第80話:いい子悪い子誰の子
子供は自分の家に帰るものだ。
昔からそうだったし、大人でもそうだから真似をする。
だってそこが自分にとっての憩いの場所なんだから。
でも、そんな憩いの場を奪われた者はどうすればいいのだろうか。
大人でもクビになった後、仕事をしているという嘘をつくために家には帰らない。
なら子供は。子供は、どうすればいいのだろうか。
「なんで家出なんてしたのよっ!!!!」
「っ……!」
「アンタがいないから心配してたのよ?!!」
嘘か本当かは分からない。
けれど、心配していたならもっと早くわたしの家にたどり着いていたはずだ。
それが夏のお盆にまで見つからないなんてこと、あり得ない。
でもお母様の勢いに呑まれて、まゆさんが一気に萎縮してしまった。
自分の考えていることをすべて押し黙って。そのままこの場をやり過ごそうとする。
「それが花火大会にノコノコ遊びに来るなんて……。いい子だったあなたはどこに行ったのよ!!」
「それ、は……」
「もういいわ。行くわよ」
「あっ……」
ちょっと待って、展開早くない?!
まゆさんの腕を強引に引っ張って家に帰らせようとするお母様に待ったをかける。
「お母様! まゆさんの話も――」
「誰? 悪いけど、よその子が口を出さないでもらえる?」
待って待って待って!
完全拒絶って聞いてないんだけど。
多少は耳を傾けてくれるだなんて思っていたわたしがバカだった。
もっと強引な手で攻めなきゃ。でないとまゆさんがいなくなっちゃう!
「待って、ください!!!」
まゆさんの腰を抱きしめて全力のストップモーション。
急に抵抗力が変わったことによって、まゆさんのお母様も流石に振り返った。
「何? 何なの?! あなた、まゆの友だち?」
「そ、そうです! 相沢美鈴って言います!!」
「聞いたことあるわ。突然芸能界をやめたっていう子でしょ? だからって関係ないわ。よそはよそ。うちはうち。私の教育方針に首を突っ込まないで頂戴」
「まゆさんから聞いてます! ほぼ放任主義で、いっつも父親と喧嘩してるって!!」
「……あなた」
しばらく考えるような素振りをして、何かを思いついたようにわたしを睨みつける。
「そう。あなたがうちのまゆを非行に走らせたのね?」
「え?」
「お母さん、何言ってるの……?」
「まゆは黙ってて。考えてみれば納得が行くわ。学校の壁に不良が落書きしたって話もあるし、芸能界をやめたのだってどうせ悪いことをしたからでしょう?」
違う。何を言っているんだこの人。
「誘拐に軟禁。そうやって警察に突き出してしまえば少年院かしら? うちの子を誑かそうなんて、恥を知りなさい!」
「違う! わたしは自分で家出したの!」
「そんなことないわ。まゆはいい子だもの。勝手に家出するなんて、ありえない」
ありえないのはどっちだよ。
そんな態度だからまゆさんはずっと。ずっと悩んできたんでしょ。
確かにわたしは赤の他人かもしれない。
だからって、自分が嫌だから娘の意見も否定するなんて……。
珍しく、わたしの堪忍袋の緒が切れたかも。
「じゃあ! そのよその子に頼らざるを得なかった子供の気持ちを考えたことはあるんですか?!」
「何……?」
「お母様が理想の娘像をずっとまゆさんに押し付けて、本当にそれで満足なのか聞いたことはあるんですかって、言ってるんですよ!!」
「な、何言ってるのかしら。まゆはそんな不満、一言も言わなかったわ。私に従順で、成績も家事もすべて立派なまゆに不満なんて、あるわけないでしょ!!」
な、なんて頑固者。
これが毒親というやつか。まゆさんはこの人たちのために悩んでたのに、悩んでたことすらもさも当然みたいに言葉にする。
そんなの。そんなの……。
「……もうやめて」
最大の怒りを叩きつけようとしたときだった。
熱湯に巨大な氷を沈めるように、沸点が一気に沈下していく。
それはまゆさんが心の底からひねり出した、か細い声だった。
「まゆさん……」
「まゆ? あなたはいい子よ。だからお家に帰るわよね?」
まゆさんは語らない。
その代わりにライトブラウンのくせっ毛がふわりと左右に揺れる。
「ま、まゆ……?」
引っ張っていた腕はいつの間にかチカラを緩めてポタリとこぼれ落ちる。
まゆさんは、静かに涙をこぼしていた。
「まゆさん……」
「大丈夫。私もいるよ、まゆちゃん」
その腕にそっと添えて、尊花さんも寄り添う。
わたしもそれに習って、腰から離れてもう片方の手を握った。
大丈夫。わたしたちはここにいる。だから、もういいんだよ。
そんな、祈りを込めて。
「……帰りたくない。もう、あんな家に。帰りたくない」
それはまゆさんがいい子から、悪い子へと変わった瞬間だった。




