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烏羽色の光  作者: 青丹柳
瑞花
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「私、あなたが嫌いなのよね」


 枯れ枝を山のように抱えてちゃきちゃきと動き回る彼女を切り株に座って眺めながら、本音を吐いた。

 竈の中にそれらを要領よく押し込めながら彼女が聞き返す。


「へえ~何で?」


 火打ち石もないのに、器用にも竹に僅かな傷をつけただけで火を起こす彼女は私よりもずっと人生経験が豊かなのだと思う。道中でも、斬新な案を立てて巧妙に追っ手を撒き、ついに播磨までたどり着いた。内裏を抜け出せば全て思い通りに行くような気がしていたけど、きっと彼女がいなければ内裏を出た次の日の午前には連れ戻されていたと思う。


 難なく竈に火をつけると、今度は洗った米を鍋に入れて粥を作り始めたようだ。


「あなたは夫に深く愛されているでしょう」


 主上だってあなたをとても気にかけている。

 悔しくてそれは口に出さなかったが、何故か彼女は微妙な顔をした。私が知らないとでも思っているのかしら。


 五節の舞姫のうちの一人は私の代理だった。私が選ばれたのだから私が全うしたい、とお父様に何度もお願いしたけれど慣例として代理を出すものだからと言い包められて結局お役目を頂くことはできなかった。

 あの時もし願いが叶っていれば、そしてただ一人の主上の舞姫として選ばれていれば、こんな馬鹿なことはしなかったと思う。

 代理で舞う事になった我が家の傍流の姫は、そんな私の思いに気付いていたようだ。私が何も言わずとも自ら身を引いたところまでは良かったが、その代理の代理として彼女が出てきた。そして、主上に選ばれた。


 彼女がいなくたって、別の舞姫が選ばれていたということはわかっている。

 でも悔しくて悔しくて。すぐに主上に選ばれた彼女を調べた。


 異国出身の女孺、そして安部晴明の妻。


 その名は知っていたけれど、実のところ安部晴明がどんな者なのかはよく知らなかった。でも、二人をよく観察していれば関係性はすぐにわかった。彼はいつだって妻だけを見て、妻だけを追い、妻だけに全てを注ぐ。

 それほどまでに愛されていながら主上にも選ばれるなんて、許せない。


 子供ではないのだからこれが自分の理不尽な嫉妬であるとは理解しているが、心は勝手に軋んでいった。


 ぽちゃ、と彼女が大きな匙で粥を混ぜる音がする。


「深く愛されている、と思う?わたしはそうは思えないけど」

「え・・・?」


 肩を竦めながらそう言う彼女はつまり何が言いたいのか。

 私を言い負かそうとわざと突飛な回答をしたのでは、と疑いの目で見ると悲しそうに微笑んだ。


「夫はわたしがどう思っているかなんて興味なくて、ただ気に入った玩具を手元に置いてるだけのようだから」


 そこに愛情なんてない、という言葉に思わず反論する。


「でも一度故郷へ帰ろうとしたあなたを追いかけて連れ戻したと聞きましたわ」

「強盗を追う検非違使みたいな顔で追いかけて来たんだよねえ。兵に取り囲まれて引きずり戻されたんだから。わたし犯罪者として指名手配されたのかと思ってた」


 そこまで詳細に顛末を知らなかったので、しばらく何も言えずに彼女の顔をじっと見ていた。


 彼女は椀に少しだけ粥を移して味見をすると、美味しくない、と呟いて頭を抱えている。竈の準備や追手を撒くことに関しては本当に洗練された動きをするものだと思ったが、料理はずいぶん苦手らしい。

 腹立ち紛れにひったくるように匙を奪うと、勝手に薬草や酢も混ぜていく。塩だけで味付けしようとするから薄っぺらい味になる。


「わたしは芳が羨ましいけどな」


 匙を奪われても特に抵抗せず、傍に立ったままぽつりと零したその言葉に首を傾げた。


「主上はきっと芳を大事にしてくれるよ。今は入内して間もないから理解できない事が出てくるかもしれないけど、これからちゃんと芳の事を見て、理解しようとしてくれる」


 変な事を言う。

 ずっと観察していた。常軌を逸していると思うほどに彼女が夫から愛されているのを知っている。なのにその言い方では、まるで自分は大事にされていない理解してもらえないと言っているみたいではないか。


