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烏羽色の光  作者: 青丹柳
瑞花
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 えらく思い詰めたような表情で庭へ下りてきた道満を見て、首を傾げた。


(太郎様に何か言われた?)


 わたしが庭へ下りる前は特に問題なさそうだったのに。

 一旦休憩だと皆に告げるとバッターボックスから抜けて、道満のほうへ近寄った。


「そういえば、道満様が葛湯とか生姜とか送ってくださったんですね。ありがとうございました」


 ああ気にすんなと素っ気ない返事だが、恐らく照れが多分に含まれた反応だと思う。

 それらの贈り物に気づいたのは熱が下がった日の朝だったけど、塗籠の厨子棚の上に山盛りになった葛湯や生姜などは本調子を取り戻すのに大いに役立ってくれた。

 最初は晴明が用意したのかと思ったが、いつわたしの体調不良に気付いたのか聞くと、本当に本当に心底嫌そうに道満から渡されたものだと告げられた時は納得したものだ。


(晴明様は他人の体調を気にした事がなさそうだからなあ)


 道満が気付いて自分が気付かなかったのがよほど悔しかったのか、次の日から毎朝体温と喉の腫れの有無、頭痛や倦怠感など体調の変化をいちいち確認するようになったのには閉口した。子供ならともかく、いい大人相手にする事ではない。

 その点幼い子供は体調を崩しやすい。弟達や集落の子らを近くで見ている道満だからこそ、わたしの体調不良にもすぐ気づいたのだろう。


「これ、お礼です」


 何でも気軽に手に入れることができる元の時代と違って気の利いたお礼を用意するのは難しいが、悩んだ末に甲斐に結婚祝いを贈った時余った色糸で組紐を編んだ。

 道満の腕を取るとするりと手首に巻き付ける。


「遠くの国では、この紐が切れた時願い事が一つ叶うと言われています」


 組紐というか、ミサンガとして身に着けてもらえればいい。

 衣の色と合わせて黒と朱色で市松模様に編んだそれを繁々と眺めて、ああとかううんとか生返事をする道満にくすりと笑う。決してマイナスな反応には見えなかったが、嫌だったら外してもいいですよと声をかけてバッターボックスに戻った。


「よーし、再開するよ!」


 わらわらと子供達が寄って来て、各自ポジションにつく。


「道満はじゃいあんつ?たいがーす?」

「わたしがジャイアンツだから、タイガース!」


 まだぽけーっとミサンガを眺める道満の背を無理矢理押してマウンドに上がらせた。ふと視線を感じて顔を上げると、わいわいと野球を始めるわたしたちを太郎がにこにこと母屋のほうから見守っている。

 その顔は忠行が晴明とわたしを見るときの表情にとてもよく似ていた。





 揺れる牛車の中で、光栄が興奮気味に楽しかったと繰り返し言うので思わずにこにこしてしまう。周りを大人に囲まれているところしか見たことがないし、同年代と遊ぶ機会もあまりなかったのだろう。


(この時代は学校もないしなあ)


 できればまた連れて行ってあげたいと思うが、何度もこっそりと訪ねるのは気が引けるのでどこかのタイミングで晴明や保憲にちゃんと話してみようか。

 そんな事を考えながら、日光の降り注ぐ明るい京の路をゆっくりと進んでいく。


 さて、光栄を送り届けなければと保憲の屋敷の前まで来た時、牛車の御簾を上げて思わずひゅっと息を呑んでしまった。

 保憲邸の前に二人、濃紺の直衣姿の男性が立っている。時刻からしているはずのない人達だ。片方は氷のような冷たく鋭い目でこちらを睨んで、もう一方は柔和な笑顔で手を振って来た。


「・・・」

「どうも~」


 さっと御簾を下げて光栄と顔を見合わせるが、一度顔を見られてしまった以上素通りすることもできないので、仕方なくそろりと光栄だけ御簾をくぐらせた。


「じゃ、お疲れ様です!」


 なるべく何でもないことのように元気よく言って牛車を出そうと合図したのだが、予想した通り一ミリも動かない。それはそうだろう。牛飼童の横に立っている男性が彼の正式な主人であり、主人が動くなと言うのだから出発できるはずもない。


