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第7話『魂の在処』

 王立魔術研究所の月例会。カンガエロは広間に足を踏み入れながら、アテナイでの記憶を振り返っていた。哲学者たちとの対話、真理への探求。そして今、彼はこの異世界で、新たな問いに向き合おうとしていた。


 広間は厳格な序列に支配されていた。中央の高座に位階の高い賢者たち。その周りを取り巻く位の低い賢者たち。そして最も外側の列に与えられた自身の席。この序列もまた、人々が作り出した意味の一つなのだろうか。


 研究報告が次々と進められる。魔力値の測定、詠唱効率の検証、実用的応用の提案。どれも緻密な観察に基づいているが、カンガエロの心には奇妙な違和感が募る。この世界の魔術は、あまりにも道具として扱われているのではないか。「これは○○のための魔術だ」と、その使い道ばかりが語られている。


『英知の反響』が発動する。ハイデガーの魂との出会いは、カンガエロに新たな気づきをもたらした。


「私たちは、物事の使い道を考える前に、まずそれが『ある』という事実に目を向けるべきではないか」


 カンガエロは、その言葉の意味を深く考え始めた。目の前のリンゴを見た時、人は無意識のうちに「これは食べるためのものだ」と考える。剣を見れば「これは戦うための道具だ」と理解する。しかし、その前に立ち止まって考えてみるべきことがある。なぜそこにリンゴが「ある」のか。なぜ剣が「ある」のか。その「ある」という事実そのものが、実は最も深い謎なのではないか。


 私たち人間もまた、この世界に「ある」存在だ。しかし、「人間は何のためにあるのか」という問いには、簡単には答えられない。むしろ、その答えのなさこそが人間の本質なのかもしれない。人間は、自らの存在の意味を問い続け、探し続ける存在なのだ。


 そして魔術——。人間は世界の中である現象に出会い、それを「魔術」として理解しようとしてきた。効率を求め、力を求め、便利さを求めて、この現象を定義し、体系化してきた。しかし、その理解の仕方そのものを、私たちは問い直す必要があるのではないか。


 この世界には確かに、私たちが「魔術」と呼ぶ現象が存在する。しかし、その現象の本質は、私たちの理解をはるかに超えているのかもしれない。研究所の賢者たちは、魔術を道具として扱うことに慣れすぎてはいないだろうか。もっと根源的な、世界そのものの在り方として、この現象を見つめ直す必要があるのではないか。


 質疑の時間。カンガエロは静かに立ち上がる。


「質問させていただきます」老賢者の視線を受け止めながら、彼は問う。「私たちは魔術の使い方を追求するあまり、魔術という不思議な現象そのものへの問いを忘れてはいないでしょうか」


 広間に静寂が広がる。


「どういう意味でしょうか」高座のレイモンド・フォスターが身を乗り出す。


「私たちは魔術を、ただの便利な道具として扱ってきました。より効率的に、より強力に、より実用的に。しかし、その前に考えるべきことがあるのではないでしょうか。そもそも魔術とは何なのか。なぜこの世界に魔術という現象が存在するのか」


 カンガエロは手のひらを上に向けた。通常の光魔術の詠唱は「光よ、我が手に宿れ」。明確な命令であり、目的を持った言葉だ。しかし今日、彼は異なる試みをしようと思う。


 まず、魔力の流れを意識的に観察することから始めた。広間の空気中を流れる魔力の存在を、慎重に追跡する。そこには確かに、何かが存在している。


「在るものよ」


 最初の言葉を発した瞬間、空気中の何かが反応を示した。しかし、それは通常の魔術反応とは異なっていた。まるで、呼びかけに応えるように、ゆっくりとした揺らぎが生まれる。


「これは...」老賢者の一人が目を見開く。「詠唱の言葉が曖昧すぎる。魔力を制御できないのではないか」


 だが、カンガエロの表情は穏やかだった。確かに、従来の理解では、詠唱は明確で具体的でなければならない。魔力を意のままに操るための、正確な指示として。しかし、もし魔力という存在そのものを、私たちが思い込みで理解していたとしたら。


 観察を続けるうちに、さらに興味深い現象が起き始めた。曖昧な言葉で呼びかけられた魔力は、術者の意図に縛られることなく、より自由な、しかし確かな秩序を持った動きを見せ始めたのだ。


「形の無きものよ」


 二つ目の言葉もまた、具体的な指示ではない。ただ、そこに存在するものの性質を、緩やかに定義し直そうとする試み。すると魔力は、まるで自らの本質を表現するかのように、渦を巻き始めた。


「驚くべきことです」レイモンドが声を上げる。「魔力の動きが、私たちの知る法則とは異なる...しかし、明らかな規則性を持っています」


 カンガエロは静かに頷く。私たちは魔力を、既に理解したものとして扱ってきた。しかし本当は、その存在の本質をまだ十分に理解していないのではないか。むしろ、私たちの理解こそが、魔力という存在を限定的な形に縛り付けていたのかもしれない。


「光となれ」


 最後の言葉は、従来の詠唱に近い。しかし、その意味は大きく異なっていた。これは命令ではなく、一つの可能性の提示。そこに在るものが、光として存在することを許容する言葉。


 カンガエロの掌の上で、不思議な光が灯った。それは通常の魔術の光よりも柔らかく、しかし確かな存在感を持っている。まるで、光という存在そのものが、そこに顕現したかのように。


「魔術とは、私たちが思っていたものとは異なるのかもしれません」カンガエロは、掌の光を見つめながら語り始めた。「私たちは魔力を道具として扱い、詠唱を命令の言葉として使ってきました。しかし本来は、存在を認識し、その在り方を新たに編み直す営みだったのではないでしょうか」


 広間に静寂が広がる。賢者たちの中には、この実験の意味を直感的に理解する者もいれば、まだ戸惑いを隠せない者もいる。しかしこの時、確かに何かが変わり始めていた。魔術という存在への、理解の仕方そのものが。


 その時、不意に深い森の香りが広間を満たす。銀髪のエルフの少女が、深い緑のローブに身を包んで佇んでいた。


「ユグドラシル——世界樹の声が、あなたを呼んでいます」


 その言葉に、広間が静まり返る。賢者たちの間から、驚きの声が漏れる。


「世界樹が、この者を選んだというのか」


 エルフは静かに頷く。「あなたにだけ、お見せしたいものがあります」

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