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烏羽色の光  作者: 青丹柳
瑞花
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「ふごっ・・・!」


 寂れた豊楽院の中にある御堂の陰で、後ろから伸びてきた腕の片方が口を塞ぎ、もう片方が腰に巻き付いている。

 口にかかる手は引っ張っても揺すっても全くびくともしない。でも危機感はない。しかし不満感はある。

 伊達に何度も何度も口を塞がれていない。顔が見えなくても、声が聞こえなくても、手の平の温度と感触だけで後ろにいるのが誰なのかはすぐにわかっていた。

 口を覆う手の平をとんとんとしつこいくらいに叩くと、漸く手の平がするりと下がって代わりに顎を包み込まれる。


「ぷはっ・・・何するんですか」


 おかげで怪しい人たちを追えなかったじゃないかと文句を言おうとしたら、肩口に頭が乗せられたのでよろりと体が傾いだ。


「一晩待った」

「え、何をです・・・?」


(出た、ドッジボール式剛速球会話術)


 当惑するわたしを他所に、地を這うような声が続く。


「仮初めの自由を謳歌できたか」


――― がり


 唐突に後ろから首を強く咬みつかれて、無意識に逃れようと上体が大きく前へ傾いだ。血が出る一歩手前という絶妙な力加減だが、痛いものは痛い。


「生憎、すぐに連れ戻す」


――― がりっ


「っ・・・痛いですってば・・・」


 二度目の咬みつきは一度目よりもわずかに力が増している。ぐぐぐと咎めるように歯を押し当てて皮膚の反発力の限界値を探っていたようだが、ついにつぷりと何かがはじける感覚の後、生暖かいものが滲むのがわかった。

 流れ出た血を舐めて、吸って、それからもう一度傷口を押してまた血を流す。おそらく指先を針で刺したくらいの傷ができているだろうが、問題は程度ではない。いつぞやの河原での出来事を思えば強く言えないが、他人の血液に触れるなど衛生上よくない。


(こういう事をするから、お試し後どうするか悩む)


 千年後も今も、時代関係なく普通の夫婦はこうではないはず。ただただ自分の所有物の管理方法について怒っているようにしか見えない。そこに愛情など無く、あるのは所有欲もしくは支配欲のみ。どちらも健全な夫婦が抱くものではないと思う。

 つまり、どうせまた自分の遊びたい時に玩具が無かったために臍を曲げているのだということは薄々分かったので、少ないヒントから宥めるための言葉を探す。


(一晩、自由)


「・・・もしかして、昨日の夜わたしの部屋で待ってました?」


 返事はないが、首筋を擽るわざとらしいため息からおそらく予想が当たっているのだろうとわかる。


「てっきり部屋間違いか、どこかの女房が不法侵入したのかと」


 前もって言ってくれれば早めに戻りました、と言うと、夜中に大内裏を歩くものではないという正論が返ってきた。確かにそうだが、一応仕事をしていたわけだし、護衛も居たからそこまで怒らなくても。

 ごろりと肩に掛かる重みのバランスが変わったので見下ろすと、昏い執心の焔が揺らぐ瞳がこちらをじっと見ている。


 何でそんな目で見るのだろう。


(本当にわたしの事を好きかどうかも怪しいのに)


 その時。


「お会・・・うれ・・・・」

「・・・の家・・・楽・・・」


 遠くから聞こえてくる声にはっと辺りを見回した。そうだ、ここで長居をすると他の真っ当な恋人たちの邪魔になりかねない。

 慌てて晴明を宥め賺して力任せに引っ張りながら、豊楽院を抜け出した。







「・・・なんだ?」

「・・・どうしました?」


 現在、飛香舎の寝殿部分は静かだ。人払いがされており、成明、安子、晴明、そしてわたししかいない。

 状況確認のために集まっているのだが、成明と安子の様子をじっくりを観察していたら二人から怪訝な表情が返ってきた。


(やっぱり普通の夫婦ってこうだよね)


 二人は政略的な結婚だったと聞くが、お互いを尊重し労わりあっているのは見ていてわかる。周囲からは気性が激しいと言われることが多い安子も、成明と二人でいるときは情に溢れた目で夫を見ていたし、成明も安子の置かれた今の状況を心から案じていた。


