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烏羽色の光  作者: 青丹柳
瑞花
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 追儺まで僅かだが時間がある。どうしても妻に触れておきたくて、飛香舎の房に上がった。


 普段、女達のさざめきが絶え間なく聞こえる殿舎の中は静まり返っていた。女房達は母屋のほうへ集まっているのかもしれないが、妻が自分の房に居ることはわかっている。

 ゆっくりと音を立てずに御簾を上げると、惚けた顔で襖を眺める妻が居た。こちらに気付く様子は微塵も無い。

 相変わらず、くだらない何かに思い悩んでいる事が手に取るようにわかった。何故夫に打ち明けないのか。


 もう我慢の限界が近い。妻が手の届く範囲に居ない上、こちらを見る度に顔を曇らせ何か言いたげに離れていくのが心底不愉快だった。

 夜半に豊楽院で捕まえた時、どれだけここで穢して明かしてしまおうと考えたことか。


 足音を立てず気配を消して背に回ると、逃げられぬよう後ろから拘束して右の耳朶に強く咬みついた。


「痛っ!何っ!?」


 腕の中で妻の体が大きく跳ねる。私が与えた刺激に反応したのだと思うと昏い心がじとりと満たされた。崩れかけた心の均衡が何とか持ち直したことを悟ると、喰いこませた歯を抜き傷口を丁寧に舐る。嗚呼、もっと印を残したい。

 そのまま耳孔も丹念に舐れば、妻の体は更に小刻みに震えた。


「・・・そういうところですよ、晴明様」

「何を思い悩む」


 左の耳孔も小指で弄べば首をすくめ身を捩って逃れようとしたため、一層拘束を強めて仕置きのために左の耳朶も強く咬む。左右の耳朶に、弓なり型の装飾具のような歯形がついた。


 問いに対する答えはまだ無い。

 しばらくの沈黙の後渋々口を開いたが、その内容は思いがけないものだった。


「・・・・・夫婦お試し生活のあと、どうするかを」


 腹の中で嵐が吹き荒れ始めたが、生まれ持った性質か、自分でも驚くほどに冷たく押し殺した声が出る。


「別れたいか」

「・・・・・・・・・・・わかりません」


 明確な否定が含まれぬ返答に全身の血が逆流したかのように思えた。一瞬の後、私の下には重ね袿を剥ぎ取られ、単衣の前面が大きくはだけた妻が圧し付けられていた。

 彼女の言うお試し生活の間に、ゆっくりと雁字搦めにしようと考えていたが、気分が変わったので別の手法を取る。今や師との口約束など頭から零れ落ちていた。


 常なら隠れている鎖骨の薄肉をずくりと刮ぎ上げると、今から自分の身に何が起きるのか察した妻が、信じられないものを見るような目をして顔を上げた。


「私から離れられぬように躾ける」

「ここがどこだかわかってるんですか!?内裏の飛香舎ですよ!理性を保ってください!!」


 押し殺した声で叫ぶ。


「妻と交わるのに理性などいらない」


 正攻法では止めてもらえないと察したのだろう。困ったような顔をしてどう対応すべきか思案しているようだが、一方で撫で回されても為されるが儘唇を噛んで耐えていた。遮二無二抵抗しないことから、できるだけ穏便に事を収めようとしているのが透けて見える。

 眉根を寄せ唇を嚙み与えられる刺激に必ずや耐えんとする悲壮なその表情に、嗜虐心が強く刺激されて腹の奥が滾る。いつまで、どこまで耐えられるか見物だ。もう耐えられないと泣いて縋るまで滅茶苦茶にしてしまいたい。


 部屋の中を彷徨う妻の視線が倒れた脇息に止まり、そろりと手を伸ばしたのが見えた。


「他の女房を呼んでみるか。この猥りがわしい姿を見られても良いのなら」


 低く笑いながら左腕で頭部を強引に抱き込むと、右手で緋袴の上から腹を一撫でし、矢庭にへその穴を強く抉った。さすがに耐えられなかったのか、妻は声にならない叫び声を上げて二度三度と痙攣する。

 ひくつく喉を甘く食んでやると、反射的に拒絶の腕が突き出されたが何の障りにもならない。それどころか、眼球を潤ませて苦悶の表情を浮かべる妻の顔を見ると、腹の奥の滾りが一層強くなった。


