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烏羽色の光  作者: 青丹柳
花蕾
8/126

08

 ボオォッ、ボオォッ

 短い間隔で火が噴出すその度に、実頼の情けない声があがる。


(た、楽しい・・・)


 ゴジラの気持ちがわかる。


「もうおやめなさい」


 寛明が困ったように笑いながら諫めたので、制汗スプレーの噴射を止めた。石鹸の匂いの向こう側に半泣きの実頼の顔が見えて、素直にごめんなさいと謝った。

 もちろん火が届かない範囲にいることを確認してから噴射していたのだが、よほど怖かったらしい。几帳の向こう側に半身を隠してガタガタ震えている。


「得も言われぬ良い香りだが、ここまで濃いとくさいな」


 成明が顔を顰め、片袖で口と鼻を抑えながらもう片方の袖を大仰に振った。


「どういう原理だ?」

「中身を、この場合は香りがついた水みたいなものですね

 それを噴射するのに引火性の気体を一緒にいれているんです」


 その気体に火をつけました、と言うと理解したのかしないのか、晴明は制汗スプレーの缶をくるくる回していた。なんの術だ、と聞かないあたりこの時代の人にしては理解力があるのではないかと思う。実際他の三人に最初に披露した際、わたしも陰陽道の心得があるのだと言ったら簡単に信じた。種明かしをしてもまだ半信半疑のようだ。


(本業だからそんな術はないと知っていたのかもしれないけど)

 

「昨夜使った筒とは別種だな」


 確かに昨夜使ったのは防犯用の催涙スプレーだ。何に巻き込まれるかわからない状況に置かれている今、あの武器は大事に取っておきたい。あの呼び出しは日中だったこともあり、昨夜のような荒事に巻き込まれる可能性は低いと踏んだので、念のためこっちを持ってきたのだ。まさか使うことになるとは思わなかったが。

 そう説明すると、ふうんと気のない返事が来た。



「そろそろ本題に入ろう」


 成明がぱんと手を叩く。




――― ここは朱雀院。


 この時代に来た晩、わたしが最初に連れてこられた場所だ。

 今晩ここで、わたしの新たな仕事について説明されるらしい。










「お前には女孺(にょじゅ)になってもらい、情報収集を頼みたい」

「・・・」


 返答に困る。


「女房達より自由に動ける分、彼女らからは得られない情報も見聞きできるだろう」


 どうだいい案だろうと言わんばかりの成明の顔を見て、困惑の表情を浮かべた。

 そんなドヤ顔をされても、それがどんな仕事なのか見当もつかないので、いい案かどうか判断つきかねる。


「それって職種ですか?」

「そうだ」


 千年後も平安の常識が通じると思っているらしい。それ以上の説明はなかった。ああ、あれねとなるわけがない。

 実頼が用意した紙と筆を拝借して四角をピラミッド状に書いた。サラリーマンには必須の組織図だ。

 埋めてもらうために筆を差し出すと、それを寛明がさっと取って追記してくれた。


内侍司(ないしのつかさ)というところの所属だよ」


 話を聞くに、そこは帝や后の秘書室のようなものだ。女孺というのはその末端の者たちで、雑務全般を担うらしい。各后には女房と呼ばれる人たちがついているが、女孺は特定の后に付くわけではなく雑務全般を引き受ける。女房達は外部に顔を見せないが、女孺は後宮内外のあちこちに出入りする関係上顔を晒して仕事をする。

 顔を出すのは嫌だよね、と申し訳なさそうな寛明に、全然平気ですとフォローした。


「千年後は男女区別なく、みんな顔出して働いていますよ」


 わざわざ隠すほうが面倒だ。隠さなくても良い職業があるならそっちのほうがいい。むしろ今日のように顔面露出を叱られたりしない立場は魅力的。そう思っていたら、実頼に注意された。


「晴明様の御方様として居る時は顔を見せてはなりませんよ」


 面倒な文化だ。


「でも、末端に重要な噂が流れてきますかね?」


 茶を飲みながら気になったことを聞いてみる。

 何の情報収集なのかはまだ聞いていないが、地位が上の者ほど色々な情報が入ってくるものだ。わざわざ末端にスパイを置いてまで知りたい情報などあるんだろうか。


「ずっと上から探っているが、ほとんど情報が得られない

 恐らく上級貴族内の結託はない、単独犯だ」


(上から?)


 その言い方だと彼らは上級貴族側のようだ。成明の言葉を引き継ぐように実頼が言った。


「帝ともなると末端と交流することは難しいのです」


 宮の末端に間諜を置くにも信頼に足る人物が必要。しかし思い当たる者が居ても皆上流貴族であるがゆえ、どうしても下の者に混ざると浮いてしまう。そこで、あなたのような身辺がつまびらかで何のしがらみもない無味無臭のちょうどいい石ころのような方が・・・

 くどくど説明される。若干失礼な物言いが含まれているが、それは一旦無視して前の人物を見た。


 実頼は成明の横に立ち熱弁を振るっているので、帝というのは彼の事だろう。

 凝視するわたしに、何を勘違いしたのか成明がえへんと胸を張った。


「俺のことはもちろん良き帝として後世に伝わっているのだろう」


 申し訳ないが、名だけでは全く分からない。

 彼の血縁者の数は膨大なのだ。何番目か言われてもおそらく思い出せないだろう。顔面を凝視してみたものの、教科書に載ってる姿絵もこの時代はみんな似たり寄ったりなのでそちらの記憶もあてにならない。


(ここはノーコメントだ)


 サラリーマンの処世術、余計な事は言わないに限る。


「僕は成明の兄で先帝なんだ」


 寛明が補足する。実頼のことは最も信頼できる臣下だと言った。それを聞いた彼はむせび泣いているが、その姿は、何故か新橋の高架下で飲んだくれるくたびれたサラリーマンと重なる。


 思ったよりもずっと雅な方々だったみたいだ。


(ん?そうすると晴明様は一体どういう立ち位置なんだろう)


 最初の晩に簡単な自己紹介を聞いた際、よく似た名だったので彼ら三人は血縁者だと思った。だが、安部晴明がそういった血筋なんて聞いたことがない。単に似た名前なだけだろうか。

 自然と晴明のほうへ視線が流れる。


「晴明は、すごく信頼できる・・・その・・・者なんだ」


 成明がえらく歯切れの悪い言い方をする。

 彼は勅命を受け、帝直属の形で宮中を調査しているらしい。陰陽寮の所属でもないと聞いて少し驚いた。

 ただ、と成明は続ける。


「こいつの性格上、みんなで噂話を楽しむ人種じゃないだろう」


 その言葉に納得した。確かにそういうタイプじゃないだろうな。

 本人は気だるげに遠くを見て何も言わない。


「そういうことで、おまえ達夫婦に調べてもらいたいんだ」




――― 俺たちの暗殺計画について。




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