第57話:まゆのおはなし
まゆ視点の独白です
「では、おやすみなさい」
「うん、おやすみ!」
美鈴さんの母親、咲耶さんが用意してくださった敷布団に横になる。
こんなに静かな夜はいつぶりだろう。少なくとも、もう何年も体験してなかった気がする。
すぅー、すぅーと寝静まった美鈴さんの寝顔は、暗くてよく見えない。
でもその心地いい音色は、むしろわたしを安心させてくれた。
「美鈴さん、起きてる?」
「………………」
「寝るの早いなー。まるで赤ちゃんみたい」
クスリと笑う。
その子供みたいな反応でわたしは何度救われただろうか。
純粋で、真っ直ぐで。どこまでも『わたし』だけを見てくれた言葉に、幾重にも助けられた。
いや、それはうぬぼれすぎかな。
美鈴さんのことだ。きっと何も考えずに、自分の思ったことをストレートに伝えているだけ。
だからこんなにも心に響くのだろう。
「幸せになっていい子、か……」
思い返すのはわたしの家庭事情。
あれでも家族だと言えるのは、恐らくあと3年。
高校を出たら、家族とは絶縁するつもりでいる。その前に離婚していなければ、の話だけど。
『どうしてあなたはいつもいつも!!!!』
『なんだぁ?! 誰がお前たちを世話してやってると思ってるんだ!!!!』
物心ついたときから両親は喧嘩喧嘩と、言い争わない日がない程度には毎日怒鳴り散らかしていたと思う。
最初に記憶に残っているのは、確かお味噌汁に何故なめこが入っているか、で揉めてた気がする。
お父さんがなめこが嫌いなのは知っていて、わざと作ったんじゃないだろうか。
それとも単純に安かったから? そんなくだらないことはいいや。
とにかく毎日喧嘩して呆れて、無言になる。
わたしはその怒鳴る声が昔から苦手でたまらなかった。
耳にキンキンくるし、大きな声を聞いていたら疲れるし、何より怒りの感情を毎日浴びせられると、少しも心が休まる気がしないから。
クッションと毛布を頭に挟んで、毎晩そんな声を聞かないように横になってた覚えがある。
ある日、学校のテストでいい点を取った。
たまたまだったと思う。けれど、その日は両親が怒鳴ることはなかった。
その次の日。いつも通り喧嘩しているのを見て、考えたんだ。
『ひょっとしたら、わたしがいい子でいたら、お父さんとお母さんは喧嘩しないで済む?』
違う日に試しに家事を手伝ってみた。
すると、偉いねぇ。と、その日1日は平和に終わったのだ。
そうか。わたしがいい子でいられれば、怒鳴る声を聞かずに家は平和になるんだと。
だから頑張った。勉強に運動。それから家事や生活態度など。
運動の出来は良くなかったけど、それでも人並みには運動ができるようになった。
勉強だって人に教えられるのも平気でできる。
家事や生活態度も良妻と呼ばれるぐらいだと自負していた。
そうやって『いい子』でいれば、きっと平和でいられると。そう思っていた。
『お前がまゆの勉強を見てやらないから、テストの点数が2点落ちたんだろ!!』
『2点ぐらい何よ!! あなたがうるさいから勉強が出来ないんじゃないの?!』
『なんだと?!』
もうやめて……。
どれだけいい子になっても、一向に変わらなかった。
むしろ話の種がわたしになったことで、より過激さを増したとさえ思う。
成績が悪くなれば相手のせい。怪我をしたら相手のせい。家事で失敗しても相手のせい。
自分のストレスのはけ口を片親にぶつける。
わたしのせいで悪循環になってしまっていた。
優秀だから。頑張ったから、それが当たり前になってしまったんだ。
いい子の当たり前が基準となって、わたしはこれ以上悪くならないようにと努めた。
でも、そんな自分がもう嫌になってきた。
両親のご機嫌を取るためにいい子でいることに。わたしという存在はどこに行けばいいんだと。
せめて、わたしにも従順な友だちがいてくれたら。ストレスのはけ口になってくれる子がいたら。
ダメな考えがよぎる。違う。そんなの、友だちじゃない。
友だちはもっと対等で、わたしを見てくれて。それから怒らない子がいい。
これ以上疲れたくなかったから。
『わ、わた……! わたしは、あいじゃわみしゅずでしゅ!!』
そんなときだった。わたしよりも弱くて、怯えていて。
なんとなく、自分と同じ『いい子』なんだと思った子がいた。
『相沢、美鈴さん?』
『そうだよ! 私の大好きな推し!』
初対面で推しとは。確かに見た目はかわいいけど、それ以上に危うい……。
尊花さんから見た彼女と、わたしから見た彼女の差は明らかに違っていた。
彼女だったら、わたしの理想の友だちになってくれる。邪で悪い悪魔がわたしに囁く。
そうか。美鈴さんだったら、怒らないし、ご機嫌を取る理由もないんだ。
声をかけたきっかけは、そんなズルい心からだった。
だから美鈴さんがわたしの見立て以上に魅力的で、素晴らしい女の子だって気づくのには時間がかかった。
いつの間にか、わたしは彼女に好かれたいと考えるようになっていた。
友だちとしての親愛ではなく、ちょっとずれた愛情として。
罪悪感からかもしれない。それともある日、夢で見た美鈴さんと素敵な関係になったのを覚えていたからかも。
どんな理由があったとしても、わたしの居場所はきっとここなんだ、って思うようになったんだ。
「ありがとう、美鈴さん」
真摯に、真っ直ぐに向き合ってくれて。
幸せになっていい子、って言ってくれて。
悪い子になってもいい、って気づかせてくれて。
どんなことをするかは分からない。
けれど、分からないからこそ明日からの日々がワクワクするんだろう。
こんなのいつぶりかな。初めていい子になろうって決めたときからかな。
愛しい人と、悪い子になる。それだけで胸の高鳴りを感じて、今夜はうまく眠れそうになかった。




