恋の片道切符
一本は見送る。
乗るのは5分後にやってくる方。
降車駅のひとつ先が終点になる電車。
降りたら改札は一番前にある、けれどもいつも乗るのは一番後ろ。
混雑を避けて私は物語を読み耽る。車掌室を背もたれに文庫本を立ち読み、それが私のほんのしあわせを感じる帰り道。
今日も路線の終着駅までの電車を見送る。
大学生活が始まって半年が経ち、通学にも慣れた。階段や改札に近いことよりも、空いてる車両を選びたい。時間には余裕もあるし、何よりも大切なのが読書の時間の確保。
夏が過ぎて少しずつ日暮れが早くなった。駅構内の電灯も帰りの時間に点くようになり、椅子に座っていた腰を上げて先頭に並ぶ。勿論、電車に座りたいからじゃない。私にとっての特等席、最後部に凭れるため。
一本の電車を見送ってから5分後、3頁読み進めた頃にホームに電車が入って来る。何両も何両も車両が通り過ぎた後に後部車両がじっくりと位置を合わせるようにして停まった。降りる人たちは我先に乗り換えのために階段を目指して駆け足になる。全員が降りた後、私は車掌室を背にゆったりと立った。さぁ、読書の続きをしよう。
このまま揺られて16分、6駅を過ぎたところで自宅の最寄り駅に着く。本に夢中になり過ぎて何度か降りそびれたこともあったけれど、隣駅が終点の電車のため、一駅分折り返せば引き返し可能。ただし、その際には読書は厳禁だ。また乗り過ごしちゃう。
今日も16分間のささやかな至福の時間を過ごすとしよう。開始2分経過、次の駅に着く。背もたれに寄りかかっているし、脚を伸ばしているわけじゃないから他の人の乗り降りの邪魔にはならない。視線を本に落としたままにして読み続ける。
「ねぇ最近バズった動画なんだけど、マジウケて〜!」
「見して見して」
「ちょ、見えないんだけど!!」
「おっも〜っっ!!」
「座れないし最悪〜!!!」
大会帰りの部活動女子軍団!!!!!
え!? もう18時だけど、こんな遅くに乗ってくるの!? 高校生じゃなくて中学生っぽいのに!?
パンパンに膨らんだショルダーの大きなスポーツバッグを下げて10人ぐらいで1つのドアから乗り込んで来た。声も騒がしいし、一人一人がバッグのせいで空間を占拠するのが広い。満員電車の如く密着せずにこの子たちは普段通りに友達同士との間隔を離れて立つものだから、尚更場所を取る。
うっそ、顧問の先生いないの!? 鞄下ろしてとか静かにとか注意する大人が何故同行してないの〜!?
文庫本を折れ曲げられることを避けて咄嗟にトートバッグに仕舞う。正面を押し潰されるより、背中から押された方がマシかな!? 続いて寄りかかっていた車掌室に振り向き、壁と向き合う。これで、背中から押し潰されて耐えるしかないか。次の駅で違う車両に乗り換えようかなぁ。でも他の車両もこの子たちの仲間で混んでいるのかなぁ。さぁ、覚悟をし、今日は読書を諦めよう………!
…………あれ? 押し潰されない……?
背後からは迷惑を顧みないでわいわいと騒ぐ女子たちの声。
車掌室が覗ける窓硝子は日暮れで明るい車内を映し出していた。
私の背後に立つのは、一人の男性。
私より少しだけ歳上なのかな、スーツを着てつり革を掴んでドアの窓に視線を向けている。
え、痴漢ならスポーツバッグの方がマシ………。
でもまだ何もされてもいないのに痴漢だと騒ぐのは良くないし、もしかして中学生たちに紛れた他の一般客かもしれないし。
「きゃあああっ!」
「あははははっ!」
「マジ揺れると倒れるし」
「弱っ」
電車が少し強く揺れただけでこの騒ぎ様。でも、私には彼女たちがバランスを崩した体重が伸し掛かってくることがない…………。
重くないのかな。
痛くないのかな。
早く、あの子たち降りてくれたらいいのに。
そのまた次の駅に停車。
何となく降りづらい。
中学生の子たちも後ろの男の人も降りない。
「わ、マジ痛い!」
「くそじじい、シネ」
あぁ…降りる人がいても一旦ホームに降りなかったから邪魔で無理矢理押し通されたやつかなぁ。
再びドアが閉まり、発車。
状況は変わらない。女の子たちは騒がしくて、揺れたらさらにはしゃぎ、私の背後には無言で経ち続ける男の人。
ネクタイしてる、社会人かな。黒い髪に少し頭にパーマがかかっていて、若い感じもする。この時間に帰宅なのかな、だとしたら残業少ないところにお勤めなのかな。
「あ〜混んでツラかった!」
次の駅に停車。例の中学生らしき女子軍団は下車したみたい。
ふと車掌室の窓硝子を見てみる。
背後に誰もいない。あの人も降りちゃったのかな。
再び車掌室を背もたれにするために振り返ると、ドア横の椅子との間の壁にあの男の人が寄りかかって立っていた。少し首を傾げながら窓の外を見ている。
身体、痛くはないですか?
