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烏羽色の光  作者: 青丹柳
瑞花
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 最初はいつもの夢だと思っていた。

 近頃は夢の中で目を開ける前からなんとなくわかるようになっていたから。でも―――


(あれ?今日はちょっと違う・・・)


 ゆっくりと目を開けた時、眼下に広がっていたのは所々に雪が積もった畦道と田んぼ。郷愁を誘うその景色には見覚えがあった。道満の屋敷の門前から見る景色だ。

 白蛇の夢ではいつだって真っ暗闇の中だったのに、今日は豪くリアルな風景が広がっているのはどういう事だろう。


 きょろきょろと辺りを見回しても白蛇はいないから、もしかしたらこれはいつもの夢とは別物なのかもしれない。

 振り返ると、現実と全く同じ造りの道満の屋敷が広がっている。中に誰かいるのだろうか。恐々と門をくぐると母屋の方へ歩いて行った。


「誰か~・・・いますか~・・・?」


 いつもの夢だと思っていればどんなに奇怪な内容でも気にならないが、そうでないかもしれないと思った途端少し心細くなる。


 ついに誰にも会えないまま母屋までたどり着いたのだが、そこでやっと生き物に出会えた。

 母屋の庇の下、こちらに背を向けて道満が座っている。


(やっぱりいつもの夢じゃない)


 とはいえ夢の中ではあるから、彼はわたしの想像上の道満だろう。話しかけたら実質自分対自分の会話になるんだろうか、と考えていると、目の前の道満が自分の横の床をぽんぽんと叩いた。

 どうやら隣に座れと言う事らしい。他に選択肢もないので、恐る恐る言う通りにする。


「ど、どうもこんばんは」


 真面目くさって丁寧に挨拶したのがよほどおかしかったのか、道満はからからと笑った。その態度からはいつもの気さくな雰囲気が十分に感じられたのでほっとしたのも束の間、振り向いたその顔を見て息を呑む。


(目が真っ赤)


 充血の赤じゃない。塗りつぶしたように艶やかな赤い目。いつぞやに食べた、茱萸の実みたいだ。咄嗟に道満の肩を掴む。


「脳内出血では!?いや、脳梗塞ですかね?!どうしよう・・・!」


 まさか虫の報せの類の夢なのでは。

 本当に脳梗塞などだったら揺すってはいけないとわかっているが、思わず掴んだ肩を前後に揺すった。その様子を見て、更に面白そうに道満は笑う。


(人が心配してるのに・・・!!)


「心配すんな、白蛇だって目が赤かっただろ?」


 白蛇が赤い目だから道満の赤い目も問題ない、という超理論は理解できない。

 憮然としたわたしの頬を、道満のゴツゴツして大きな手が宝物でも抱えるようにそっと包み込んだ。


「ところでお前、晴明とのお試しの件はどうなった?」


 悩んでいると言っていたじゃねえか。

 その言葉に今度は首を傾げた。確かに今後どうすべきか悩んでいると話したが、それは白蛇にだ。いや、結局夢なのだから、わたしの頭の中で完結している以上情報が共通化されていても不思議じゃないか。


「まだどうするか決められていません・・・」


 目を伏せてほぅ、と息を吐く。

 晴明が何故かわたしに執着しているのはわかっている。本人はそれを好いていると表現していたような気がするが、そこの認識が間違っているのではないかと最近思う。わたしの存在は、面白い玩具もしくはスヌーピーに出てくるライナスの毛布みたいなもので、いつか手放す事が確定している物への一時的な執着ではないかと感じていた。

 一方で、人の気持ちを勝手に推し量って疑って否定するような事を言ってはいけないように思う。だからこそ本人に面と向かって確認する勇気も出せず、ずるずると悩んでいた。


「夫婦って・・・好きって何なんでしょうね・・・」


 もういっそ一生独身でいいかもと投げやりに肩をすくめた時、頬包む手に俄かに力が籠った。


「俺はお前の事が好きだ」


――― こつん


 額と額が触れ合う。思いがけない言葉に、一瞬、時が止まったような錯覚に陥った。

 真っ赤な瞳にわたしの驚いた顔が映るが、あまりにも距離が近すぎて焦点が合わずぼやけて見える。


「俺の事、好きになれよ」


 真摯な瞳に、知らず知らずのうちに生唾を飲み込んだ。


(これはわたしの、妄想?)


