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烏羽色の光  作者: 青丹柳
瑞花
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 目の前に居る女性はにこりと微笑んだ。

 射干玉に輝く髪を元結で括っているが長い毛先をくるりと折り返して輪にしており、解くと尋常じゃない長さだと思われる。少し垂れた目尻が優しそうで、全体的に上品、かつ守りたくなるような嫋やかな印象だ。それになんだか可憐な花の香りがする。

 年の頃は伊予たちよりもわたしに近い。二十代半ばくらいだろうか。


 彼女の持つその雰囲気故、顔を合わせた班員全員が頬を淡く染めた。


(生粋のお姫様って感じ)


 他の女孺達も皆貴族の家柄であるのだから、彼女もまたそうなのだろう。だけどあまりにも深窓の姫君といった感じなので女孺の仕事に耐えられるのか少しだけ心配になった。


「芳と申します。今日からどうぞよろしくお願い致しますね」


 皆口々に挨拶を返す。これで春子が抜けて欠けていた班員が揃うことになった。

 女孺として復帰してから何度か神祇官の官衙の周りをうろうろしているが、春子とはまだ会えていない。結局晴明の元に戻ってしまったのだから、彼女になんて言えばいいかわからないままでいたが、それでもきちんと挨拶はしておかねば。


 考え事をしていたからか、ぼーっとハタキを取り上げた時に芳と手が触れあった。慌てて手を引こうとしたら、それより前に芳のほうから手を伸ばしてわたしの手をぎゅっと握る。如何にも女の子らしい、小さいけれどでもしっとり温かい手の感触が伝わってどきりとした。まだ新人だった頃に上司の接待にくっついて行った、夜のお店でのドキドキを思い出す。

 彼女の顔を見るとにこっと微笑んでハタキを手渡された。


(・・・うーん、魔性の姫君?)


 またまた濃い人員が来たものだと思いながらも、仲良くなるにはどんな話題を振るといいのか考えつついつもの七殿五舎の掃除へ向かった。





「心の奥深くの願望がわかる鏡、ってご存じですか?」


 大抵掃除の合間に移動しながらの雑談を挟むのだが、今日の話題提供者は新人の芳だった。彼女の提供した話題はなんというか、些かファンシーな内容だ。


「わたしの願望は・・・ハンバーガーとケーキとラーメンを食べることかな」

「何それぇ、異国の食べ物?」

「美味しいの?」


 願望と聞いて、思わず本音が漏れてしまった。

 こちらへ来て何が一番苦しいかというと、やはり食事だ。筑後の料理はもちろん美味しいのだけど、毎日ヘルシーな和食が続くとものすごく高カロリーなものが食べたくなる。飽食の時代に育った者の宿命か。

 何度か自分でどうにかしようと試みたのだが、揃う食材も調味料も乏しいし、元々料理は不得意だったので一向に成果が出なかった。


(あー料理上手なお嫁さん、どこかに落ちてないかな)


 色々な美味しいものを想像して締まりのない顔になったわたしの腕を掴んで揺すりながら、伊予達がどんな料理なのか聞いてくる。いつもの三割増しは饒舌になって不健康な食事について熱弁を振るった。ハンバーガーとケーキは無理でも、ラーメンは似たものが既に存在しないだろうか。もし知っていたら絶対教えてと皆に念押しした。

 話を受け流すつもりはなかったのだが、思わず本音が漏れてしまったことで話題が食べ物の話へ流れかけたのを、芳が根気強く軌道修正する。


「美味しい食べ物もよろしいですけど、気になりません?」


 特に男女の仲における縁を視るために用いられてきた鏡だそうで、ちょっとすれ違っただけの人であっても心の奥底で好ましい、契りたいと思えばそれが鏡に映ると言う。恋愛の話題に移りかけたことで、伊予達の興味も引き付けたようだ。彼女らは前のめりでそれは本当かと喰いついている。

 小学校の時、休み時間における女子同士の話題で似たような話を何度も聞いたことがあった。占い、アイドル、好きな人、こういう話題は時代が変わっても鉄板だ。


 そんな鏡があったら内裏ですれ違う人全員と自分を鏡に映して回る、という伊予に皆が笑った。


「伊予はわかりやすい性格だからなあ、相手は鏡がなくても伊予の好き嫌いがわかりそう」


 うふふと揶揄うように言うと、そんなことないもんと頬を膨らます。そういうところだ。

 じゃあさ、と言うと、懐から赤、白、青の色糸を取り出した。伊予の目の前にぶら下げてみせる。


「この中から一本好きな色糸を選んで。わたしには伊予が選ぶ糸がもうわかってるから」


 訝しんではいたものの、少し迷ってから赤の糸を選んだ伊予ににっこり笑った。


「わたしの衣の袂に入っている紙を読んでみて」


 伊予の手が袂に恐る恐る差し込まれ、それから折りたたまれた紙を取り出す。彼女はその紙をゆっくりと開いた。


「あなたは赤の色糸を選んだ・・・って、えええ!?!?」

「ほらね、伊予の考えはわかりやすい」


 だから変な男に引っかからないように気を付けるのよ、と言う前に伊予や信濃や能登に襟首を掴まれた。なんでなんでと言う彼女らに揉みくちゃにされながら笑っていると、ふとその輪の外側で深刻な顔をした芳がわたしを凝視しているのが目に入る。心なしか顔色が悪く、唇をぎゅっと引き結んでいた。


(しまった、気味悪いと思われちゃったか)


 もちろんこれもいつもの宴会芸だ。昨日陰陽寮に強制召喚された際に、官達との雑談ネタとして即興で仕込んだものが衣に入ったままだったので使ったのだが、彼女のように引いてしまう人も居るだろう。面白がってくれる人にばかり囲まれていたのでうっかりしていた。