痴漢だなんて疑ってごめんなさい。
仕事帰りなのにさらに疲れちゃいましたか?
もしかして、私を守ってくれたんですか………?
何かお礼の一言でも言った方がいいのかな。
でもそもそもたまたま私の後ろに居ただけで、意図的に守ろうとしたわけじゃないのかもしれないし。
なんとなく、読書を再開しづらい。
私もドアの外の景色を眺めてみる。
流れ移る景色。住宅地に明かりが灯り、駅前の商店街のネオンが目立つ。
ドアの窓硝子もまた、車内がよく映っていた。
盗み見るように男の人の顔を見ると、硝子越しに視線が合った。
いや、気のせいかもしれない!
やっぱり大人しく普段通り読書をしていた方が良かったのかな。仮に本当に守ってくれたとしたらかなり感じ悪いよね。や、今も視線を逸して感じ悪いのかもしれないけど。
どうしたのが正解だったのかな。
勘違いでも良いからお礼を言ったり、心配した方が良かったのかなぁ。
悶々としていても電車は定刻通り走り、自宅の最寄り駅に着いた。
彼の横のドアが開く。
お礼を言った方がいい? そんなの自意識過剰?
床に視線を落としたまま、電車を降りてホームに跨ぐ際、軽く頭を下げるだけで精一杯だった。
女子高、女子大育ちの私には超難問過ぎる。
「来週までの課題を出しておきます。レポート用紙10枚に収めること。学祭で浮かれ気分になってないで、学生らしく勉学に勤しむように」
酷い。私は学祭無関係だけどすごく嫌味な課題の出し方だ。しかも課題のテーマが結構ヘビー。学祭関係者の子たちとか大変だろうなぁ。
チャイムが鳴り、教授が教室から出る。
「マジクソなんだけど、斎藤!!」
「先輩が言ってたよ。斎藤先生って単位も厳しいんだって」
「この授業取るんじゃなかった〜」
途端に学生たちが嘆き始める。女、女、女、周りは全員女子。髪に指を絡ませたり、腰に手を当てたりしながら不満を発散中。
「雪菜は学祭って何かするの?」
隣に座る真理恵が聞く。
「ううん、サークル入ってないし何も。真理恵は?」
「私も。この後さっそく図書館寄ろうかな」
「私も早目にレポート進めておく。それに、学祭頑張ってる子はやっぱり学祭後にレポート書き始めると思うし、その時に資料の本が図書館にないと。学祭不参加組は早目にやっておかなきゃ」
「知り合いでもないのに頑張る人のために陰ながら気遣うところ。私好きだよ、雪菜のそういうところ」
「ありがとう。私も真理恵の思ったことを言葉にしてくれるところ、好きだよ」
今日からレポートで帰りが遅くなることを母にスマホで伝え、私は学生らしくレポートに専念することに。
いつもの電車には乗れないけれど、あの男の人に会う可能性が低くなると思えば、ちょっぴりほっとしたりもした。
学祭は週末。私は特にサークルに所属していないため、全くの不参加。なので、通常通りの週末を過ごす。バイトに勤しむのだ。社割りのために。そう、私のバイト先は書店。毎月何冊も読む者としては社割りは何とも有り難い。自宅の最寄り駅から3駅の書店にて今日もせっせとレジ打ち。文庫本カバーの色を「お任せで」とお客様に言われたら無難に男性ならグリーン、女性ならワインレッドをチョイス。大学で学祭が盛り上がっていても、こっちは通常運転。
まだ少しレポートがやり残しているけれど、また明日から大学生活もいつも通りの日々を送るだろう。
「恋の片道切符???」
思わず真理恵とハモってしまった。大学の最寄り駅で偶然会った真理恵と愛香とで大学に向かっていると、愛香から聞き慣れない単語が出てきた。愛香は演劇サークルに所属していて、学祭にはもちろん参加。週末は女子大の学舎に男性客が多く詰め込んだのだそうな。
「そう、学祭実行委員の企画でね、男性客がお金払ってポラロイドカメラで写真を撮ってもらって、連絡先を書いて掲示板に貼るやつがあるの。で、女子がそれ見て気になる人がいたら引っ剥がして連絡するみたいな。学祭終わってからもしばらく学内に掲示板置いておくみたいだから、行ってみようよ!」