――― はらり


 背後の御簾が払われる音がして、ぎくりと背が強張った。油を差し忘れたぜんまい人形のようにぎこちなく振り向くと、予想通りの人物が牛車へ乗り込んでくる。


「晴明様・・・今日はお早いですね」

「・・・」


 おでこに穴が開くんじゃないかというほど睨むのをやめていただきたい。


(何でいつもこう、ピンポイントで見つかるんだろう)


 今日は書置きもしていないし、まだ未の刻を少し過ぎたくらいで晴明が内裏から戻る時間には程遠いはず。

 本当にGPSでも付けられているのではないかという疑念が湧いてきた。GPS衛星はまだ存在しないのだからそんなはずはないけれど、そうとしか思えないタイミングの悪さだ。


 御簾がもう一度はらりと上げられる。


「祭祀中だったのに、途中で放り出して君を追いかけようとするから止めるの大変だったんだよ」

「・・・申し訳ありませ・・・ん?」


 保憲は相変わらず笑顔なのに、どこか叱られている気分になるのは何故だろう。

 

(でもこれって謝罪案件かな・・・?)


 正当な報酬を受け取りに行き、ついでに子供たちと野球してきただけなのに。

 責められている気がして思わず謝ったがよくよく考えれば常識から外れた行動ではなかったと思うし、そもそも怒られるべきなのは仕事を放りだそうとした晴明側なのではと思う、けど。

 こんな時はこの手に限る。


「ところで、これから時々光栄と出掛けてもいいですか?」

「駄目だ」

「なんで光栄と?」


 話の方向を変える事には成功したものの、また妙なやり取りになってしまった。

 光の速さで却下してきた晴明を一睨みすると、保憲のほうに向きなおる。


「向こうで友達ができたようなので、たまに一緒に遊びに行けたらと思って」


 そう言って保憲の足元に居る光栄に目配せすると、彼は期待に満ちた目で父を見上げた。

 保憲はそんな息子を見て、わたしを見て、晴明を見て、もう一度わたしを見て、最後に青空を仰ぎ見て眉間に皺を寄せながら固まった。いつでも柔和な表情を崩さない保憲にしては珍しい反応だ。


(そんなに悩む?)


「光栄にとっては良い事だけど、でも・・・・・・が良くないんだよなあ」

「え?」


 ぼそっと零した言葉の後半部分がよく聞き取れなかったので聞き返したが、はたと気づいて言い募った。


「やっぱり良い事ですよね、そうですよね!近いうちにまたお迎えにきますね」


 都合のいい事だけ聞いて勢いで乗り切るしかない。真横から感じる圧もあるので、話が長引けば長引くほどこちらの分が悪い。じゃあ今日のところはお暇致しますとだけ言って答えも聞かずに御簾を下げると、今度こそ牛車を出させた。


 やっと動き出した牛車の中。


――― ギリリ


 足首の骨が軋む音がして、思わず顔を顰めた。

 いつも手首が標的となることが多いが、今日は珍しく右足首を捕えた晴明がぐいと持ち上げるので反動で上半身が倒れそうになる。袴だからいいようなものの、これが普通のスカートだったら相当にまずい体勢だ。


「やはり折っておくべきか」

「だから物騒な事言うのはやめてくだ・・・ぐあっ」


 出し抜けに右足の土踏まずを馬鹿力でなぞり上げられたので、堪えきれずに呻き声が漏れた。台湾の足つぼマッサージでもこんな力で押されたことはない。筋が切れるのではないかと思うくらいにゴリゴリと執拗に押してくるが、足首を捻っても払っても解放されないので牛車の畳に爪を立ててただただ耐えた。


「何度言ったらわかる」

「本当に痛っ・・・いや、割と健康になりそっ・・・な気もおぅっ・・・」

「勝手に出歩くな」


 そう言われたって、正当な用事があったのだから悪い事など何もしていないはずだ。光栄もきちんと連れて行ったのだし。


「報酬をもらいにっ・・・ひぅっ・・・行っただけで・・っすぅ・・・からっ!」

「許可していない」


 いつの間にか左足のほうも持ち上げられて、すってんころりと転んだ格好でじたばた反抗したものの、常識からは考えられない力で足の裏へのマッサージが続く。本場以上の効能がありそうだけど、とても長時間は耐えられそうにない。

 

(早く!家に着いて!!)



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