「怖がるな、すぐに良くなる」

「・・・晴明様は・・・本当に、わたしの事好きなんですか?」


 妻はわかっていない。

 好きだ愛だなど、そんな表層上の薄い感情だけではない。

 在るのはもっとずっと奥深く、深遠から湧き上がる名も無い昏く重い感情。人はこれも好きだ愛だと表現することがあるようだが、飽く迄それらを包含しているからそう見えることもあるだけだ。

 独占欲や支配欲とも似て非なるものであり、相手を掌握するだけでは満足できない。深遠まで引きずり落とし、お互いを以てして汚泥のように混ざり合いたいと渇望する。

 妻に抱くのはそんな感情だ。

 

 問いへの答えは言語以外の手段で教えるしかないと狂気染みた笑みを浮かべれば、どう受け取ったのか妻の顔が悲し気に歪んだ。

 何を勘違いしたのか知らないが、すぐにわかる。わからせる。


――― するり


 緋袴の腰帯に手を伸ばした時、内裏を彷徨っていた馴染みの気配がついに飛香舎のほうへ駆けて来て、御簾の向こうから悲痛な声を掛けてきた。


「晴明様!!まだでしょうか!?もう追儺の準備を始めないと本当に間に合わないです!!」


 嗚呼煩い。

 祭祀などどうでもいい。勝手に進めていろと言いかけた時、組み敷かれた妻が無理矢理半身を起こして囁いた。


「行ってください。わたし、追儺を楽しみにしてたんですから」


 どこか力の入らない笑みに、知らずと眉間に皺が寄る。そんな顔をされては返って離れ難い。


「晴明様~~!!出て来て下さらないと、御簾開けちゃいますよ!?」


 御簾の外から聞こえる声が、悲痛から半泣きに変わる。

 それを聞いて、妻の腕が緩々と私の肩を押し出した。


「ほら、行ってください」


 不承不承身を起こすと、妻の体を持ち上げ乱れた単衣を丁寧に着せ直す。それから剥ぎ取った重ね袿を拾い上げ両腕に通させると全体を整えた。


「護衛は終わりだ。今夜屋敷へ連れ帰る」


 柔らかく緩やかに曲線を描く髪に指を通して梳くと、妻は僅かに目を細めてじっとしている。丸みを帯びたその頬に自分の香を擦り付けるように頬擦りし、名残惜しく離れた。


「わかりました。帰ったら、今後の事をよく話し合いましょう」


 今後の事など話し合う余地はない。まさか望めば解放してもらえるとでも思っているのだろうか。丁寧に指摘してやる気もないので、鼻で笑って流した。


「また今夜」


 長く続いた耐えがたいこの渇望が、今夜ついに満たされるだろうか。







 道満の夢から始まり、今日は心を大きくかき乱されてばかりだ。しかも、よりによって今夜晴明邸に戻されると言う。今年は最後の最後まで落ち着かないのかと思うと、気が重い。


(正直、しばらくは飛香舎に居たい・・・安子様に頼めないかな)


 わたしの事が好きか?と尋ねた時の晴明のあの顔が頭から離れない。明確な答えはもらえなかったけど、執着と欲に濡れたあの顔には、純粋な好意など無いと書いてあるように見えた。


 今夜、今後について話し合う前に自分の言いたいことをまとめておかなきゃ。


 暗澹たる気分でのっそりと母屋へ足を踏み入れると、あっという間に闘志あふれる女房達に取り囲まれた。


「飛香の君、こちらとこちら、どちらがお似合いかしら?」


 女房達がパタパタとわたしの肩に色んな衣を当てがって悩んでいる。そういう衣選びはわたしにはさっぱりなので、プロにおまかせとばかりにされるが儘だ。


 女房達が張り切っているのは、打出の衣という装飾だった。ずらっと並んだ女房達が御簾の下から衣の袖口と褄を押し出して外へ見せるもので、特別なイベント時に華を添えるために行われる。色系統を合わせたり、テーマを設定して全く別の色を組み合わせたり、センスが問われるものだ。

 例年の追儺では行われていないそうだが、今日は新しい女御の入内日。飛香舎だけでなく、各殿舎とも打出の衣を行うと思われる、と女房達が鼻息荒く説明してくれた。


(つまりは牽制)


 わたしに色合わせのスキルなどあるはずもない。豆撒きのあと、衣を吟味する女房達に全てをまかせてしばらく部屋で休んでいたのだが、結果あんな目に合うくらいなら分からないなりに加わればよかった。