「私パス」
そういうことに面倒くさそうな真理恵は即断。
「雪菜は行くでしょ? 彼氏いないんだし」
「私は〜……う〜ん………」
興味がないわけではない。けれど、少女マンガや小説のような物語が始まりそうな出会いを夢見ていたりもする。
「付いて行くだけならいいよ。一人で行きたくないだけでしょ? 雪菜も行くだけ行ってみたら?」
真理恵が全くオブラートに包まずに提案をし、
「ぜひ!」
私と今度は愛香とでハモった。
「あ、まだ早いから他の女子少ないね」
恋の片道切符とデカデカと書かれた看板が学祭委員会室の前に立て掛けられていた。掲示板は黒板ほどの長さで、写真はびっしりと貼られていた。
「ちなみにこれの参加料っていくらなの?」
「私達が剥がす分にはタダ。メンズは1枚500円」
「えぇ〜、収益デカすぎでしょ」
真理恵と愛香がお金の話題をしている横でじーっと見てみる、幾つもの写真を。
大学生の男の子ってこんな感じなんだなぁ。
長袖シャツだけの人もいれば、ジャケットを羽織っている男の子もいたり。一人で写る人もいれば、友達と二人で並んで写っている人もいる。のび太くんを大きくした感じの人もいれば、ホストっぽい人もいたり。バイト先にも男性社員さんだったり同い年ぐらいのお客様もいるけれど、男ばかりの写真を眺めるのは新鮮。
「あれ………」
あの人だ……………。
この間電車で背後で守ってくれたかもしれない人。
「雪菜、好みの人いた?」
「あ、や、えっと、その」
でもよくその写真を見ると、お友達らしき人と二人で並んで写っていて、連絡先の矢印はお友達の方を指していた。お友達はニッと歯を出して笑い、その横であの人は口を閉じで少し微笑み、落ち着いた雰囲気を醸し出している。
「へぇ、明るそうな人だね」
私の視線に気付き、愛香も写真を眺める。
「や、あの」
「え? 雪菜の好みって隣の方じゃない?」
流石真理恵、図星です。
「でも連絡先こっちの方じゃないね」
「お友達の方に教えてって聞いてみる?」
「そ、そんなの悪いよ! 純粋に女の子からのアプローチを待ってくれているのかもしれないのに。こっちの人の方の分の写真もないか探してみる!」
な、何でこんなにムキになっちゃったのかな、私。探すだなんて、なんか、男漁りしてるみたいで恥ずかしい。
「私も探すよ、その人の」
「私も」
「真理恵、愛香まで?」
二人はにっこり笑って見つめる。
「こういう恋の直感、大切だよ」
「人探し、みんなでやった方が見つけやすいしね」
「ありがとう、二人とも」
「じゃ、人が多くなる前にやりますか!」
愛香の活に私も気合が入る。
恥ずかしいなんて言ってられない。
伝えたいんだ、ちゃんと、ありがとうって。
そして知りたい。どんな人なのか。
「あ」
掲示板の一番下。ひっそりと隠れるようにその写真はあった。
「見つけた!?」
「うん、あった」
「そんな下の方にあったの?」
しゃがんで、ぺりっ、とゆっくりと剥がす。
差し出がましいですが、連絡先を頂戴します。
《カイ》
カイさんって言うのかぁ。
水色と白の幾何学模様っぽい柄のTシャツに紺色の七分のカーディガン。黒っぽいデニム。靴は残念ながら見えない。あの時と同じなのは顔とパーマっぽい頭。顔は同じと言ってもこっちはほんのり笑顔だからレアだ。見てるだけでなんか気持ちがくすぐったくなる。目を合わせても、写真相手なら相手に不快な想いはさせなくて済むし。
「結構イケメンじゃん? 歳上っぽい」
「ね。目大きいし鼻筋も通ってる、俳優みたい」
しゃがんだまま写真を見ていると後ろから真理恵と愛香が覗き込んでいた。思わず写真を裏返してしまう。
「あらぁ、雪菜ちゃん、大丈夫よ〜。狙わないから〜」
ニヤニヤとしながら見てくるのは愛香。
「雪菜の好みのどストライクだったの? まじまじと写真を見てたから」
「実は…………ちょっと前にこの人に会ったことがあって………」
掲示板に他の女子学生たちが集まりだしてきた。1限目の授業の開始時刻も迫ってきている。
