒りがにじんでいる。


「族長としても、男としても、な」


 ヴァルクは飄々とした口ぶりを崩さずに答えた。

 リヒトの肩がわずかに揺れる。次の瞬間、彼は立ち上がり、すっとルナリスの前に出た。

 そして、片腕を彼女の前に伸ばす。まるで、ヴァルクの一言すら拒むように。


「――真摯な願いに対する答えが、それか?」


 今度は、明確な怒気があった。だが、それ以上に、ルナリスへの真剣な想いが込められていた。


「彼女は命をかけてここへ来たんだ。ただの使者じゃない。心からの願いを言葉にして、真正面からあなたと向き合った。その気持ちに対して、見返りとして“自分を寄こせ”と? 本気なのか、それは」


 ヴァルクの笑みが、ほんのわずかに消える。


「本気だからこそ、欲しいんだよ」


 その声に、虚飾はなかった。迷いも、誤魔化しもなく、ただ、真っ直ぐな欲望が乗っていた。

 ルナリスは動けなかった。心が揺れる。

 嫌だ、という感情が胸の奥に芽生える。けれど、それを言ってしまったら、水源は?

 自分の拒絶が、多くの命に繋がっていることも、重々わかっている。国の命運がかかっている。

 だが――。


(……隣に、いられなくなる?)


 脳裏をよぎるのは、リヒトの姿。

 過去も、今も、彼の隣で笑っていたいと願っている。それを失うことが怖い。心を引き裂かれるほどに。

 たったそれだけの本音が、胸の奥からあふれ出てきそうだった。

 水源と、リヒト。

 両方を望むのは、わがままなのだろうか。

 

「ルナリス」

 

 名前を呼ばれて、はっと顔を上げる。リヒトの声は、穏やかだった。


「……条件を呑む必要はない。君が望まないのなら、それでいい」


 緑の瞳が、静かに力強く輝いていた。今や、彼はただの少年ではなく、国の未来を背負う者の目をしていた。


「……水源は、どうするんだ?」

 

 挑発めいたヴァルクの言葉に、ルナリスの細い方が、ピクリと揺れる。

 だが、リヒトは眉ひとつ動かさない。視線だけの、言葉のない押し問答が続く。


「……なら、こうしよう」


 ヴァルクはゆっくりと立ち上がった。火の揺らめきが彼の影を壁に濃く落とす。


「お前が決めろ、王子さま。お前が、彼女を護りたいなら――力で証明してみせろ」


 ルナリスが顔を上げる。同時に、囲炉裏の火が再び、ぱちりと音を立てた。


「古来よりこの国では、欲しいものは力で奪い取ってきた。血を流し、誇りを守る。それが、俺たちのやり方だ」


 ヴァルクの瞳が、挑発的に語りかけてくる。

 リヒトの脳裏に父王の背が浮かんだ。

 かつて争いを重ねていたこの地に、和と尊重の秩序を根づかせた王の姿。

 武で支配する時代を終わらせるため、長い年月をかけて積み上げてきた信頼。


(それでも――今は)


「……いいだろう」

 

 リヒトは深く、静かに頷いた。


「奪い取るためじゃない。彼女の気持ちを、彼女の尊厳を、踏みにじらせないために」


 その言葉に、ルナリスの目が大きく見開かれた。

 胸の奥が熱くなった。まるで、硬く凍りついていた何かが、ひたりと溶けていくように。


(リヒト……)


 彼が自分のために、こんなにも強く、まっすぐに守ろうとしてくれることが伝わってくる。

 それがどうしようもなく嬉しくて。

 そして、苦しかった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