12話
シュルトン王国は不毛の大地である。それを私もわかっているつもりであった。
けれど不毛の大地を実際に見て回ったわけではなく、だからこそ、私は一度シュルトンを見て回りたいと思うようになった。
今までリベラ王国を出たことのなかった私は、他の国を見たことも、町を歩いたことすらない。
だからこそシュルトンの国を見て回りたかった。
それをアズール様に話をすると、視察がてら一緒に回ってくださるということであった。
シュルトンは土地は広いが国の人工的には小さな国である。
なので、町を出て、広い荒野と、渓谷の手前まで行く予定である。
ローリーに支度を手伝ってもらい、今日はシャツとズボンの上からローブを被った。
可愛くはないけれど、安全に見て回るために必要なことである。
「アズール様、お待たせいたしました」
私は支度を整えてアズール様の待つ庭へと出る。
乾いた風が今日はとても強く、時折砂埃を巻き上げる。
「布のマスクを着けて行こう。もしかしたら荒野の方は、砂嵐がすごいかもしれん」
そう言われ私はうなずき、首に巻いてある布のマスクを口元にあげた。
アズール様に馬に乗せてもらい、私とアズール様はシュルトンを見て回ることにしたのであった。
大きな馬であるから、私は最初こそ怖いという思いがあったのだけれど、アズール様がしっかりと支えてくれるので途中から怖さも消えて、景色を見つめることが出来た。
最初こそ町の中であったので、町並みや店などを見ていっていたのだけれど、結構な距離を走り抜け、そして街の外側を囲む塀の外へと出た途端に、世界は一変した。
町の周辺や庭、町中も緑は多少はあるものの、やはり元気な草木という物は殆どなかった。けれど、塀の外は別世界である。
乾燥した空気。そして舞い上がる土。
黒い雲に覆われた空が広がる荒野は、あまりにも静かであった。
聞こえるのは風の音だけである。
それは酷く冷たくて、心の中の不安を掻き立てるような音であった。
アズール様は馬を止めると荒野を見回しながら私に言った。
「シュルトンは過酷な土地だ。魔物の森がある影響でこのような大地なのではないかと言われているが、実際どうなのかは定かではない」
真っすぐに見つめても、広がるのは何もない荒野だけ。
風が土ぼこりを巻き上げて、小さな風の渦を作りながら吹き抜けていく。
「シャルロッテ嬢。この地には何もない。けれど、俺は生まれたこの何もない国が好きだ。魔物は出るが、他国の援助で物流は豊かであるし、民も屈強だ。だから、この国を守っていきたいと思っている」
何もないことがこんなにも寂しいことなのだとは思ってもみなかった。
けれど、アズール様の言う通り、町に入れば賑やかで、皆の笑顔が絶えない。
一人一人の行動意識が高く、シュルトンという国の人々は自立して生活をしているような気がする。
「シュルトンは、良い国ですね」
私がそう言うと、アズール様はうなずく。
「あぁ。何もないがな」
アズール様の視線は荒野へと向かうけれど、そこには不毛の大地しかない。
私は自分が願って嫁いで来た不毛の大地なのだけれど、アズール様の心を思うと、そんなことを思っていた自分が恥ずかしくなる。
アズール様は馬を走らせて渓谷の方へとぐるりと回ると、巨大な渓谷が目の前に迫り、私はそれを見上げながら声をあげた。
「高いですね」
上をずっと見上げていると首が痛くなりそうである。
そして渓谷は高く岩がごつごつとして登れるようなものではない。
渓谷の岩は、城の庭に置いてあった巨大な岩と同じように思えたけれど、その岩がどのようなものなのかは私は知らない。
また、渓谷はずっと続いており、終わりが見えない。
「この先に渓谷の割れ目があり、そこから魔物が出てくるのだ。今日はそちらにはいかないが、シャルロッテは俺以外とは絶対にこの渓谷には近づかないように」