「続きは昼にね!」
「っていう感じで、喋ったりはしていないんだけど、その、助けられた感じがあったんだけど、お礼を言いそびれたみたいな……」
学食にて朝の続き。私の話を聞いて愛香は「うんうん、それでそれで?」とまるで恋バナを楽しみ、一方真理恵は心配そうな表情になっている。
「ドラマみたい! 絶対助けてくれたんだよ、それ! きっと向こうも覚えてくれてるって! 見ず知らずの女子に大会帰り荷物からわざわざ守ってくれる人って早々いないよ!」
確かに、向こうも覚えてくれていそうな気がする。私も道を聞かれて答えただけても人助けの記憶ってなかなか忘れないし。
「でも相手社会人なんでしょ? 電車では善意的だったのかもしれないけれど、社会人が大学生の恋愛イベントに参加するってどうなの?」
「え…?」
「別に良いじゃん。会社で出会いがないのかもよ?」
「だからってさ、例えばウチらも高校の文化祭に行って恋愛イベントに参加する?」
「しない…………」
少し前まで高校生だったけど、高校生と大学生って生活リズムも違うし、価値観も高校生の頃と変わってくる。仮にバイト先で気になる異性が出来てそれが相手が高校生だった、なら自然恋愛として納得出来るけれど、わざわざ高校生を対象に出会いを求めになんて行きたいとは思わない。女子大だから卒業生というわけでもないし、完全に出会い目的で来たのかもしれない。それかサークルでウチの大学と交流があった他の大学のOBか。
「それにさ、ウチらの大学ってお嬢様大学とか言われたりするじゃん…………?」
真理恵が珍しくその後に続く言葉を濁してる。何だろう、お嬢様大学だから………。
「金目当てに貢いでもらうかヤリモクってところかもね」
愛香がはっきりと補足をしてくれた。
金目当て………ヤリモク、つまり身体目当て………どっちも最悪。でも、この人はそんなことないとも言い切れない。
「雪菜は男性に慣れていないからちょっと心配だよね」
二人がテキトーで無責任なことを言っていないのはよくわかる。だからこそ、胸に響くし、カイさんのことも悩む。
「でもさ、雪菜は恋愛よりも先にお礼を言いたいんでしょ?」
話題の方向を少し変えたのは愛香。
「お礼を伝える分には私は良いと思うけどな」
「その後変に誘われたらどうするの?」
まだ反対なのは真理恵。
「お礼はホテルでって言われたら即アウト」
「そりゃそうだ」
「でもそんなにダイレクトには言わないと思うので、恋愛初心者の雪菜ちゃんに注意点を申し上げまーす! メモの準備は良いですか〜?」
レポート作成をようやく終えた帰り道、乗り換え駅のホームにて空いてる電車を待つ。普段よりも時間が遅い分少し人が多いけれど、自宅の最寄り駅の隣が終点の電車はやはりそれなりに空いていて、車掌室を背もたれに立つスペースがある。
トートバッグからノートを取り出して見る。
・電車で会ったことを伝えるのは最初には言わない。自宅の最寄り駅もバレてるし、打ち解けてから個人情報は伝えた方が良いとは思う。
・今度会おうとなった話になったら、カラオケやネカフェ等の二人きりで個室になるところを誘われたら縁を切るべし。ヤリモクのおそれあり。
・居酒屋を誘われたら別のお店を提案。断ってきたら酒で酔わせるのが目的だったと思え。
・付き合うまでは彼の家に行くのは厳禁。
愛香先生からご教授いただいた恋愛指南。上手くいく方法というよりは変なのに引っかからない方法というもの。とりあえず、送ってみよう。
パスケースに仕舞った写真の彼と目を合わせる。少しだけ笑ってる。あの時は無表情だったけど……笑顔っていいな。
カイさん…………お礼が伝わるといいな。まずは、挨拶程度のメールを送ろう、と。
LINEじゃなくてメールアドレスを書いてくれてるのがほっとする。既読だとか気にしなくて済むから。互いに都合の良い時に返信が出来たらいいな。
ええと、何て送ろうか…………。