「なんでもありません・・・」


 ため息をつきながら、成明の後ろに座る自分の夫に目を向ける。悩みなど微塵もないという涼し気な顔をしていて、わたしだけ悩んで馬鹿みたいだ。

 仕事仕事と心を入れ替えて、最近気になる者を見たことについて話をした。内裏で見かけた時の様子や、二日連続で夜中に豊楽院にいたこと。


「今回の件に関係あるかはわからないんですけどね。彼は蔵人所の鷹飼みたいです」


 わたしがそう言うと、一瞬成明と晴明が目線を交わした気がする。


(関係ある、ってこと?)


 しかし確信はないのか、それともここでは深く言及できないのか、二人とも何も言わなかった。代わりに全く関係のない叱責が飛んでくる。


「夜中に大内裏を女一人で歩くものじゃないぞ」

「そうです、特に豊楽院内部は警備もいないのですから一人は危ないですわ」

「はい、気を付けます・・・」


 こういう時、いつもなら安子は味方してくれるのだが、さすがに今回は駄目らしい。しょんぼりしていると舎の裏手のほうから懐かしい賑やかな声が聞こえてきた。


「息抜きに彼女達とお話してきては?」


 しょんぼりしていたから気を遣ってくれたのか、安子が扇を声が聞こえるほうに傾ける。

 実は声が聞こえた時からそう言ってもらえることをちょっとだけ期待していた。大きく頷くと、三人に断って舎の裏手へ回った。






 屈みこむ芳を囲んで、伊予がその髪の毛を何やら撫でたり手で梳かしたりしていて、信濃と能登が二人の道具を持ち何事かアドバイスしている。そろりと近づいてからわっと声を掛けると、四人は驚いた顔でこちらを振り向いた。


「あー!どこの御姫様かと思った」

「ここでは皇子様なんだよねえ」


 にやにやと笑う信濃にこちらもにやにやとしながら返すと、飛香舎でのわたしの扱いを知る信濃達はけらけらと笑ってくれた。久しぶりのお喋りに花が咲く。数日しか離れていないのに、この気さくなやり取りがとても懐かしい。

 他愛もない話に興じていると、ふと、輪から外れてぼーっとしている伊予の姿が目に入った。


「伊予?どうしたの、具合悪いの?」

「な・・・なんでもない!」


 一番のお喋りが今日はやけに静かだなと顔を覗き込んだら、はっとした伊予がぶんぶんと顔の前で手を振る。その時ふわりと鼻孔を擽った臭いに顔を顰めた。


(ん?この臭い・・・)


 思わず伊予の顔を凝視していると、信濃達が茶化すように割り込んでくる。


「伊予はね、最近気になる殿方ができたみたいなの」

「お仕えの最中でも気になって仕事が手につかないのよね、うふふ」

「いい加減お相手を白状なさい」


 三方から責められて頬を赤らめる伊予は、口をぱくぱくさせてどう言い返すか決めあぐねているようだ。体調不良じゃなくて良かった。一時はずいぶん恋愛に消極的なコメントをしていたが、ついに彼女にも春が来たのなら嬉しい。


「じゃあ豊楽院で逢瀬したりしてるんだ?」


 にやりと笑って揶揄う。

 豊楽院の名が出たのは最近何かと周囲で話題に上るから咄嗟に口から出たのであって他意はなかったが、伊予の顔はさっと青くなった。

 やだぁ、と沸き上がる周囲の声も届いていないようだ。


(?)


 そんな形式の逢瀬はあまり褒められたものでないとは言え、ここまで過剰に反応するのは少し変な気がする。何かあるのか聞こうとした時、清涼殿のほうから掌侍が歩いてくるのが見えたので、あっという間に彼女たちは手を振って内侍所のほうへ走り去ってしまった。


(うーん?)


 仕方ないので、寝殿のほうへ向かいながら首を傾げる。色々と気になることだらけで、知らず知らずのうちに凝り固まった首をぐるぐる回していたら、昨晩晴明に咬みつかれた傷が微かに傷んだ。



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