17話 風渡る民③
翌朝、陽光は岩肌を照らしながら、草屋根の上にまっすぐ降り注いでいた。
村にはすでに人の声や足音が満ち、家々の間を行き交う気配が早くも動き出している。小道の脇では野花がたくましく咲き、太陽の光を浴びて色濃く、瑞々しく輝いていた。
「さぁ、こっちだ。寝坊助姉ちゃんに王子さま。今日は特別に俺が案内してやるよ」
ヴァルクは朝から調子のいい声で先導し、ルナリスとリヒトはそのあとに続いた。昨夜の宴の名残か、頬に少し火照りが残るが、それを冷ますように吹く風が心地よい。
ベルク族の村は、草と木、石で作られた素朴な建物が立ち並び、広い空の下で開放的な雰囲気を放っていた。通りには干された獣肉が吊るされ、毛皮を縫う女性たちの手が忙しなく動いていた。
「これがうちの誇る“風追皮”だ。軽くて動きやすいのに、牙や爪にも負けねぇ。狩りにも戦にももってこいさ」
ヴァルクが得意げに見せたのは、しなやかな茶色の革を縫い合わせた一着の装束だった。肩と腰に草色で織られた模様が刺されており、まるで風が駆け抜ける草原の景色をそのまま纏ったようだった。
「これ、リヒトに似合いそう。髪も瞳も、この色とぴったりだから」
ルナリスがふと漏らした声は、まるでそれを想像して見惚れているかのようで、思わずリヒトは目をそらした。
「そ、そうかな。じゃあ、試してみようかな……」
耳まで真っ赤にして、もごもごと答えるリヒト。その様子にルナリスはくすりと笑みをこぼした。
ゴキッ。まるで硬い歯を噛み締めるような音がヴァルクの奥から聞こえた。振り返ると、彼は装束を肩に担ぎ直しながら、口の端を引きつらせていた。
「……ったく、朝っぱらから仲がよくて結構なこったな。じゃ、次行くぞ、次!」
次に向かったのは、茶葉を扱っている店だった。乾燥させた様々な種類の葉が所狭しと並べられ、差し込んだ陽の中に細かい粉塵が舞っている。
「これが、草原の薬草を乾燥させた“戦茶”。飲むと身体が熱くなる。戦士用だけど、冷えた時にもいいぞ」
リヒトはそっとその袋を受け取り香りをかぐと、やわらかく目を細めた。「懐かしい匂いだ」と彼は言いつつも、
「ルナリスはもう少し香りを抑えた茶葉のほうが、好みかもしれない」
そう言って、手元の袋を彼女に差し出した。ルナリスも、自然と顔を近づけて、香りを確かめる。
「そうね。……でも、いい香り。あなたが淹れてくれるの?」
彼女の一言にリヒトは、照れたように笑って「うん」と短く返す。肩が自然と寄って、どちらともなく目を合わせて、また微笑んだ。
――ギリッ。
明らかに、茶葉の袋を握る音とは違う、奥歯を噛み締めるような音が背後で鳴った。
見るとヴァルクが無言のまま、次の棚に手を伸ばしている。袋を持ち上げる勢いは、やや乱暴だった。
「……んでこれは“爆熱茶”だ。こっちは飲むと本当に“熱く”なるから気ぃつけろよ」
声の調子もどこか刺々しくなっており、ルナリスは少しだけ首をかしげながら、それを受け取った。
店を後にした三人は、工房が並ぶ一角へと歩き出す。
道ですれ違う人々と挨拶を交わし、見慣れぬ景色に視界を巡らせているうちに、微かに響いてくる音に気付く。それは、木を削る音であったり、皮を鞣す音であったりと様々だ。
やがて、小さな工房の前にさしかかったとき、一人の少女がぱたぱたと駆け寄ってきた。
「お姉ちゃん、これ、あげる!」
差し出されたのは、小さな髪飾りだった。赤茶色をした鷲の羽根に細い革紐が巻きつけられ、中央には小さな青い石が揺れている。羽飾りの根元には、草原の花を編んだ輪があしらわれていた。
「……これ、あなたが作ったの?」
「うん! わたし、外からのお客さんってはじめてなの。だから、なにか贈りものをしたくて……」
ルナリスは優しく微笑み、少女の頭をそっと撫でた。
「すごく素敵よ。世界にひとつだけの宝物だわ。ありがとう」
頬を赤くした少女は「ほんとに?」と嬉しそうに目を丸くし、そのまま駆け戻っていった。リヒトがそのやり取りを見ながら、どこかほっとしたような表情を浮かべる。
ルナリスは、羽飾りを髪に結わえながら、草原の風に乗って広がる温かな気配を感じていた。
「いい村ね。歩いているだけで、心がほどけていくみたい」
ふと漏らした言葉に、ヴァルクはわずかに目を見張った。予想していなかった真っ直ぐな感想に、一瞬だけ表情が固まる。
「……そっかよ。まあ、悪くねぇとこだろ?」
気恥ずかしそうに鼻を鳴らしてから、彼はふっと口角を上げ、次の言葉へとつなげた。
「にしても、似合うじゃねぇか、草原の宝物」
軽く目を細めたヴァルクが、ルナリスの頭を指差した。そこには先ほど少女から受け取った鷲の羽飾りが、小さく揺れて光っている。
「なあ、それ、俺が結んでやってもよかったのに。手、貸そうか?」
「結構よ」
ルナリスがぴしゃりと断るより早く、リヒトが一歩前へ出た。
「残念だけど、それは昔から俺の役目なんだ」
にっこりと、しかしどこか目が笑っていない笑顔。ヴァルクが「ちぇっ」と唇を鳴らす。
(――昔から、って。それは前世での話でしょ)
ルナリスは胸の奥がくすぐったくなるのを感じながら、目を逸らした。
確かに、前世では彼に髪を結んでもらうことが何度もあった。無頓着な姉を見て、呆れたように手を貸してくれたことを思い出す。
その記憶がふわりと灯り、今の彼の言葉にほんの少しだけ真実味を与えているのを感じた。
「毎度毎度、よく邪魔に入るな。……おまえら、どんな関係なんだよ」
不意に、ヴァルクがふてくされたように問いかけた。足を止め、腕を組み、リヒトとルナリスを交互に睨む。
ルナリスは、わずかに息を呑んだ。視線を宙に泳がせ、口を開こうとして、閉じる。
答えに詰まった彼女の様子を横目に見て、リヒトはふっと視線を前に戻した。そして真っ直ぐに、ためらいなく告げる。
「ルナリスは婚約者だよ。俺の」
風が、ふわりと吹き抜ける。
ルナリスは思わず目を見開いた。リヒトの横顔は静かで、それでいて確固たる意志が宿っている。
「っ……リヒト!」
頬が熱を帯びるのが自分でもわかる。肩まで赤くなりそうな勢いで、ルナリスは彼の腕を軽く叩いた。
「そ、そんな堂々と言わなくてもいいでしょう……!」
「なんで? 事実だし、大事なことだ」
真剣そのものの声に、ルナリスは返す言葉をなくしてしまう。
そんな二人のやり取りを見ていたヴァルクは、今度こそ、ぐぬぬ……と歯噛みしながら地団駄を踏んだ。
「何だそれ! 羨ましすぎる! ってか、お前……ずるくね!?」
「ずるくない」
キャンキャンと吠え合う子犬のような言い争いに、ルナリスは思わず額に手を当てた。だが、
「と、とにかく。そういうことですので……」
彼女の遠慮がちな声に阻まれて、ヴァルクは今度こそ撃沈した。




