第58話:悪い子の夏休み
「あつー……」
「大丈夫ー?」
「エアコンつけましょう」
ピッという天国へ切り替わる小気味いい音からしばらくして、冷たい空気が白い箱から出始める。
まゆさんが居候を始めて2日目。
昨晩のうちにダサTを着ない選択肢を消し去って、今はまゆさんの前で「圧倒的アイドル」と描かれたTシャツを着ていた。
なんか、最初はダメかなーとか思ってたんだけど、案外何も言われないからわたしの容姿も捨てたものではないのだろうなぁ。
それにしても今日はやる気が出ない。暑いからかな。まだ朝だよね? 7時。マジで?
「で、何すればいいの?」
「へ?」
「ほら、昨日言ってたことだよー!」
……。あー。悪い子になる、って話ね。
そんな目の前に餌が置かれた犬みたいに興奮しなくても、悪い事なんていっぱいある。
例えば朝ワックを昼に食べるとか。午後の紅茶を午前に飲むとか。
どうでもよく、みみっちい悪事はさておき。うーん、悪い事、かぁ……。
「まゆさんは、逆にどういうことがいい子がやることだと思いますか?」
「うーんと……。早起きとか、勉強をきちっとするとかー。家事洗濯をちゃんとこなすとか……」
ふむふむ。典型的ないい子だ。というか健康的な子? 分からぬ。
わたしが一人暮らしの時もやってた、と言えばやってたし。
やらなくちゃいけない事はやるにしろ、それを後回しにしてもいいのなら、話は変わってくるか。
なら……。
「よし、じゃあ最初の悪いことを言い渡します」
「はい、せんせー!」
「ミッ!」
いきなりわたしをせんせーと呼ばれるのは、十分悪い子だと思いますよ?
主にわたしの心臓に負担をかけている感じです。その調子だまゆ生徒!
だがもっともっと先に行くのだ。
「では、こほん……。寝ましょう」
「寝るの?」
「二度寝です。これは悪魔的所業! いわば時間というリソースを吐き出して、何もかもやることを放棄して横になり、昼までぐっすり! これはもう悪い事以外の何物でもありませんね!!」
「お、おぉー!!」
まゆさんの小さくて白い手がぱちぱちと遠慮しがちに鳴り響く。
まぁ朝だからねぇ。さすが優等生まゆ生徒!
しかしだねぇ、そんなのではワル教授と呼ばれたわたしを乗り越えるなど100億年早い。
「じゃあベッドに入って……」
「待って。エアコンは?」
「もちろんつけっぱなしですよ」
「お、怒られないかなー……」
「ふふふ、心配はいりませんよ……」
今月の電気代予想はちゃんと立てている。
立てた上で無駄遣いをしているのだ!!!
余剰分がわたしの口座から引き落とされるぐらいだから、まぁ、大丈夫でしょう。うん。
「そ、そんなの……。確かに悪い子だー」
「でしょう! じゃあおやすみなさーい」
実際ちょっと眠かったし、ちょうどいい。
だいたい朝なんて起きれない人の方が普通なんだ。それを無理矢理起きようとする方が不健康極まりないというもの。
それに冷房をつけながら、掛け布団に入るという、こたつでアイスを食べる感覚に似た悪行は人生で一度はやっておくべきだ。
だって、楽しいから!!
「うーん、でも布団片付けちゃったし……」
ん? なんでちらっとわたしの顔を見た?
た、確かに朝は早起きなのか、まゆさんの布団一式は畳まれていた。
何をするつもりなんだろう……?
地べたで横になるなんてこと、絶対させたくないし。
そう思案していたら、わたしの布団がいきなりめくれ上がった。
「ひゃい?!」
「じゃ、じゃあ……。おじゃましまーす……」
1人分のベッドにまゆさんの身体が入り込んでくる。
「んしょ」という声はわたしの逃げ場をなくす音。
壁側に追いつめられながら、向き合うのはまゆさんのいい顔!
待って待って!! そんな顔がいい女の子が目の前にいたら寝れないって!!
「ん? どーしたの?」
「い、いや、その……。はい」
「もー、さっきまでの威勢はどうしたの、せんせー」
「うぶっ!」
触らないようにと手を引っ込めていたら、まゆさんに掘り出されてしまった。
そのままおててを繋いでまゆさんのぬくもりと柔らかさ。
思考が、持っていかれる……! まゆさん色に染め上げられる!!
目の前にはニヤニヤと目をやや閉じて、口元を緩めている美少女。
うわ、ほっぺた柔らかそう。というかノーメイクでこんなに整ってるなんて、ありえないって。
実は隠れてメイク施してたりしない? しないよね?!
「せんせーは、攻められると弱いよねー」
「あの……あぼ……」
せんせーと生徒の禁断の関係性。
クーラーの効いた部屋。カーテンが閉まっていて、外部からは見られない。
窓の隙間から程よく入ってくる朝日が、なんとも事後感を煽ってくる。
そして目の前には攻めに弱いせんせーをイジめようとする不良、まゆさん。
ヤ、ヤバい。自分から言ったけど、まさか一緒のベッドに入ってくるなんて思わなかった。
加えて手を握って、ほんのり愛情を感じる弄り方。
わたしは、とんでもない悪い子を生み出してしまったのでは……?
「せんせー?」
「しゅ、しゅぅ……」
「せ・ん・せ・ぇ?」
「ま、まゆさん、楽しんでやってますよね?!」
「悪い子と言えば、先生を誘惑してみたりするのかなー、って」
どこで習ったんだ、その知識は。
ま、まぁ。あながち間違いではない。今のまゆさんは生徒の皮をかぶった悪魔だと思います。十分悪い子です。
「あとはー。こうやって、ぎゅーっと」
「ぴっ!!!!」
潜り込んだ右腕が、添えられた左腕が、押し当てられた豊満な胸と、絡まる足。
まゆさん自身の寝汗の混じったいい匂いと、わずかに鼻腔をくすぐるシャンプーの香りが脳内を刺激する。
それにまゆさんの柔らかさが、生の肉感がパジャマという薄着1枚を挟んで襲い掛かってくる。
あ、ダメだ。このまま気絶したように、眠る……。
さらば、本日の宿題。また明日。
「あれ、美鈴さん? 美鈴さーん?!」
今日の気絶は、朝起きてから至った最速の記録だったと思う。
いちいち記録してられるかこんなもの!!




