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烏羽色の光  作者: 青丹柳
瑞花
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 微かな振動が床から伝わる度に頭がガンガンと痛む。


(何でこんなに頭が痛いんだっけ・・・)


 ぼんやりとした頭を押さえながら身を起こすと、目の前に見知った顔がある。何故こんなところで顔を合わせているのかすぐには思い出せず、ぼーっと見合っていると、目の前にいる二人ともがすいと顔を逸らした。


「・・・ん?え?これどこに向かってますか?」


 だんだんと頭がはっきりしてきて、自分が牛車に乗せられているらしいと気づくと同時に、前後の記憶が蘇ってくる。

 筵道を辿り内裏の北の門まで歩いていた。そこでどこかの女房が牛車に乗りこもうとしていて、声を掛けた時に頭を―――


「何で殴ったんですか」


 後頭部を擦りながらムスっとした顔で二人に質問したのには理由がある。

 二人のうち男性の方が一瞬後ろの女性の顔を伺い、ハッとしたように言った。


「僕があなた方二人を誘拐したのです。大人しくしていてください」


 その言葉に胡乱な目を向けたが、彼は気づかないようで話し続ける。


「本当は宣耀殿の后のみ誘拐するつもりだったのですが・・・あの場で騒がれるわけにはいきませんでした。」

「でも、二人とも以前からお知り合いですよね?」


 豊楽院で仲良くお話しされてたじゃないですか。

 はっきりと指摘すると、為家だけでなくその後ろで怯えた顔をして震えていた芳の顔も強張るのが分かった。

 言った後に、これがミステリー小説ならこの後自分は殺されるかもしれない、と思い至ったが一度口に出してしまったものはどうしようもない。しばらく誰も口を開かなかった。


 豪く雅やかな恰好をした女性、為家は宣耀殿の后と言ったが、わたしの知る限り彼女は女孺のはず。そこだけはわからなかったので、どうせ殺されるならあれこれ聞いてみようか。


「芳は宣耀殿の御后様なの?」

「どうして私達が知り合いだとおっしゃるの」


 残念ながら問いには答えてもらえなかった。

 代わりに投げかけられた質問に淡々と答える。


「目印をつけていたから」


 為家が豊楽院へ忍んで逢っていた者を判別するために、咄嗟に付けた目印の臭い。それが微かに芳から臭う。


「芳から硫化水素のにおいがするよ」


 火薬の原材料がこんな形で役に立ったのは、たまたま頻繁に湯浴みをしないというこの時代の文化があったからだけど。彼女の長い髪に絡みついた卵の腐ったような臭いから、あの時豊楽院に居たのは芳の可能性が高い。


(一瞬伊予から硫化水素の臭いがしたときは混乱したけど・・・)


 よく思い出せば、あの時伊予は芳の髪を熱心に手で梳いてあげていた。あの時匂いが移ったのだろう。じっと芳の顔を見るとしばらく何も言わなかったが、ついに観念したように言った。


「面倒な人に見つかっちゃったわね」


 その表情は初めて会った時感じた柔和で上品な雰囲気はすっかり影を潜めて、気だるげで投げやりなものだった。優し気な垂れ目はそのままなのに、だらりと姿勢を崩して煙草の煙でも吐くように深いため息をついて牛車の壁にもたれるその姿は―――


(・・・ヤンキー?)


 あまりにもがらりと変わってしまった雰囲気に目を丸くしていると、芳は手に持った扇をわたしの顎にかけると言う。


「こうなればあなたも連れて行くから」


 どこへ、と問いたいが、そもそもこれはどういうイベントなんだっけ。

 牛車の外にどれだけ仲間がいるのかわからなかったが、二人がわたしに危害を加えるような素振りを見せなかったので事情を聞き出そうと身を乗り出した。








「早くこれ持って行って!」


 外した橋板をまとめて蔵人所の下人だった男に押し付けると、彼は慌てて橋の袂まで駆けていく。


(わたしこんな所で何してるんだろ・・・)


 重い橋板から腕が解放された時、ふと虚しい気持ちが頭を擡げてくる。

 彼らの話を聞いた時、なんて子供っぽい理由で馬鹿げたことをしてしまったんだと憤りを感じたし、巻き込まれた成明が可哀想だと思った。

 だけど、事情を聞いてしまった以上無理矢理戻れと言うのも忍びなくて、悩みに悩んだ末一旦彼らに手を貸すことにしたのだ。


「こんな事までする必要ありますかね?」


 眉を下げてもじもじとそう聞いてくる為家をどつきたくなったのは仕方ない、と思いたい。こんな大胆なことをしておきながら計画性がなさすぎる。


「このままのんびり牛車で進んでたら昼前には追い付かれますよ。あっちは馬でしょうから」


 それでもいいならやらないですけど、とちらと視線を遣れば慌てて橋板を運ぶ作業に戻っていった。



 どうにかこうにか全ての橋板を外して近隣の集落に預け、牛車を進め始めたのは夜明け近くだった。集落の人には七日後に橋板をはめなおすようにお願いしてある。対岸から来る官達はそれまで川を渡れないし迂回しようにも隣の橋までは数日かかる距離なので、これである程度足止めになるだろう。