カイ様………? 様付けは変かな。まずは初めまして、かな。あ、学祭の写真を取ったことは伝えなきゃね。それから……。
急に他の乗車客が全員降りた。え? うそ、乗り過ごしたんだ!? 乗ってる時間がこんなにも一瞬に感じたのは初めて。いそいそと私も続いて降りて、続きは自宅で作成しよう。
《カイさんへ。
はじめまして、リッシュ女学院大学1年生のユキナと言います。学祭のイベントのお写真を見ていいなと思ったので連絡をしました。良かったらメールから仲良くなっていただけませんか。》
「お、いたいた」
学食で買ったパスタランチのトレーを持ちながら真理恵がテーブルに合流。今日も丸いテーブルに愛香と真理恵、そして私とでお昼を食べる。
「今日遅かったね」
「そこで綾に会ってちょっと喋ってた。で、辛気臭いのは話を振った方がいい? 雪菜」
「えっ、辛気臭いっ!?」
モロバレだよと二人は同時に頷いた。そんな雰囲気を醸し出したつもりはないのにな。顔に出ちゃうのかな。今もスマホの受信が気になって仕方がない。
「昨日の夜にメールを送って、まだ返事が無い………」
「そんなもんだよ。最初の返信なんてすぐには来ないって。すぐ来るのはマメで暇な人」
愛香にフォローされてもどうも気持ちが晴れない。もっと絵文字いっぱいのカワイイ雰囲気で送った方が良かったのかな。文面堅すぎたかな。私もカイさんの名前を真似してカタカナにしたのキショかったかな、とか。色々不安要素が多過ぎる。
「相手社会人なんだから、サクッとメール打つ時間とかもないのかもよ? じーっくり書いているかもしれないじゃん」
パスタをくるくるとフォークに絡ませながら真理恵が言う。確かに、社会人なら朝の混雑具合によってはスマホもいじれないかもしれないし、一人暮らししていたら見ず知らずの女子大生にメールを打つよりも睡眠を優先するかも。そう考えよう、そうしよう、うん。
だけど、やはりカイさんからのメールが来るまで落ち着かない。
事ある毎にスマホを気にする自分をこんなに嫌悪感抱いたのは人生初だ。
食事後、真理恵たちと別れた後、授業が始まる前、終わった後、次の授業が始まる前、終わった後。
授業中もそわそわとしてしまう。今机のフックに掛けてある鞄から振動が来たような気がして、今すぐにスマホを確認したいけれど授業中だから出来なくて、終わった後にスマホを見たらカイさんからのメールが来てないだけでなく、何も受信されていなくて振動が幻だったことを思い知らされる。
レポートは昨日で仕上がった、今日からまたいつもの電車に乗れる。けれど、カイさんに会ったら気まず過ぎる。メールの主が私だとはわからないとは思う。けれど、メールで私だと教えた後に一人でほくそ笑みながら黙って見ていたのかよとか思われたら立ち直れない。いつも同じ電車に乗っていたとも限らないしあの日たまたま一緒に乗り合わせていただけかもしれない、けれど、けれど………。
今の状態でカイさんに会うのは…………。
乗り換え駅のホームに着く。
この路線の終着駅まで行く電車に私は乗った。
普段よりも沢山の人。けれども、窓硝子にカイさんの姿は無い。
「え、まだ来ないの?」
メールを送ってから3日経過、音沙汰無し。
「エラーメッセージは来ないから送れているとは思うんだけど……」
いつもの昼休み。学食の丸いテーブルにてお決まりのメンバーと昼食。
「LINEじゃないから既読かどうかもわからないのか〜」
「うん………」
「たまたま忙しいだけかもよ?」
「そうだよ。食べよ食べよ」
嫌なら断って欲しい。スマホを気にしないようにしようと心がけようと思うも、何かと意識してしまう。今度こそかなと期待して、違って勝手に落ち込む日々。こんな気持ちの迷宮、抜け出したい。
昼食後にスマホを見ても受信無し。
午後の授業前も、授業後も何も来ていない。
途中まで真理恵と帰り、彼女とは別の路線に乗る。
そして、乗り換え駅にて改札を通って別路線へ………。
エスカレーターでホームの真ん中に降り、そこから一番後ろへと向かう。
