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異世界転生したら、弟が婚約者になりました  作者: くなぎ八重
第一章 常緑の国を巡る旅
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9話   旅のはじまり③


 太陽が真上に上る頃、使節団の一行は広く開けた草原の一角に天幕を張り、昼食の準備に取りかかっていた。護衛の騎士たちや従者たちが手際よく動き、荷馬車から次々と食器や食材が運び出されていく。

 周囲には野花が咲き、遠くには木立の影が揺れていた。鳥の囀りと、調理の鍋から立ち上る香ばしい匂いが混ざり合い、のどかな雰囲気を醸し出している。

 ルナリスは、設えられた天幕の布の下、白磁の皿を手に軽く肩をすくめた。


「はあ……お昼ひとつとるだけでも、これほど大がかりになるなんて」


 思わずもらした声に、隣で給仕を手伝っていた侍女が小さく笑った。栗色の髪を後ろでまとめたその少女の名はサフィナ。淡い青の瞳が、どこか水晶を思わせる澄んだ輝きを帯びている。

 サフィナはアイオライト家に仕える侍女のひとりで、ルナリスの身の回りの世話を主としていた。ルナリスよりも少し年下の彼女は、ウォルフワーズへの旅が決まった時、真っ先に同行者として手を上げた。


「仕方がありませんよ、ルナリス様。今回は他の貴族の方々も参加しておられますから。安全も格式も必要なのですよ」

「それは分かってるの。でも、もう少し小回りのきく人数で動ければいいのに……って、贅沢なぼやきかしら」


 ルナリスが皿の上のパンを小さくちぎりながらこぼすと、サフィナはにこりと柔らかく笑った。


「きっと、殿下も同じことを思っていますよ」

「そうね……」


 その言葉に、ルナリスはふと目を細めた。馬上で並走していたときのリヒトの姿が思い出される。


「最初の目的地、ベルク族の村だろ? こんなにのんびり進んでたら、いつになっても到着できないよ」


 そう言って愛馬のたてがみを撫でていたリヒト。その時はたしなめてみたものの、ルナリスも同じ思いだった。

 ゆったりとした時間が、かえって逸る気持ちを駆り立ててしまうのだ。


(いっそのこと、私を誰かに挿げ替えてしまえばいいのでは。そしたら私は馬に乗って、もっと早くベルク族の村へと――)


 主がそんな物騒なたくらみを考えているとはつゆ知らず、サフィナはルナリスの皿に香草とチーズの乗った野菜のグリルを添えた。


「でも、ルナリス様。日程が延びていいこともあるじゃないですか」

「いいこと?」

「それだけ、殿下と一緒にいられますよ」


 思ってもみない言葉に、ルナリスはパンを落としかけた。


「急に何を言い出すのよ……!」

「そう照れなくとも。お二人は婚約者同士なのですから」

「だから、そう言うことでは――」


 言いかけたルナリスの声が、唐突に途切れた。

 天幕の帷がふわりと揺れ、外光とともにひとつの影が差し込んでくる。


「あ、もしかしてお邪魔だった?」


 飄々とした声とともに顔を覗かせたのはリヒトだった。どうやら愛馬の手入れをしていたらしく、額にうっすらと汗がにじんでいる。

 

「リ、リヒト……!」


 ルナリスは反射的に背筋を正し、手にしていたパンの欠片を慌てて皿に戻した。


「昼食はここでって言われたんだけど……一緒でもいいかな?」

「どうぞ、おかけください」

 

 先に応じたのはサフィナだった。

 彼女は何事もなかったかのように微笑むと、もうひとつの皿に手を伸ばし、手際よく料理を盛りつけていく。その様子はまるで、最初から彼の訪問を予期していたかのようだった。

 ルナリスは、気恥ずかしさを覚えてリヒトから目を逸らす。先程の会話を聞かれていなければいいのだけれど。

 しかし彼は変わった様子もなく、皿から立ち昇る香草の香りを楽しんでいた。


「それにしても、さっきの話だけど」

「……さっきの?」


 ルナリスがぎくりとしたのも束の間、リヒトはフォークをくるりと回しながら言った。


「ベルク族の村。やっぱり、道のりが長いなと思ってさ」

「あ、ああ……その話ね……」


 ルナリスは密かに胸を撫で下ろした。


「そうね。もともとベルク族の領は、ウォルフワーズの中でも最果てに近い場所だもの。しかも、移動することも多い遊牧民だって聞いてるわ」

「うん。いちおう今回は、定住地のひとつにいるって情報があったけど、いつ場所が変わってもおかしくないらしい。追いかけっこみたいな視察にならなきゃいいけどな」


 ウォルフワーズの北西、果てしない草原に生きるベルク族は、自由を愛する誇り高き民だ。

 いくつかの定住地を拠点に持ちながら遊牧的な暮らしを続ける彼らは、他者からの干渉や命令を何よりも嫌う。王家と敵対した歴史こそないが、深入りしすぎれば頑なに門を閉ざすという。

 その孤高ともいえる誇りは、風に乗る鷲のようだ。

 今回の面談も、厳密にいえば約束されたものではない。

 こちらの誠意の証として、選りすぐりの馬と羊を贈り、ようやく「土地に足を踏み入れること」だけが許された。

 誇り高いがゆえに、彼らの警戒心は強い。

 猜疑心の強さで言えば、ノクティリカの貴族も似たようなものなので、それを批判するつもりはない。

 だが、使節団にはウォルフワーズの王族も参加していることを加味すれば、やはりもう少し柔軟でもいいのでは、という思いがよぎる。

 ルナリスの率直な言葉に、リヒトは苦笑しながら頭を振った。


「あそこは、王家に対して特に厳しいから。だから、俺くらいの立場のほうが丁度いい」

「どういうこと?」

「兄上たちだったら、もっと構えられてたと思う。日がな一日ぶらぶらしてる俺のほうが、あしらいやすいし――」


 にっと口の端を上げて、リヒトは続ける。


「こちらとしても、動きやすい」

 

 冗談めかした口調でそう言うと、最後に残った野菜を口に運んだ。


「頼もしい案内人ですこと」


 ルナリスがつられて軽口を返す。目の前では、サフィナが食後のフルーツを切り分けていた。

 

「あなたがヒマな王子でよかったわ。一応、頼りにしてますからね」

 

 その一言に、リヒトは一瞬だけ驚いたように目を見開き、すぐに柔らかく笑った。




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