15話
雨が未だに降り続く空を見つめながら、私は静かに部屋の中でため息をついた。
眠る支度も終わり、いつもならばすでに眠りについているはずの時間である。
けれど今日は眠気が来ることがなく、ベッドの上でゴロゴロとしてみたけれど、結局目が覚めてしまって、私はソファに腰掛けながら雨が降る音を聞いていた。
部屋の灯は魔法道具であり、明かりがゆらゆらとランプの中で揺れている。
「アズール様は、まだ帰ってきていないのかしら」
時計の針がカチカチと鳴る。
私はそっと共同私室への扉の方へと歩いていくと、ゆっくりと開けて中を覗いてみた。
中は暗く、人の気配はなかった。
「まだ、帰ってきていないのね」
大丈夫だろうかと少しばかり心配になり、私は部屋の中を歩きながら、共同私室のソファへと灯を片手に腰を下ろした。
早く帰ってこないかなと、私は思いながらソファのクッションを膝の上に乗せ、それをぎゅっと抱きしめた。
人恋しいような、寂しいような気持ちの中、私はしばらくぼうっとしていた。
すると、雨の音が更に酷くなっていくのを感じて、自分が不安定になっていることに気付く。
「どうして? なんで、こんなに不安なのかしら」
アズール様が帰ってきていないからかとも思うけれどそれだけではない気がする。
一体何に、私は不安に思っているのか。
そこで、私はふと窓へと視線を向けて気がつく。
「あぁ……」
自分が何を不安に思っているのか、私はこの時になってやっと気が付いた。
アズール様と一緒に過ごすようになって、アズール様と一緒に話をするようになって、大切にされればされるほどに、自分の中で不安がたまっているのだ。
私の感情がもし天候を変える力を持つと知ったら、アズール様はどう思うのであろうか。
心の中に鎮座したその考えがあることにこの時私は気づき、急に体が冷えてきたように思う。
手をさすりながら、自分の中にあるその思いに、私はどうしようもなく不安になる。
アズール様は私のことをどう思うのであろうか。
天候を変化させるなんて、気持ちが悪い魔女だと言われるのだろうか。
天候を操れるなんて便利だと思われるのだろうか。
天候を操れるなんて、普通ではないと怖がられるのだろうか。
頭の中に嫌な考えばかりが思い浮かぶ。
知られたくない。
もし知られて拒絶されたら?
嫌われたら?
また婚約を解消されるの?
頭の中で巡る悪い考えに、私は両手で顔を覆い、苦しくなり呼吸が荒くなる。
「お、落ち着かなきゃ」
そう思うものの、感情が制御できずに、風が次第にどんどんと強くなる。
だめだと思うのに止められない。その時であった。
ガチャッと部屋が開くのを感じた。
「シャルロッテ嬢?」
お風呂に入って来たのか、夜着のアズール様の頭はまだ濡れており、それをタオルで拭きながら部屋に入ってきた。
シュルトンの夜着は緊急時でもすぐに逃げられるようにと、ある程度ちゃんとした服のようなものである。
私が着ているのも可愛らしい物ではなく、シャツにズボンというものであった。
私は帰ってきてくれたことにほっとしながら、自分は灯一つでこの部屋にいて怪しすぎるだろうと立ち上がった。
「す、すみません。あの、寝付けなくて……」
言い訳のような言葉にアズール様は部屋へと入り、私の元まで来ると手を取った。
「冷たい。冷えているではないか。気温は低くはないが、こんな部屋に一人で……」
アズール様は私の手を温めるようにぎゅっと握ると、優しく手をこすり合わせる。
後ろに侍従が控えており、アズール様はお茶を用意するように伝えると、私と共にソファへと腰掛けた。
「大丈夫か? 何か、心配でも?」
優しいそのこちらを気遣う言葉に、私は先ほど感じていた不安が蘇るのを感じた。
これはきっと、アズール様の優しさが心地よくて、だからこそ私は不安なのだ。
私は、アズール様に嫌われたくないと思っているのだ。
自分の感情が明確に分かると、急に恥ずかしくなる。
部屋に温かな紅茶が用意されている。私は湯気の立つそれを少しずつ飲みながら、香りを堪能する。
「ほっとする香りですね」
私の言葉にアズール様はうなずくと、私のことを心配そうに見つめてくる。
その優しい瞳に少しドキドキとしながら、私は頭を振った。
「すみません。なんでもないんです」
「シャルロッテ嬢。何かあったらすぐに話をしてくれ」
その言葉に私はドキリとする。
話したい。
私はその時、そう思った。
けれどそれと同時に先ほど考えた最悪の事態が脳裏をよぎっていく。
着来てもいないもしもが通り過ぎていくのである。
アズール様はそんなことを言わない。
きっと私のことを拒絶することもない。
絶対に大丈夫。
そう、思うのに、脳裏をセオドア様の姿が過る。
私を全否定するような拒絶するようなセオドア様の冷たい瞳を私は思い出す。
アズール様はきっと違う。
そう分かっているのに、そう思っているのに、どうして不安は消えないのだろうか。
その時、アズール様は私の頭を大きなその手で優しく撫でた。
「大丈夫だ。何がと聞かれれば分からないが、心配しなくてもいい」
「え?」
「話せることもあれば話せないこともある。感情とはそういうものだ」
私の心が分かっているのであろうか。
そう思えるほどに、アズール様の言葉は私の苦しさを軽くしてくれる。
私の瞳からはぽたぽたと涙が溢れて、それを見てアズール様は驚いたのか、手に持っていたタオルで私の涙をぐしぐしとぬぐう。
「どどどっどうした!? すまない。俺が何か言ったのか!?」
「違います……すみません」
「ああぁっ!」
そう言う涙の止まらない私をアズール様は抱き上げると膝の上に乗せ、ぎゅっと抱きしめた。
突然のことに私は驚き身を固くすると、アズール様の手が優しく、本当に優しく背中をトントンとさする。
「泣きたければ泣いていい。無理する必要は何もない。俺は、俺は何が出来るわけではないが、君の為ならば何でもする」
呟くように、優しくアズール様は言葉を続ける。
「我慢しなくていい」
私は涙が溢れた。
アズール様はほんとうに優しい。私は自分の中にあったアズール様を疑うような感情を恥じた。
話したい。
けれど怖い。
それが私の中にある感情で、それがもしもを連想させて不安をあおっていた。
けれど違う。
アズール様ならば、私は信じられる。
「ありがとう……ございます」
「あぁ」
その後もアズール様はずっとトントンと優しくしてくれた。私は恥ずかしいことにそのまま眠ってしまった。