12話 夢の終わる夜①
少数精鋭を集めた甲斐あって、一行の進みは順調だった。
切り立った崖の間を縫うように流れる川は、たしかに増水していたが、つり橋を押し流すほどの勢いではない。不安定な足場を慎重に進み、ひとりずつ橋を渡り終えたときには、誰ともなく安堵の息が漏れた。
不幸中の幸いと言うべきか、この先に伸びる山道はベルク族の定住地へと繋がっているらしい。思わぬ近道となったことで、隊の士気も向上した。何事も無ければ、明日中には目的地へと辿り着けそうだ。
「遊牧的な部族なのに、定住地があるのね」
ルナリスが前を見ながらつぶやくと、すぐ横にいたリヒトが頷いた。
「馬や羊は部族全体の財産だから、男たちが交代しながら草原を移動するんだ。そして、残る者は村を守る。定住地は季節によって変わるから、訪れるタイミングを間違えたらもぬけの殻だった、なんてことも珍しくない」
「その定住地のひとつが、この先の岩山……?」
「うん。春から夏は涼しい高地に、秋から冬は風雪をしのげる洞窟に。昔から受け継がれてきた生活の知恵だよ」
話をしながらの道中、ふたりの馬は自然と並んでいた。
道は起伏が激しく、岩や倒木がそこかしこに転がっているが、ルナリスはなんとか馬上の姿勢を保っていた。動物の扱いに不慣れな彼女にしては、上出来と言えるだろう。
それでも、視界の端で馬の首が揺れるたびに少し肩がすくみ、馬が息を吐くだけで体が強張るあたり、まだ余裕があるとは言い難い。
そんなルナリスを察してか、彼女の馬は歩調を緩めたり、踏み出す前に小さく首を振って合図を送ったりと、まるで彼女の不安をなだめるように動いていた。
「あなた、とってもお利口さんなのね」
感心して呟くと、馬の耳がぴくりと揺れた。
そうして進んだ一行は、夕方を迎える前に行程を切り上げることになった。
日が山の稜線に沈みかけている。風も、冷たさを含みはじめる。
だが、明日には定住地に着くと思えば、疲労よりも期待のほうが心を満たす気がした。
「では、食料の調達に行ってまいります」
護衛のひとりがそう言って弓を背負い、手慣れた足取りで斜面を下りていく。他の兵も二、三人、続いて森の陰に消えていった。
荷物を最小限にとどめた強行軍なので、食料は現地調達となる。保存食の干し肉や干し果実もあるにはあるが、もしもの時を考えて、できるだけ残しておきたかった。
ルナリスは、焚火の前で所在なく座り込んでいる。手伝いを申し出るも、「お手を煩わせるわけには」と断られてしまったのだ。彼女の身分を考えれば仕方がないことであり、気を遣われていることも分かる。だが、自分よりも高貴な身の上のリヒトが、手際よくテントを張っている姿を見ると、何もできない自分がもどかしかった。
(前世とは真逆ね……あの頃は、私の方がテキパキ動いていたのに)
そんなことを考えながら、焚火に小枝を放り込む。火の粉が、小さく爆ぜた音がした。
そうこうしているうちに、地面を踏みしめる複数の足音とともに、狩猟の兵が戻ってきた。
血と獣の匂いが、風に乗って届く。
彼らが手にしていたのは、大人の膝ほどの高さの、細身の角をもつ獣だった。喉元を射抜かれたその体は、もう動かない。
「ずいぶん大物を仕留めてきたな」
リヒトが満足げに笑えば、
「毛皮も上等ですし、脂ものってますよ」
そう言って、兵のひとりが獣を地面に下ろす。そして次の瞬間、ナイフが肉に入り、腹が裂かれた。
ごぼ、と湿った音がして、内臓がこぼれ出る。血が、草の上に音もなく広がる。
皮が剥がされ、骨が軋み、解体されていく。手早く、迷いなく、淡々と。
その様子を、ルナリスは黙って見つめていた。
繰り広げられた一連の光景に、嫌悪や恐怖を感じたわけではない。ただ、妙に静かで冷たいものが、体の奥に流れ込んできた。
――死んで、こうなるんだ。
その言葉は、自分の口から漏れたというより、心の中に落ちてきた音だった。
命が消えて、肉になって、食事になっていく。
誰もがそれを当然のこととして受け入れ、今日も明日も変わらずに、生きていく。
それは怖いことではなく、自然なことで。生きとし生ける者が巡る、生命の輪だ。
それでも。
胸のどこかで、何かがざわめいていた。
(私は……)
記憶の底に、ひやりとした感覚が這い寄る。
ぬめるような階段の感触。
虚空に伸ばした手。
耳を打つ、誰もいない屋内の静寂。
空っぽの部屋。母の不在。白い棺。
そして、「あの日」の帰り道。ひとりきりで風に吹かれた、冷たい夜――。
(あの日……なぜ……?)
何かを思い出しかけた瞬間、頭の中がざらりとひっくり返った。
胸の奥が、掴まれるように痛んだ。
視界がぐらつき、焚き火の明かりが滲む。
「……ルナリス?」
誰かが声をかけた気がする。
だが、その声も、もう届かない。
細い身体が崩れるように地面へと倒れ、彼女の意識は、暗闇の底へと落ちていった。