ベンチに座って、鞄から取り出したのは文庫本。
やっぱり私には本と向き合う生活の方が性に合っているんだ。前の生活に戻ろう。何事も無かったかのように。
電車を一本見送る。その後立ってホームに並ぶ。
5分後にはやってくる。読書を楽しむ時間を乗せた電車が。
私は電車に乗り、車掌室を背もたれに立つ。私の定位置。
そこからまた一旦閉じていた本を開き………
鞄から振動を感じた。
今のは勘違いでは無かった、と思う。確かに体の側面からスマホが振動を発したのを感じた。LINEとは違うリズム。
このまま本を読み続けようか。スマホを取り出そうか。
カイさんじゃないかもしれない。
単なるDMかもしれない。
でもカイさんかもしれない。
3日間も音沙汰も無いのは自分のメールがカイさんに選ばれなかったと思って悲しかった。
けれど、他人同士なのに重たい鞄から守ってくれた優しさは忘れられない。
あの時は何も会話をしなかったけれど、メールの返信はしてくれるような気がしていた。たとえお断りメールだとしても。
病気や怪我をしていないだろうか。
断ってくれて構わないからカイさんの安否が知りたい。
―――――新着メール1件。件名「返事が遅くなってすみません」
「うそ………ほんと…?」
私が手に取っているのはスマホ。画面の新着メッセージに心臓が高鳴る。
これ、これって、そうだよね…。カイさんから返信が来たんだよね。スパムメールだったら本当に今度こそ心が折れそう。
新着メールの知らせを指でタップして開いた。
《初めまして。
返事が遅くなってすみませんでした。
あのイベントは友達の誘いを断り切れずに参加をしてしまいました。
せっかく連絡をしてくれたのに申し訳ないですが、新しい出会いは今は控えているので、このメールで最後にさせていただけると有り難いです。
無責任でとても失礼だとはわかっています。ごめんなさい。》
終わった…………。
私のカイさん行きの切符は、路線の終点まで着けなかった。今乗っている電車の様。スカスカで、人とぶつからなくて……。
「ほら、分かれて乗れよ。鞄が邪魔にならないように床に置きなさい」
大会帰りの中学生らしき子どもたちが乗る。今度は顧問も一人居て、扉ごとに4人ずつぐらいで乗った。
そうだ、この駅から守ってくれて…。
今ならメールの返信がすぐにもらえるかもしれない。
《ご返信ありがとうございます。
恋愛に発展をしなくても良いので、メールで友達感覚で話してもらうことは出来ますか?》
初めて送った時と違い、文章作成に迷いはなかった。
今ならカイさんとメールでやり取りが出来る。そう予感したから。
3駅過ぎたところで受信をした。
《ごめんなさい。他に気になる異性がいるので、別の異性とのやり取りは友達同士であっても遠慮したいです。》
恋に発展しなくていい。今ならカイさんに見てもらえるかもしれない。本当は直接会いたかったし、メールよりも電話の方が良い。
だけど、カイさんとメールをツールに時間を共有出来ているなら、今伝えたい。
私のありがとうの気持ちを。
あの時、言葉に出来なかったことを。
《本当は会って伝えたいことがあったんです。
実は先週カイさんに電車で会ったことがあるんです。
中学生らしき女の子たちが持つスポーツバッグから庇ってもらった者です。あの時、恥ずかしくてお礼を言いそびれてしまったことを本当に後悔していて…。
もしかするとたまたまカイさんがそこに立っていただけで本当はそんな意図無かったのかもしれないですけど、それでもあの時有り難くて、一瞬目が合ったことも忘れられなくて…。
偶然学祭のイベントでお写真で見つけてびっくりして思わず連絡をしたんです。どうしても、きちんとお礼を伝えたくて。
これで本当に最後にします。
ありがとうございました。》
長い。
けど、そのまま送信した。私のありのままの気持ちだと思うから。