 昨日が大晦日だったから、今日は元旦のはずだ。お節もテレビ特番も初詣もない初めてのお正月。一年の始まりがこんな騒動とは、昨年から引き続き今年も波乱の一年になりそうでげっそりした。


「どうしてここまでしてくださるの?」


 感動して言っている口調ではない。馬鹿にしたような、蔑むような色が混じる。どうもこっちの皮肉屋で腹黒そうな面が彼女の本性らしい。

 ごろりと転がって芳の顔を見上げながら頬を膨らませて答えた。


「このままここで捕まったら、わたしは殴られ攫われ損でしょう」


――― ぶぇっくしょい!!


 芳が何か答える前に、盛大にくしゃみをしてしまった。寒い。

 集落の人に依頼するにあたり、謝礼が必要だったから袿を何枚か渡したのですうすうする。早く目的地について温かいお風呂にでも入りたい。

 少しでも体温を逃がさないように胴の中に腕を引き込み、萎えた袖を体に巻き付けて丸まっていると小さな舌打ちが聞こえてきた。


 花束のようないい匂いがする衣がふわりと掛けられる。

 意外に思って芳を見上げたが、顔を背けているのでその表情は伺えない。ありがとう、と言っても返事はなかった。


(そんな気遣いが出来るなら、こんな事しなきゃよかったのに)


 そう思わずにはいられないが、もうここまで来たら言っても仕方ないことだろう。しばらく車内には沈黙が広がっていたが、芳が口を開いた。


「あなたは主上が私を迎えに来ると思う?」


 また答えにくい質問をする。正直に言おうか、オブラートに包もうか。


「・・・為家の目的は一応達成できると思う。でも芳のほうはわからない」


 為家は牛車の隅でしょんぼりと俯いている。

 彼は家長に婚姻を認められない恋人のため、都から高い身分の女性を連れて来てその身分を恋人に付け替えるのが目的だと言っていた。もちろん都から来る女性の協力の下、どこかで入れ替わった上で都から来た女性の方はこっそり帰すつもりだった。

 その計画を帝の后でやろうというのは無謀すぎるとは思ったが、女性が都に帰った後ならわざわざ地方まで身分を確認しに来る者はいないだろうから、まあできなくもないかと思う。

 でも、そんなに好きならこんな回りくどいことなどせず家を捨てて一緒になればいいのに、と思ってしまうのは冷たいだろうか。


 一方で芳のほうは―――


「主上はおいそれと都から出られないから、あなたを迎えには来られないかもしれない」


 頻繁に内裏の外にこっそり出ているのは知っているが、あくまで近場かつ信頼する行先だけだ。さすがに都の外となると非公式に出るのはかなり難しい。かと言って公式に外に出ると騒動が大きくなるし、行幸となるので準備だけで相当な時間がかかると思う。それに他の后の陣営にもどう説明するのか。彼女らの縁戚が黙っておらず、成明は苦しい立場に置かれるだろう。


 付き合いの浅い目の前の二人より、どうしても成明のことを慮ってしまう。


 わたしに言われなくとも芳だってその事実はよくわかっているようで、ぎゅっと唇を嚙み締め言った。


「一度だけでいいからどの后より、あの飛香舎の女御より大切にされていると思える証拠が欲しいの」


 そうでないと、今後内裏での生活に耐えられそうにないのですもの。

 という言葉に彼女の苦悩が見えて、それ以上追い詰めるようなことを言わないよう口を噤んだ。


 誰も彼も、何故この時代の人たちは猛烈に恋愛を拗らせがちなのだろうか。それとも、今までわたしの周りにはたまたま居なかっただけで、千年後もそれは変わらないのだろうか。


(いや・・・)


 わたしだって夫との今後に悩んでいるのだから、恋愛拗らせ組の一人と言えなくもない。


 物見窓を少し開けて、朝日に照らされる播磨への道を見遣った。

 晴明は今何をしているだろうか。昨夜晴明邸に戻ることになっていたから、行方を探しているかもしれない。でもこの事態にわたしが巻き込まれているなどすぐには気づかないだろう。


(心配してくれるかな)


 いや玩具を取られて怒り狂う姿しか想像できないな、と小さく息を吐く。



 なんだか無性に晴明の香の匂いを肺いっぱいに吸い込みたくなって、それが叶わないので心の奥がぎゅうと締め付けられたような感覚に襲われた。






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