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烏羽色の光  作者: 青丹柳
瑞花
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89

 僅かに白み始めた夜明け前の空を見ながら飛香舎に戻ってくる。ずっと昨夜の出来事を反芻しているが、まだすっきりとした答えにはたどり着いていない。


(嫌がらせの件と直接結びつけられる何かがあるわけじゃないんだけど)


 非蔵人の彼が言うには、為家と呼ばれた少年は同じ蔵人所に所属する鷹飼だと言う。彼や高明は怪しんでいないようだったけど、豊楽院での不審な行動と言い豊明の節会での不審な様子といい何か引っかかる。

 次に自由時間をもらえたら蔵人所へ行ってみようと考えながら、御簾を上げ与えられた自分の間へ戻ってくると中の様子に違和感を覚えた。


「あれ?脇息、こんな所に置いたっけ?」


 置畳の上にちょこんと乗っている脇息は、出かける前には部屋の端に寄せられていたはずだ。各部屋に鍵などない緩い間仕切りなので、誰か間違って入ったのだろうかとそれを持ち上げた時、うわっと思わず声が漏れた。


(温かい・・・)


 脇息も、それが置かれていた畳の部分も、ほんのりと体温らしきものが移っている。先ほどまでここに誰かいたということだ。

 間違って入ってしまったものは仕方がないが、さすがに良い気分にはなれないなと脇息を片づけた。私物は部屋の隅にある小さな櫃ひとつのため、空き部屋だと思われた可能性もある。何か、居住者を示唆するようなものをあとで置いておこう。


――― かさり


 わたしと入れ替わりに隣の女房の恋人が立ち去る音が聞こえる。そういえば夜明け前に立ち去るのがルールだったか。これが噂の衣衣の別れ・・・と思いながらも、この後二度寝したいだろうに和歌をしたためた文を出すなど手間がかかって大変だなあといらない心配をしてしまった。


「ふあぁ・・・あ」


 それにしても、一晩中出歩いていたので眠い。

 ただでさえ眠くなる訪問者対応に不安を覚えたが、それでも欠伸を抑えられそうにない。どうしたものか。






 きゃあ、とか、わあ、とか歓声が上がる。


「では次を振りますよ、それ!」

「どれどれ・・・左手を、紅色です!」


(えええ)


 ぐぎぎと呻き声を上げながら密着する女房の体勢に支障しないよう、慎重に紅色の反物の文様に左手の平を下ろした。必然的に女房の肩口に顔がうずまる形になると、本人や周りの女房達から黄色い悲鳴が上がる。


「飛香の君、息が・・・息が・・・くすぐったいです~!」

「申し訳ない、耐えて!」


 男性陣の側からはシルエットしか見えないので実際どういう体勢なのかわかりづらいはずなのだが、逆にそれが想像力を刺激して楽しめるらしい。几帳の向こう側から、次の賽子を振りますよという楽しそうな声が上がる。


 誰が賽子を振るのか争い始めた男性陣に催促しようとした時、覆いかぶさるような形になっている女房がぷるぷると震え始めた事に気付いた。


「あっ」

「きゃっ・・・!」


 無理な姿勢で四つん這いになっていたのだが、それを支え続けるには手足の筋力が足りなかったのだろう。顔面から床に突っ込みそうだったので咄嗟に腰に腕を伸ばして支えたところ、女房達から本日最大級の黄色い悲鳴があがった。


「ふふふ、またわたしの勝ちですね」


 男性陣からは羨望とも応援ともつかない声があがる。

 敗北した女房は頬を染めながら観戦用置畳のほうへ這いずっていった。本人曰く腰が砕けたそうだ。


(強く引っ張り過ぎたかな?)


「では、そろそろ別の者達で対戦を・・・」

「飛香の君、次は私と対戦してくださいませ!!」

「いえ私とですわ!!」


 ここまで熱望されるなんて光栄だが、これで三連続対戦しているので苦笑が零れる。

 どうやら衣冠姿というのが女房達に猛烈に刺さっているらしい。


(着替えるのを忘れただけなんだけど)


 歴史の時間に習った男装の女性、白拍子だったかはこの時代まだ存在しないらしく、この格好は男女問わず相当な新鮮味を持って受け入れられた。

 おかげで宝塚男役としての人気が不動のものとなってきている。


「まあまあ皆様、彼じ・・・いえ、彼も一息つきたいでしょうから、一旦解放して差し上げて」


(彼・・・)


 主である女御の言葉に、さすがの女房達も渋々引き下がった。物言いたげに女御、安子の方を見るが、頬を染めて後で私ともお願いしますね、などと言われると悪い気はしない。


 改めて女房同士でのツイスターゲームが始まったのだが、彼女達が纏う色とりどりの衣が重なる様と乱れて絡み合う髪を見ていると、実に危ない遊びに見えてきた。全くもって健全な遊びのはずなのに。


 その時。


――― すぱんっ


 勢いよく扇を閉じる音が響いて、皆固まった。


「おい、こら。内裏の風紀を乱すな」







「健全も健全。健全の極みの遊びですよ」


 きちんと主張しておかないと。

 かつて安子と戯れていた時、貞操観念が異様に厳しい夫にここで何をされたか忘れてはいない。成明の後ろにえらく濃い隈を拵えた晴明が立っているのを見て、用心のため三回健全だと繰り返した。