電車は自宅最寄り駅に到着。改札へと長いホームを歩く。私より後方を歩く人はいなくて、いつも改札にはぽつんと一人で通る。改札機が3つしかない、小さな駅を。
いつもは………。
「え……」
改札機手前、壁際に立っている男の人がいた。
ワインレッドのTシャツに白いロングカーディガン、下はあの写真と同じ黒のデニム。
「あ」
私を見てカイさんが口を開く。
これは、どういうことだろう。何でカイさんがここに? たまたま誰かを待っていて、そこにメールの相手が登場したってことかな………や、もう、この偶然どうしよう。さっきはメールであんなに意気込んでいたけれど、いざご対面すると尻込みしそうになる。
少し小走りに近付いて、緊張しているような様子でカイさんから声をかけてきた。
「今、お話しする時間ありますか? 少しで良いので」
あ、えっと、偶然会ったから短くお断りを仰る感じでしょうか…。
「あの、ホームの椅子に座りながらでも良いですか…」
地元駅なので知り合いになるべくなら見られたくない。私が長身美男子と二人でいるところなんて。フラれる現場なんて。
「もちろん。ぜひ」
「あ、じゃあ…後ろまで歩いてもらっても良いですか…?」
この路線は最後部車両が空いている。ホームの椅子もわざわざ後ろにある駅が多い。
「もちろん大丈夫です。突然すみません」
「いえっ、あの、私こそ」
「間もなく下り電車が参ります。危ないのでホームラインより下がってお待ち下さい」
突然メールを送ってすみません、と言いかけたところで頭上真上からアナウンス。タイミングが…。
スッとカイさんが私の左隣、線路側を歩く。もしかして、これもさり気なく守ってくれているのかな…。
「間もなく1番線に回送電車が通過致します。危ないのでホーム端から離れてお待ち下さい」
向かい側のホームにアナウンスが流れ、背後から乗客のいない電車やって来る。ゆっくりと、疲れたなと帰宅しているかのように。
ホームの1番後ろにある4つ並んだ椅子にも誰も座っていなく、私は1番奥に座り、隣にカイさんが座った。
「あの………俺のこと、覚えてる………?」
………あれ、メール見ていないのかな。それとも見たのかな。それともそれとも、別のこと?
「先週、大会帰りの子たちと同じ車両だった……」
「あ、覚えてくれていたんだ。あの時は、ごめん」
何で、何で、何で謝られるんだろう。メールでも直接会っても。
ごめんってこれ以上言われたくないのに。これ以上、拒まれたくないのに。
「あの…私………」
「怖かったよね。俺、無言で近寄ったから」
「え………?」
「や、押し潰されそうだから庇おうとしただけなんだけど、冷静になったら背後に見ず知らずの男が無言で覆ってきたら、気持ち悪いよなって。あれから、見かけていないから。きっと時間とか車両変えた…よね。俺のせいで怖い思いをさせてごめん。あの場所で読書をするのが好きなのに」
「………………」
何で……カイさんは私のどこまでを知っているんだろう。
私があそこで読書をするのを楽しみにしていることなんて……いつから私に気付いていたんだろう。
「や、だからって待ち伏せとか本当に本当にキモいとか思ったと思うけど、決してストーカーになろうとかそういうのは全然考えていなくて」
カイさんはもどかしそうな表情を浮かべると、息を少し吐いて、それから、決意したように真っ直ぐに私を見た。
「もう現れたりなんかしないから、また安心してあの場所を利用して欲しい。君の至福の時間を俺は奪いたくない」
何か…………色々複雑交差している。
私はカイさんにお礼を言いたくて、カイさんは私に謝りたくて。
どこかで線路のポイントの切り替えを間違えて進んでしまったかの様。
ううん、遠回りしてもいい。私は、私の終着駅に着かないと。
桜色のパスケースから私は取り出した。片道切符を。そして、カイさんにも見せた。
「これ………」
カイさんが目を丸くして見つめる。自分の写真を。今度はその視線をゆっくりと私に向けた。
「君がユキナ…………?」
「はい。本名は漢字ですけど。降る雪に菜っ葉の」