そう言われ、アズール様とでなければ来る機会などないだろうなと私は思ったのであった。
これだけ巨大な渓谷であれば、岩穴の中を調べて鉱石などを採取してもいいかもしれない。そんなことを一瞬思うけれど、もしそれで下手をして魔物と遭遇したりしても敵わない。
つまりは出来るだけ触れないほうがいいという結論に、昔の人々も至ったのだろうと私は思う。
「ちなみに、男心的にはこの渓谷はそそられるものがあってな、子どものときに一人で迷い込んで大騒ぎを起こしたことがある」
「え?」
私が驚いてアズール様を見上げると、アズール様はにやっとした笑みを浮かべて話を続けた。
「俺は昔から好奇心が旺盛でな、つい、こう気持ちを止められなかったのだ」
「それは、さぞかし皆が心配したでしょうね」
「あぁ。おかげで大人達にはその後怒られて、父には大きな拳で拳骨をもらったものだ。良い思い出だけれど、シャルロッテ嬢は絶対にしないでくれ」
私がするとアズール様は思っているのであろうか。
内心驚き、それから私はおかしくって笑ってしまった。
「ふふ、ふふふ。しませんわ! あはは。アズール様ったら何をおっしゃっているの?」
アズール様は肩をすくめて見せると笑った。
「いやいや、ほら、気持ちを抑えられないときはあるだろう?」
さも当たり前のようにそう言われ、私は首を横に振った。
「ふふふ。いいえ。ふふふ。もうおかしいわぁ。アズール様、笑わせないで下さいませ」
ひとしきり笑った私は、幼い頃のアズール様は元気いっぱいだったのだろうなと思ったのであった。
荒野程の寂しさはないものの、やはり渓谷には緑もなく、私はシュルトンは本当に乾いた大地なのだなぁと思ったのであった。
「さぁ、こんなシュルトンだが、一つだけ俺のおすすめの所があるんだ。見に行くか?」
アズール様にそう楽しそうに言われ、私はうなずく。
渓谷の岩場には小さな穴が開いており、アズール様は馬を降りると私を抱き上げて馬から降ろしてくれた。
この先何があるのだろうかと穴を覗き込む私の手を優しく握り、手を引いてくれた。
「さぁ、少しだけ歩いて行こう」
「はい」
穴の中に入ると少し空気が冷たくなったように感じた。
不思議だけれど、空気も少しだけ湿り気を帯びて感じられる。
中は真っ暗なのだろうかと思ったけど、アズール様はランプを持ってきており、それに火をつけると中を照らしながら進んでいく。
一体何があるのであろうか。
道は人が一人通れる程度の広さしかない。
その時、微かに水音が響いて聞こえたのであった。
「シャルロッテ嬢、見てくれ」
「わぁあ」
私は感嘆の声を漏らしながらその光景をじっと見つめた。
足元の岩の上に、薄い水の膜が張っているのであろう。
岩が水を反射してきらめき、そして広い空間に天井から鍾乳石が氷柱のようについており、地面にぽたぽたと水滴を落とす。
「すごい」
私がそう口から言葉をこぼすと、アズール様はうなずきながら言った。
「この鍾乳洞は見事なものだろう? ただし、この水は毒性があって、飲むことが出来ないのだ」
少し残念そうにアズール様はそう言うと、鍾乳洞を見つめた。
「もっと派手な見どころがあればいいのだがな」
「ふふふ。私は別に見どころを求めていたわけではありませんわ。ただ、シュルトンのことを純粋に知りたかったのです」
アズール様にそう言うと、少し心配そうに尋ねられる。
「本当にあまりにも何もなさすぎてがっかりしていないか?」
その言葉に私は首を横に振る。
「いいえ、この国を知ることが出来て嬉しいです」
「そう、か……」
私とアズール様はその後静かに黙り、鍾乳洞をじっと見つめた。
暗い中で、時折聞こえる水音。
それは幻想的であり、少しだけ寂しいようなそんな雰囲気がした。
けれどアズール様が私の手を握ってくれて、そしてその温かさが伝わってくると、不思議と寂しさは消えていった。