 ちょうどその時、向こうから掌侍が来たので慌てて皆仕事に戻る。ああ、助かった。








 オレンジ色に染まる内裏を急ぎ足で進む。


「今日も行くんですか?」


 背中から聞こえてきた声に振り向くと、心配そうな顔をした伊予が立っていた。

 彼女には春子との間に起きた事の詳細が伝わっていないので、あんなに意地悪されていた人にどうにか挨拶に行こうとする姿が理解できないのだろう。


「うん、一応ね」


 神祇官の官衙とほど近い雅楽寮へ向かうと言うので一緒に向かうことになったのだが、しばらくも歩かないうちにもう一度背中に声がかかった。

 鈴を転がすような可憐なその声は芳だ。


「ねえ、ちょっとしたご相談があるのですけど」


 少し緊張したような笑みを浮かべているのは何故だろう。

 雑談の時の微妙な空気を思い出して、できるだけ感じ良く映るようこちらも笑みを浮かべたが、次の言葉に伊予共々驚いた。


「実はね、さっき話した鏡を持っていまして」


 何か言う間もなく、小さくて硬くて重い物を包んだつるっとした布を手の平にぎゅっと押し付けられる。そのままわたしの指を閉じて握らせた。

 芳の意図するところがわからず、困惑したように手の平と芳の顔を交互に見ると更に困惑することをお願いされた。


「あなたは特殊な力をお持ちのようですし、御夫君も陰陽寮の方だとお聞きしました」


 だから、これが本当にそういう力のある鏡なのか調べていただけないでしょうか。


 今日が初対面だというのに、晴明の事まで知っているとは。班員の誰かが雑談ついでに話したのだろうか。

 もちろんわたしにはそんな怪しい物の真贋を確認するなどできないし、晴明にお願いしようものなら変な事に首を突っ込むなと怒られそうで気が進まない。


「お手数おかけしますが、よろしくお願い致しますね」

「あ、ちょっと・・・!」


 断ろうとしたのだが芳がさっと身をひるがえして行ってしまったので、怪しい鏡だけがわたしの手に残された。

 どうしよう、よくわからなかったと言って明日返すしかないか。


(ごく普通の子が来たと思ってたけど、なかなかキャラが濃い・・・)


 ふうとため息をついていたら、伊予がきらきらした目でわたしを見ていることに気付いた。


「な、なに?」

「それ、ちょっと見てみたいです!!」


 勢いよく身を乗り出すので、ふらりと後ろに体が傾ぐ。

 雑談の時から大変興味があるようだったので、気になるのだろう。まさか危険物ではないはず、と場の勢いのまま包みを開けてみる。


 中からは、手の平にすっぽりと収まるサイズの鏡が出てきた。


 鏡の縁と裏側には風雅な装飾が施されていて、小さいながらも高級そうなものに見える。鏡面にはぽやっとした表情のわたしと伊予が並んで映し出されているが、残念ながら二人の周囲には白くてふわふわした淡い光のような霞がかかっていた。見ようによってはクリスマスツリーの電装みたいで綺麗だが、鏡の機能には欠陥があるようだ。


「ちょっと汚れちゃってるね」

「え、そうですか?綺麗に見えますけど」


(現代の鏡より手入れが大変そうだもんなあ)


 時代的に銅鏡だろうか。磨けばどうにかなるかな?そう思った時、珍しい人物に声を掛けられた。


「御方様、どうされたんですか?」


 振り向くと、立っていたのは人の良さそうな顔をした陰陽寮の漏刻担当だった。つい先日も陰陽寮で楽しくおしゃべりした癒し系の官だ。にじみ出る弟感があるので長女としては自然に目尻が下がる。

 挨拶しようと彼を見て、ぱっと閃いた。


「これを見てみてください。どう思います?」

「うん?」


 晴明以外にも陰陽寮には人が居る。彼にだって真贋が見破れるのではないか。

 期待を込めて鏡を手渡すと、きょとんと鏡を眺めて、それからわたしの顔を困ったように見てきた。


「鏡、ですね」

「変なところはないですか?」

「うーん、特に無いように見えますが・・・」


 その時、伊予がすすすとごく自然な動作で彼の横に立った。心なしか頬が染まっている。

 彼は気づいていないが、わたしにはわかった。伊予は噂を試そうとしているんだ。そこで、わたしも立ち位置を変えて、自分が映らないように気を付けながら鏡を覗き込んだ。


(!?)


「何も映らないですね~」

「普通の鏡ですね、おかしな所はないです」


 慌てて実物のほうの二人の様子を伺ってみても、何かに気付いた様子はない。

 しかしもう一度鏡を見てみるとさっき見えたまま、鏡の中の二人の間に薄桃の色糸が一本通っていた。白い電装はもう見えない。


(どういうこと!?)


 混乱して黙り込んだわたしに彼が鏡を差し出してきたので、どうにか表情を繕って受け取った。


 そろそろ陰陽寮へ戻らねばならないと言って去っていく彼の背中を見ながら、この現象をどう捉えたものかと考えた。

 かつて隠れキリシタンが持っていたとも聞く、特殊な鏡だろうか。


(でもあれって光の反射で隠されたものを投影するんだったような・・・)


 鏡面そのものに影響を与える細工などあっただろうか。

 しかし本格的に考え込む前に、さっきの彼がどこの誰なのかしつこく聞いてくる伊予の勢いで思考が途切れ、鏡のことはすっかり頭の隅に追いやられてしまった。


 結局、春子には今日も会えなかった。



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