「マジ………………?」
カイさんは大きな片手で自分の口元を隠すと、みるみると顔を赤らめ、次第に両手で顔を隠して座ったまま屈んでしまった。
「さっき、最後にメールを送ってて……私がカイさんに庇ってもらったことがあるって」
「今読んだ方がいい?」
ふるふると急いで首を横に振る。自分が送ったメールを目の前で読まれるなんて恥ずかしさの極みだ。
「その……あの日の次の日に突発的なレポートに追われてて大学に残ってて。決してカイさんを怖いとか思っていなくて」
言わなきゃ。1番伝えたかったこと。
「あの時はありがとうございましたっ!」
それから…それから……
「本当はあの時にお礼を言いたかったんですけど、守ってもらえたのが自意識過剰だったらどうしようとか色々考えちゃって言えなくて。偶然学内にあったイベントの掲示板で写真を見つけて、ちゃんとお礼を伝えたいってずっとずっと思ってて」
上手く言葉を紡げていないかもしれない。でも、伝わって欲しい。
「守ってもらえて………嬉しかった…………です」
言えた。
言い終わった。
これで、互いの目標が達成したはず。
「あのさ、俺、メールで…………」
「わかってます。私もこれ以上カイさんに連絡をしたりしないのでっ」
「いや。あ〜…………」
カイさんは両手を合わすようにして口元を隠すと益々顔を赤く染めた。
「その、気になる異性のことなんだけど………」
「え」
や、カイさんの恋バナまで聞くメンタル持ってない。何で好きな人の話まで聞かなくちゃいけないんだろう。他の話題ですり替えたい、他の話題、他の話題は……。
「雪菜………さん…なんです……」
「…………え?」
「雪菜さんにずっと片想いしていたんです」
「私…………?」
嘘、こんなことって……本当にあるの…?
でも、どうして…………。
「本屋で働いているでしょ」
「えっ!? あ、はい」
そこまで知っているの!?
「1回レジ対応してもらったことがあって、一目惚れしたんだ。たまたま大学帰りに電車で見かけて、そこからたまに同じ電車に乗ったりもしたこともある、君目当てで」
あの時以外にカイさんと同じ電車に乗ってたってこと!? 全然気付いてなかった。今ならすぐに気付けると思うけど。
それと
「大学生なんですか? スーツ着ていたから社会人かと…」
大学帰りって言ってた。
「うん、俺は明応大学。あの時は就活の帰りだったから。俺、須田海斗って言います。海に北斗の斗で海斗」
「海斗さん…」
「これなんだけど」
すると、海斗さんは指先で写真をツンと押した。
「これのイベントの名前、教えて」
「…………片道切符」
「何の?」
きっと覚えているんだ。だって、顔が少し笑っているもの。
「〜〜〜っっ、覚えてないです」
「その顔は覚えてる」
フッと海斗さんが微笑みかけた。目尻にしわが出来るくらい、写真よりも柔和な顔で。
「俺も切符が欲しいんですけど。雪菜さん行きの」
夜のホームを照らしながら電車が入って来る。1番線と2番線の両方に到着する電車が息を合わせるように同時に停車した。ドアから人が降りて、先頭の改札口に向かって歩いて行く。そして人を乗せ終えると、2つの電車は同時に出発。重い車体を乗せた車輪が動き出し、聞き慣れた走行音が今日は特に心臓に響かせる。リズミカルな音はやがて速度を上げ…。
恋が初めてな私でもわかった。彼と唇が触れることを。
ホームの端で瞳を閉じ、ひっそりと温もりを感じた。
駅を発った後でも、電車の走る音が夜道の線路の向こうから聞こえてくる。迷いなく道を信じ、駆け抜けて行くように。
数ある作品の中からご覧下さり、ありがとうございました!
「恋の片道切符」は某女子大で本当に昔にあった学祭企画ですが、ストーリーはフィクションです。
現代片思いストーリー、きゅんとあったかくなってもらえたら嬉しいです。
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