第58話
「――っ、お前が好きだからだよっ! わかれよ、バーカ!!」
真っ赤な顔でそう怒鳴ったロージスは、ハリィメルが面食らっている隙にぐるりと回れ右をして大股で歩き出した。
「……これは嘘告じゃないからな!!」
振り向かずに言い放つ。
「次のテスト、俺は一位になって、公爵家の力でお前と婚約を結んでみせる! それが気に入らないならっ……自分で勝ち取れ!」
そう言い残して、ロージスはどすどすと音を立てて階段を下りていった。
取り残されたハリィメルは、いろんな意味でめまいがした。
「なんなの……?」
足の力が抜けてへなへなと座り込みたくなるが、扉にすがることでなんとか立ったままで痛む頭を整理する。
ハリィメルが学校に来ないので、ロージスはクラスメイトに協力してもらい公爵を説得し、条件付きでハリィメルとの婚約を許された。
その条件は、次のテストで一位をとること。
なんでだ。「これは嘘告じゃない」ってどういうことだ。
信じろというのか、ハリィメルに。
皆の人気者の公爵令息が、地味で面白味のないガリ勉女を、嘘ではなく好きだと。
馬鹿馬鹿しい。そんなわけない。でも、ならどうして彼はわざわざここに。
ぐるぐる悩んでいると、階下からマリーエルが上がってきた。
「コリッド様はお帰りになられたわよ」
「……」
姉の顔をまっすぐに見られなくて、扉に隠れるように顔を押しつけた。
「疲れたでしょう。少しでも食べなさい」
マリーエルはハリィメルの横をすり抜けて部屋に入ると、手に持っていたトレーをベッドサイドのテーブルに置いた。ほこほこと湯気を立てるパン粥だ。
食欲なんてまったくなかったのに、ロージスと言い合って体力を使ったせいか急にお腹がすいてきた。
「食べながらでいいから聞いてちょうだい」
ハリィメルがベッドに腰掛けて器を手に取るのを待って、マリーエルが静かに切り出した。
「私も母さんも、自分がとても幸せになれる結婚をしたから、あなたも結婚すれば幸せになれると思ってしまったの。自分の考えを押しつけてしまったことは申し訳なかったわ」
ハリィメルは器に視線を落としたままパン粥をすすった。
「けっして、あなたを不幸にしたいわけではなかったのよ。お見合いだって、会ってみれば気が合うかもしれないと思っただけで、無理やり結婚させようなんて気はなかったわ」
「……姉さんはそうでも、母さんはすぐにでも結婚させて学校を辞めさせようとしていたじゃない!」
「ハリィメル……」
ハリィメルは苛立ちを抑えようと匙を握りしめた。
「……子爵様とのお見合いはどうなったのよ?」
「それなら心配しなくていいわ。アンジーさん……あなたを川に落とした彼女の親戚に、浮気した夫を殴り倒して離縁した肝っ玉姉さんがいたらしくて、ハリィメルの代わりにお見合いに行ってもらったの。すっかり意気投合して、具体的な結婚話に進んでいるそうよ」
ジョナサンとアンジーのことを思い出して、ハリィメルは複雑な気持ちになった。
彼らを厳罰に処してアンジーを罪人にするつもりはない。けれど、川にさえ落とされなければ、と恨む気持ちも確かにある。
ジョナサン達への恨みに、母と姉への怒り、ロージスへのよくわからない苛立ち、いろんなことがありすぎて、心がぐしゃぐしゃだ。
ハリィメルはむすっとふくれっ面のままでパン粥を食べ終えた。