 そもそも、これは眠気を吹き飛ばすためどうしても体を動かしたくて始めたことだ。他意はない。


 女房も訪問者も追い払われた飛香舎の広間にわたしの声だけが響く。


「大体なんだ、その恰好は!」

「こっちのほうが動きやすいんですもん」


 護衛をするならこっちのほうがいいでしょう、と言うとぐっと言葉に詰まった成明に追い打ちをかける。


「それにこっちの方が周りが喜ぶのです!」


 ドヤ顔で言うわたしに、几帳の奥から安子がころころと笑う声が漏れ聞こえてきた。


「ええ、本当に。うちの女房達の心を今一番掴んでいるのは間違いなくあなたですわ」


 夜、誰かがあなたの房に忍び込む日も近いかもしれません。

 その言葉に思い当たることがあった。そういえば昨夜、誰かが部屋に入っていた痕跡があったような。


(まさか女房の誰かが・・・って考えすぎか)


 てへへと照れてみせると、斜め前から冷えた重苦しい空気が流れてきたので慌てて表情を引き締めた。


「それで、何かわかったことはあるんですか?」


 晴明が調査をすると言っていたので、何か進展しただろうか。仕事は早そうなので期待したが、さすがに一日二日では難しいらしく横に首を振った。


「今言えるのは、恐らく練度の低い非官人の呪術師か、それに近い見様見真似の素人が呪ったって事くらいか。ただし、あの人形を持ってきた者と同一人物かはわからない」


 少なくとも後者は参内を許された者の中に居る、という成明の言葉に頷く。呪い云々は置いておくとしても、その他は予想の通りではある。


「まだ情報が足りないですね」


 もうしばらく情報収集に努めましょう、ということでひとまず解散になった。結局風紀乱しの疑惑をかけられただけだったのではということは考えないでおこう。

 夕餉の準備のため飛香舎を出ようとしたら鋭い声が飛んできた。


「その恰好で昼間の内裏をうろうろするな!」


(けち!)


 成明の後ろから感じるじっとりと重く昏い視線は無視して着替えに向かう。多分気にしたら負けだ。そんな目をされたって、今回はちゃんと帝から依頼されている仕事なのだから。





「どっこいしょ、っと」


 今日も女御は清涼殿へ呼び出されているため朝まで自由だ。

 庇の下に隠しておいた沓を取り出すと、内裏に降り立った。今日は高明はいないので、大内裏に出るのはやめて内部の見回りだけしよう。それに二日連続の徹夜はさすがに体力が続かないので、少し見回りしたら部屋に戻るつもりだ。

 

 そろりと飛香舎の周りを歩いてみるが、特に異常はない。

 夕餉から就寝の時間まで殿舎への出入りが頻繁で、人目がたくさんあるためそうそう不審者も入られないだろう。


 ふとざわめきを感じて振り返ると、清涼殿向こうの校書殿のほうにたくさんの灯りと人影が見えた。昨日お世話になった蔵人所とは反対側、陣座と呼ばれるあたりだ。彼らは太政官弁官局の実務部門の下級官人達が先例の調査結果を報告してくるのを待っている。

 たかだか先例を調べるためだけに徹夜なんて相当な社畜だと思うが、聞いた話によるとよくあることらしい。


(千年後も大体同じことをしてるのは面白いよなあ)


 国会の答弁作成を待つ大臣と作成する官僚の姿が重なって、ふふふと笑ってしまった。

 その時。


――― たたたっ


 陣座の周りを揺蕩う松明の炎に照らされて、縹色の衣が翻るのが見えた。


「あっ・・・」


 昨日の少年がまた豊楽院へ行くのだと気づき、思わずその背を追って駆け出した。






 先日と同じ豊楽院万秋門の前まで来ると、彼はきょろきょろと辺りを伺いながらゆっくりと中へ入っていく。彼もわたしも灯りを持っていないので周りの建物の篝火からぎりぎり視認できるというレベルで、表情までは見えないが逢引きという雰囲気ではない。


(怪しすぎる)


 一体こんなところに何の用事があるのか。

 わたしも辺りを慎重に伺いながら門内に足を踏み入れた。中までは篝火の光が届かず、今や月明かりだけが唯一の光源だった。

 手入れされていないためにぺんぺん草がそこかしこに生えており、上を通るとかさかさと葉が触れ合う音がしてしまうので冷や冷やする。


(どこに行った?)

 

 相当に痛んだ堂が何棟も連なっているが、どこにも人影はない。左右どちらにも堂が続いているが、迷った末に中心部と思われる大きな殿のほうへ向かうことにした。


――― かさっ かさっ


 できるだけ音をたてないように、たてないように。

 中心部のほうへかなり近づいた時、殿の影から微かな人の話し声が漏れ聞こえてきた。


「実行・・・追・・・に・・朔平門・・・」

「既・・・済んで・・・」


 よく聞こえない。

 話者の片方は少年、もう片方は女性ということくらいしかわからないが、やはり色事の気配は微塵もない。むしろ軍議のような張り詰めた空気さえ感じる。光源が弱すぎて、どちらの人相も判別できない。

 じりじりと近づきながら、声が聞こえづらいのはこちらが風上側だからだろうかと思い至った。


(どうしようかな)


 懐に入れてきたものが役に立つかもしれない。

 手を突っ込んで色々と持ってきた中から目当てのものを取り出すと、ぱらぱらと振ってみる。


「~~!!」


(あ、やばっ)


 粉末を肌に感じて不快感を覚えたのか、まさか目に入ったのか、二人とも話を切り上げるような仕草を見せると、あっという間に北側の門に向けて小走りに行ってしまう。そういうつもりじゃなかったのに。


(女性の正体も確認したい!)


 慌てて後を追おうとした時、急に後ろから強い力で腕を引かれた。


「う・・・っむぐぅっ!!」


 反射的に叫び声を上げそうになった口が大きな手で塞がれる。ゆらりとバランスを崩した背中に、ぼすんと衣に埋まるような衝撃が走った。



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