「あなたは夫が嫌いなの?」


 その言葉に彼女は眉を寄せて考え込むように俯いた。口は梅干しでも食べているかのように窄められている。


「・・・嫌いじゃない。でも好きなのかわからない」


 好きってどういう感情か、なんて聞いてくるから乱暴に椀に粥を注ぐと押し付けた。


「そんなの、四六時中今何しているのか気になって、遠くからでも姿が見えると胸が高鳴って・・・そういう感じでしょう」

「へえ・・・参考になる」


 伝わったのか伝わらなかったのか、彼女は手の中の椀をじっと見つめていた。








 夜風がびゅうびゅうと吹き荒ぶ音が聞こえる。

 あんなに太々しい態度だった芳も、こんな環境ではとても眠られないのだろう。そっと身を寄せてくるので、安心させるように背に腕を回してぽんぽんとあやす様に軽く叩いた。


(晴明様は今何してるかな)


 全く眠くないのでぼうっと物思いに耽るしかないのだが、ふと気づけば湧いてくるのは夫のことばかり。そういえば芳はなんて言ってたっけ。


『四六時中今何しているのか気になって』


(・・・)


 数日間離れて過ごすのは珍しい事ではなかった。伊予の家へ行っていた時も、道満のところに居た時も、飛香舎に居た時も、こんな思考にはならなかったと思う。だけど―――


(今度こそ迎えには来ないかもしれない)


 芳はその立場からして、成明が来なかったとしても誰かが迎えには来るだろう。でも晴明はわたしを迎えに来るだろうか。さすがにもう愛想を尽かしてわたしの事は忘れてるんじゃないか。そう思うと、晴明のことばかり思い出してしまって、心臓をぎゅうと鷲掴みにされるような気がした。


(つまり、わたしって・・・)


「ねえ」

「え?」


 不意に声を掛けられたので思考の淵から引き戻された。腕の中から芳がこちらを見上げて不満そうな顔をしている。


「全然寝付けないから何かお話しして」


 そんな無茶振りされても、芳が好みそうな面白い話など一つも思いつかない。困った顔をして見返したからか、お題は芳から提供された。


「あなた、夫とはどんな風に過ごしてるの?」


 そういえば甲斐が新婚の時も、参考にしたいからと似たような質問をたくさんされたっけ。わたしたちはあまり参考にならないと思うのだけど。


「ええと、夫はあんまり喋らないので会話は無いほう。普段は寝る時にくっついているだけ、かな?たまにされる悪戯がちょっと嫌。眼球舐められたり、耳や首に噛みつかれたり、舌を掴まれたり、へその穴を抉られたり、足の筋をぐりぐりされたり」

「・・・」


 芳の顔を見ればどう思ったかはすぐわかった。そんなに引かなくても。


「それを受け入れているの?」


 奇怪なものを見る目でこちらを見ないでほしい。


「まあ・・・心底嫌ってわけではないので・・・」


 倒錯した思考と嗜虐心には閉口しているが、なんだかんだで最後には許してきたかもしれない。

 そう答えた途端、芳は大きなため息をついて首を振った。


「好きなのかわからない、なんて言って。そんな事を許している時点で答えは出ているでしょう」


 芳の言葉にハッとした。

 さっきの思考ループから考えても、やっぱりわたしって―――


(でも、もう手遅れかもしれない)


 やっと纏まった思考も、マイナスな方向へ引っ張られてしまうのはこんな状況で心細いからだろうか。

 こちらの心中を知ってか知らずか、芳の話題は明日の予定に移った。


「明日は為家のご家族と対面ね」


 今わたしたちが居るのは為家の一族が所有する、山の中にある今は使われていない小屋だ。鷹狩りの時にでも使っていたのだろう。内裏の建物と比べれば質素なものだが、数日間滞在するには全く不便はない道具が揃っている。

 ここで一晩明かした後に、明日の朝に為家の家族と会うことになっていた。そこで為家の家族に都から下って来たから置いてほしいと話してから為家の恋人と挿げ変わる手筈だ。普通ならすぐバレそうなものだが、こういう時高貴な女性の姿を隠す所作が役に立つ。声でしか判別できないし、それだって鼻声だったとかで誤魔化せそうだ。


「あとは、主上が私を迎えに来てくださるだけ」


 字面だけ見れば迎えに来ると信じて疑っていないようだが、その顔は不安一色だった。今ならその気持ちがすごくよくわかる。


「そうだね。わたしの夫も迎えに来てくれるかな」


 冗談めかして肩を竦めたものの、こちらの不安も芳には伝わったらしい。


「・・・私の考えでは、あなたの夫は地獄の底まで追ってくると思いますわ」


 自分の事は棚に上げて、訝し気な顔で慰めてくれた。その言い方が面白かったので、思わず吹き出すとくすくすと笑い合う。


 ふと思い出して腕の紋様を擦る。晴明がわたしを見つける時、いつもこの紋様がしくりと痛んでいた気がして、今回もそうならないかと願いを込めてなぞった。


(晴明様に会いたい)


――― ずくん


 ただ単に皮膚を刺激したことでいつもの炎症が出ただけかもしれないが、呼応するかのように確かに痛んだので少しだけほっとした。



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