「あいつがお前に執着してる事はわかってるだろうが、問題はその深度と範囲だ。その他に多少なりとも分散されるべき興味がお前へ一点集中なんだ。

 お前のことは守るかもしれないが、お前が大事にするもの何もかもから遠ざけようとする。子を為しても、その子には一寸も興味を持たねえよ。何なら子らとの接触も禁じるぞ。

 そんな奴と上手くやっていけるか?そんな事する奴はお前の事を好いているとは言えないだろ?」


 朗々と語りかける道満の熱い吐息が鼻や唇を撫でていく。


「俺だったら、魂が続く限りお前を大事にする。お前が大事にしているもの全てを大事にする」


 あいつはいつかお前を壊す。だから―――


 ふわりと優しく抱きしめてくるその体温は、夫のものと同じく冷んやりとしていた。







「はぁぁ~・・・・・」


 煎り豆を端切れ布で包みながら、無意識に盛大なため息をついた。あんな夢を見るなんて。自分の深層心理は一体どうなってるんだ。


(ホルモンバランスの乱れ?)


 思い出すだけでカッと顔が熱くなる。慌てて誰も見ていない事を確認し、ぱたぱたと手で扇いで熱を覚ました。

 あそこまでストレートに好意をぶつけられたことなど無い。晴明だって湾曲的な表現しかしたことがない。


(実はそういうのが好みだった?)


 晴明だけでなく自分の事ももうよくわからない。

 もう一度ため息をついて目の前の悩み事を一時的に吹き飛ばすと、端切れ布がたくさん詰まった籠を抱えて飛香舎の母屋へ足を向けた。



 早いもので、今日は大晦日。

 千年後と内容は大きく違うものの、こちらでも年末はイベントが立て込むものだ。今夜は宮廷行事として追儺という節分のような祭祀があるらしい。ような、というのは、話を聞く限り節分だと思うのだが、時期が違うし豆も撒かないというので同一なのか判然としないからだ。

 それから今夜はイベントがもう一つ。成明の新しい女御が入内し、婚礼の儀が行われる予定だ。


 飛香舎としては前者のイベントにしか関与しない。だけど、後者の内容が内容だけに皆どこかそわそわピリピリしていた。


 だからこそ。


「安子様、わたしたちだけの追儺をしませんか?」


 きょとんとした安子の前に、どんと籠を置くとにっこり笑った。





「ぎゃああ!!」


――― ピシピシッ


 いくら豆とは言え、渾身の力で当てられるとまあまあ痛い。飛香舎の母屋中をドタバタと逃げまどっている。しかも振りかぶって投げるだけでなく、ナックルやフォークと思わしき投げ方をする女房達に完全に翻弄されていた。


(わたしの事を鬼に見立てて、とは言ったけど!)


 全員、わたしが付けている鬼の面が新しい女御の顔に見えているのは間違いない。

 一番の寵を頂くのはうちの女御様なのです、とか、抜け駆けは許しませぬ、とか、ぶつぶつと唱えながら豆を包んだ端切れ布を投げてくる。

 一投一投に籠る怨嗟がすごい。


 はあはあと息を切らして、そろそろ皆手持ちの豆を投げ終わっただろうかと見回したら肝心の安子の手元に残ったままなのに気付いた。


「今年の厄を全部落としてしまいましょう。全部受け止めますよ」


 両手を広げてどんと構えて安子にそう言うと、困った顔をさせてしまった。それからこつんと額に端切れ布をあてられる。

 わたしに豆を投げつけるのは憚られたのか。だけど、どうにか気晴らししてほしい。


 わたしには彼女の立場に完全に寄り添うのは難しい。それは仕方がない、全く違う文化で育ったから。だけど、彼女に元気を出してほしい、次の年も心身ともに健やかでいてほしいという気持ちは本物だ。


――― しゅるる


 端切れ布の口を結んでいた糸を解いて、中から煎り豆を取り出す。そんな気持ちが伝わるよう、安子の口にそっと豆を押し当てた。

 彼女は遠慮がちに口をひらくと、かり、と齧る。


「・・・あなたは私の第二の夫ですね」


 寄り添うと気力が湧いてきます。

 独特の表現にくすくすと笑うと、殺伐としていた母屋の空気がほどけていくのがわかった。


「さあ、皆さんも年齢の数だけ豆を食べてください!そうすれば来年も健やかに過ごせます」


 他の女房達も憑き物が落ちたようにけろっとして、楽しそうに豆を齧り始めた。ただ、年齢の数だけ、というワードはいつの時代も危険なもののようで、彼女たちは壁のほうを向いて誰にも見られないように食べている。


「飛香の君の御国の追儺は変わってますね」

「でも私はこちらが好きですわ」

「心の底からすっきりしましたからね」


 ころころと笑うその姿は、もうすっかりいつもの優雅な女房たちだ。

 豆を食べ終わると追儺に向けて打出の衣(うちいでのきぬ)を吟味するわよ、と闘志を目に灯してばたばたし始めた彼女達を見守る。


(すっきりしたんじゃなかった?)


 くすりと笑う。


 今日を境に年が変わる。長引いている護衛任務はいつまで続くだろう。なんとなく、今日何かが変わるような、そんな気がしていた。



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