 もうすぐ日が沈む。

 夜になれば、追儺が始まる。




――― ガン、ドン、ガン、ドン、ガン、ドン


 木製の何かを打ち鳴らすような音と、鼓の音が響いている。

 御簾の隙間からよく見ると、青紺色の袍を纏った一団が松明を掲げて薄暗い内裏を練り歩いて来た。その中に、一際目立つ格好の者が混じっている。


 黄金の四つ目の面を付け毛皮を被った黒衣の者が、右手に持った矛で左手の盾を打ち鳴らす。音の正体はこれらしい。

 それから真っ白な浄衣を着た陰陽寮の官達が黒衣の者の後ろを少し離れて歩いている。あの中に晴明も居るのだろう。


 ふと周りの殿舎へ目を向ければ、女房達の予想通りどこもかしこも雅やかな打出の衣がのぞいていた。飛香舎は位置の関係で全殿舎を見ることはできないが、抜かりなく下人に見に行かせた女房の話によれば、こちらから見えない殿舎もそれはもう鮮やかな打出の衣が出ているそうだ。

 しかも既存の后だけではない。

 本日后が入内したばかり宣耀殿でも打出の衣が出ているという。それはつまり―――


(受けて立つ、ってことかな?)


 なかなかに逞しいお心をお持ちのようだ。

 そうでなければ帝の后になどなれないのかもしれない。


 ふいと視線を戻せば一団はもう大分近いところまでやって来ていた。


 安子に聞いたところによると、この祭祀で豆は投げないという。

 様子からしてあの黒衣の者が鬼役のようだが、どうやって追い払うのだろう。そう思った時、唐突に視界の外からひゅんひゅんと風を切る音が聞こえてきた。


(ええ!?)


 各殿舎に立った武官たちが一斉に弓矢を放ったのだ。

 同時に聞こえてきた判別不能な言葉は陰陽寮の官達の祝詞みたいなものだろうか。


 弓矢は当たらないように足元を狙っているようだが、危険極まりない。うっかり事故で誰かに当たってしまわないか冷や冷やしたがそこは慣れなのか。一団は滞りなく内裏での儀式を終えると大内裏の方へ向かっていった。

 中から外へ外へと鬼を追い出していくそうで、渦を描くようにあの弓矢で射られる儀式を繰り返していくと聞いてこちらがげっそりした。


(今日屋敷へ帰ると言っていたけど、迎えは遅くなりそうだなあ)


 猶予ができて嬉しいような、先延ばしになって気疲れしてしまうような、複雑な心境だ。

 とりあえず待っている間に荷造りをして、飛香舎の皆に挨拶しておこう。


 一旦部屋まで戻り、打出の衣として着ていた衣を着替えながら、ふと不安になった。


(護衛は今日まで、ってことは嫌がらせの犯人見つかったんだよね?)


 でも成明も晴明もそんな話はしていなかった。それとも知らないうちに処罰まで済んでいるのだろうか。

 しかし内裏においてはそういった懲戒の噂はあっという間に広がる。飛香舎を訪れる者達の恰好の話題になっていただろうに、全く聞いた覚えがない。


(と、言うことは・・・?)


 他に考えられる可能性を考えていた時。


――― きゃぁぁぁ


 絹を裂くような悲鳴が内裏中に響いたので、思わず外に飛び出した。


「どこから?」


 少し遠目に聞こえたので、内裏の中央から東寄りだろうかと考えて、飛香舎の真ん前にある弘徽殿と登華殿を迂回した時、見慣れない物があるのに気付いた。

 宣耀殿まで続く筵道だ。貴族の衣は大体が地面を引きずるため、入内を含む屋外イベントがある時に上を歩くために設置される。

 でも新しい后は正午には入内していたはずなのに何故まだこんなところにあるのだろう。


 松明を掲げた女蔵人達が東のほうの殿舎へ向かうのが見えたので、わたしは気になった筵道のほうを見てみることにした。

 今わたしが着ている衣も地面を引きずる女房装束のため、筵道の上を慎重に歩く。


(入内の移動とは別に、今誰かが来た、もしくは誰かが出ていった?)


 筵道を辿っていくと玄輝門から更に朔平門まで続いている。

 朔平門の脇には大きな牛車が一台止まっており、今まさに女性が乗り込もうとしていた。長く引きずる裳が付いているので、どこかの女房だろうか。内裏に住む女房達は、普通こんな時間に牛車に乗って出かけたりしない。


「あの~・・・今からお出かけで・・・あっ!」


 門の篝火に照らされる振り向いたその顔を見て、思わず声を上げた時。


――― ガッ


 後頭部に大きな衝撃を感じて、目の前が真っ暗になるのを感じた。



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